数学・数理科学と共に拓く豊かな未来 開始記念シンポジウム
当日配布資料
開会の辞、文部科学省、受託機関、各協力機関(8機関)挨拶
「自動車エンジン制御における数学の現状と期待」 大畠 明(トヨタ) 「将来の気候変動対策に向けた統合評価モデルと将来シナリオ」 増井 利彦(国立環境研究所) パネルディスカッション「数学・数理科学と共に拓く豊かな未来」
自動車エンジン制御における数学の現状と期待
講演者:トヨタ自動車 大畠 明

執筆者: 斎藤正也
産業界における数学の受容についてのお話しを、自動車エンジン制御開発の見地からトヨタ自動車株式会社の大畠明氏に伺った。数学と産業界の関係を考えてみると、数学の受け入れられ方には落差がある。自動車エンジン制御開発においては、データ解析・シミュレーション・最適化など、ツール化が可能な領域では数学の利用はかなり進んでいる。いっぽう、数学的アプローチに基づく判断や決定はなかなか受け入れられない。実は、どちらも自ら数学に立ち入るのは避けたいという態度は共通している。
なぜ数学は受け入れられないのだろう。技術よりも技能を尊ぶ日本の風土が関係しているかもしれない。技術とはさまざまな経験を一般化・抽象化して全人類の財産として蓄積されたもの。付加価値を効率的に生み出すために誰もがこの財産を利用することが許され、かわりにこの財産の拡大に貢献する義務を負う。これに対して、技能は師匠、弟子、孫弟子と継承に関わった個人の内にとどまり、共通の財産までには到達しない。このように技術と技能とを定義してみると、日本では技能は高く評価するけれども技術はまったく評価しないという傾向がある。とりわけ、科学技術の発展に貢献するという意識に乏しく、機密を理由に論文発表が抑えられてしまうことすらある。
問題を定義した人よりも、それを解いた人が評価されるという問題もある。解がある問題をまず与えられて、これを短時間で解くことが求められるという受験問題のあり方がこのような姿勢に拍車を掛けている。そこでは短期間で結果を出すということが求められ、難しい問題をさけてやさしい問題だけを効率よく解いた人が優秀とされる。
それでは数学協働のためにどんな対策をしていくか。まずは、課題を数学的に定義することに労力を費やすべきであろう。産業界と数学者の間での共通言語を樹立しなければならない。これには双方が協力して時間を掛けて取り組まねばならない。双方を理解できる人材は極めて少ないので、彼らをつなぎとめておくことをも大事であろう。産業界の課題に数学的定義を与える取り組みとしてMathematical Theory of Networks and Systemsという制御関係の会議をここで紹介しておきたい。この会議では制御数学の未解決問題を研究者による論文のかたちで世に公開している。
数学者へ向けての問題提起で話を締めくくろう。ひとつ目は、プログラミングのパラダイムチェンジについて。コードが大規模になり、動作の妥当性の検証が困難になってきている。欧州では、微分代数方程式をベースした物理モデル記述言語Modelicaが開発されている。モデルを因果律的に(どれが出力をどの入力と接続するか)記述する必要があることが、コードを複雑化させている。Modelicaのようなアプローチによりこれをある程度緩和することが期待できる。
二つ目は並列化について。CPUの単体性能の向上は限界に達していて、さらなる高速化にはマルチコア、メニーコアの利用が必須になってきている。とくに車載システムの場合、105℃までの正常な動作が求められるため、クロック数は高々300MHzまでしか上げられないという制約もある。
三つ目は複合領域モデリングについて。研究者ごと、対象ごとに方法論がまちまちで、際限ないモデリングの反復に陥っている。我々は「対称性には対応する保存則が存在する」というネーターの定理に着想を得て、保存則と拘束とを原理としてモデルを記述するHigh Level Model Descriptionというものを提唱している。保存則は個別のモデリングの結果としてではなく、モデル化原理から導かれる。ただし、この方法も物理的に整合性ある唯一解が求まることが証明されていないという課題を残している。
以上、このような問題提起をしたが、産業界と数学者とは互恵的関係であらねばならないと思う。ただまだ数学、数理科学の重要さは十分には認識されていないのが現状である.問題解決のツールとして利用される段階に留まっているだけでは、数学・数理科学の持つ本来の役割は十分に発揮されない。問題の発見、その明確な定義により、何が本質的な事柄であるかがはっきりと見えてくる。この段階に至って初めて新たな展望新たな見地が得られ、諸科学の英知を集結することで、本来の意味でのイノベーションが達成されると思われる。ものづくりを基盤とした日本の産業とそれを支える数学・数理科学の融合の場所として今回の数学協働プロジェクトは大きな役割を果たすことであろう。
「将来の気候変動対策に向けた統合評価モデルと将来シナリオ」
講演者:国立環境研究所 増井 利彦 先生

執筆者:小森 理
プレゼンテーション
環境問題はグローバルな問題であり,いつくもの要素が複雑に絡み合っている.大気の様子を調べるためには気象学・物理学の知識が必須であり,また森林・河川への影響を知るためには生態学の理解も必要となる.人口増加,食料不足,産業の発展等の人間の活動に深く関わる経済活動も環境変化に大きな影響力を持つ.またこのような世界的な自然変動に加え,これらをどう制御管理していくかという人為的な各国の政策のビジョンも,将来の気象変動を見通すうえで決定的な役割を持つ.今回の講演では,上記の問題に対し統合評価モデルを用いることで,定量的なモデル分析と叙述的なシナリオ作成の具体的なお話をして頂いた.
統合評価モデルを用いたシナリオにはSRES(Special Report on Emission Scenarios)があり大きく4つに分類される.1.「高成長社会」,100年にわたる年約3%の経済成長を仮定し,技術,教育,社会に大きな変革をもたらす.発展途上国を含めてた全世界の経済成長による大量のエネルギー消費,新たな資源開発,技術革新,技術移転等が見込まれる.2.「多元社会」,各国各地域の特有な社会文化が尊重され,国際的な交流が制限される.経済成長が遅れてしまい環境問題に対する意識も低くなる.3.「循環型社会」,社会の発展と環境の保全を両方重視したもの.廃棄物の減量,リサイクルの奨励,公共システムの整備,自然保護推進等が進み,経済も持続的に成長する.4.「地域共存型社会」,各国各地域の公平性を重視し,それぞれの政府が主導となり経済政策を立てるため地域の独立性が高まる.実際にこれらの4つのシナリオごとに100年後の二酸化炭素の排出量を算出すると「多元社会」が「高度成長社会」と同程度になることが示され,また「循環型社会」が一番少ない排出量となった.この結果は各国政府の政策方針に大きな示唆を与えうることである.また上記の方法以外にもRCP(Representative Concentration Pathway)やSSPs(Shared Socio-economic Pathways)を用いた新たなシナリオプロセスのお話をして頂いた.どれも社会の発展の方向の違いが,温暖化の程度やその対策に決定的な影響を及ぼすことを示唆するものであった.
統合評価モデルは従来まで政策側からの要請をもとに作成されることが多かった.しかしモデルの信頼性と実用性が向上すれば,逆にモデルから政策側に提言できることがこの取り組みの大きな意義とも言える.そのためには統計学的モデルの考え方はさることながら,大量のデータを使った効率的なモデル構築のための数理科学全般の知見も必須のように思われた.これからの社会をどうしていくべきか,どのような未来が理想的なのかを国民全体に問いかけ,今後の政策方針を真剣に議論する場を提供する意味で,統合評価モデルの役割は大きいと思われる.さらなる改良と発展が切に望まれる.
パネルディスカッション「数学・数理科学と共に拓く豊かな未来」
パネリストとテーマ
- 1.問題発掘における経験とそこで出会った困難
- 2.数理モデル化についての経験と困難
- 3.数学・数理科学と他分野の協働作業の経験とそこで出会った困難
モデレーター 加古 孝(日本応用数理学会) パネリスト 大畠 明(トヨタ) 投影資料 パネリスト 小谷 元子(東北大学) 投影資料 パネリスト 樋口 知之(統計数理研究所) 投影資料 パネリスト 増井 利彦(国立環境研究所) 投影資料 パネリスト 宮岡 洋一(日本数学会) パネリスト 山田 道夫(京都大学) 投影資料

★経験と困難に関する3つの課題設定 ★数学的な定式化をどこまでできるか ★産業界と数学者で共通な数学的な定義を持つべき ★数学を利用し課題解決型、チーム型のやり方に挑戦 ★協働研究の際、異分野のスピード感の相違をどうするか ★政権交代の影響――政策とどのように関わるかが大きな問題 ★方法や環境を変えることも、問題解決の手がかりに ★定式化すると本来のニーズからは遠ざかるけれども‥‥。 ★リスキーな場面で数学への期待が大き過ぎる ★第一原理がないビッグデータを数学で読み解く ★自由な雰囲気から大きな成果が出る?
【司会】 パネルディスカッションを企画いたしました。モデレータは、日本応用数理学会会長でいらっしゃいます電気通信大学名誉教授の加古孝先生にお願いいたします。
★経験と困難に関する3つの課題設定
【加古】ご紹介いただきました電気通信大学の名誉教授の加古でございます。応用数理学会の会長をやっております。きょうはパネリストで6人の方がいらっしゃるんですけども、皆さん、大体、運営委員会のメンバーです。ちょっと挑発ぎみに3つの課題を設定しました。1番目は「今テーマになっている課題に関する問題発掘における経験とそこで出会った困難」。2番目は「数理モデル化についての経験と困難」。3番目は「数学・数理科学と他分野との協働作業の経験とそこで出会った困難」――ということです。
私の場合、問題発掘に関しましては、エネルギーに関する研究にあるとき関心を持ちまして、それで核融合炉の実現を目指す研究に数学的な貢献ができるんじゃないかと考えました。線形磁気流体における研究がそこにあるということで、ある数値計算の結果を見ますと、そこに非常にスペクトルが混んでいるという結果を見まして、それはひょっとして連続スペクトルというものではないかと、数学的な興味からその研究を始めたんです。それが次世代エネルギーに貢献できるじゃないかという、自分としてのミッションオリエンテッドな興味もありました。
もう一つは、音声現象の不思議。研究テーマとしてはなかなかおもしろいということで、やはり無限領域の問題があります。それから、母音を連続に言うときの過渡現象が非常に難しいということがわかってきています。実は、その音声現象と非常に似ているんですけど、地震波が来たときに建物はどう揺れるかというのも同じような手法で計算できる。
★数学的な定式化をどこまでできるか
【加古】数理モデルとしては、やはり磁気流体は方程式が非常に難しい。モデル選択も磁気流体の前のプラズマ現象からモデルをどう立てるかというのが非常に難しいんですが、一応、私としては関数解析を使ってうまく研究ができた。ところが、計算モデルに移ったときに、スペクトル汚染ということで、むちゃくちゃな答えを出す可能性がある。これに対する興味でいろいろ研究をしてきました。
ところが、学生さんに説明することは非常に難しい問題なんで、人材不足で途中で研究ができなくなってきている。そういう中でプラズマの研究者とか、それから、音声の関係の研究者と話をする中で、やっぱり最初に一番大切なのは言葉の問題で、数学的に厳密な定式化をどこまでできるかということ。実はそれをしないと数学的な理論展開はできないということで、そういうコミュニケーションをとれるための時間が最初、非常に重要になってくる。
それから、評価とか価値観というものが非常に問題になってくる。大事なのは、そういう中で人材育成をどうするかということです。自分の人生の中で、こういう研究をどう位置づけるかというのが一番大事だと思います。私の拙い経験をまず述べさせていただきました。
★産業界と数学者で共通な数学的な定義を持つべき
【大畠】 産業界で数学の利用はデータ解析、シミュレーション、最適化の分野では利用が非常に進み、効果も確かに出ています。だけど、判断や方向性、妥当性を数学的に説明するということでは非常に毛嫌いされてしまっていて、式が少しでもあると嫌がられる傾向がある。文化的な問題、歴史的な問題、教育的な問題ということで、数学がどうも浸透しないのではないかということで、本当かどうかわかりませんが、先進国から科学技術を輸入したということは大きいのではないか。
産業界では数学的なあるものを使って成果を出すということに集中していたように思う。何かこういうことを評価してくださいというのも決してやってくれない。アメリカではどうですか、ヨーロッパではどうですか、あるいは、どこかでオーソライズされましたか、そんなことばかり聞かれちゃう。自分で評価してくれよと思うんですが、なかなかやってくれない。それも歴史的な問題ではないかなと思います。だから、教育の問題も非常に大きな理由があって、数学が日本では浸透しない環境が結構強いのかなというふうに思っています。
やっぱり大事なのは、産業界と数学者で共通な数学的な定義を持つべきだということです。課題の数学的な定義に時間をかけるべきであり、その定義された課題をオープンにするということはいかがでしょうか。課題を定義することを評価するという文化がやはり必要ではないか。
★数学を利用し課題解決型、チーム型のやり方に挑戦
【小谷】 純粋数学出身ですので、拙い経験から感じたことをまとめさせていただきます。 2008年にJSTのCREST数学領域で、「離散幾何学から提案する新物質創成・物性発現の解明」という課題を採択していただいたことがきっかけでした。私としては、初めてのチーム型、また課題解決型の研究の経験です。
大前提にあるのは、先ほどのご講演にもあった離散と連続をつなぐ、そのことを材料の設計に利用するというのが一番大きなテーマです。そのテーマに沿って4つの具体的な問題を設定いたしました。異分野融合なので、ほんとうに日常的に対話をすることが一番大切だというふうに感じていましたので、あえて他大学の先生とチームを組むことはせずに、東北大学の中でチームを組むことにしました。
新物資創成のサイクルをつくるということでモデルを立て、それをコンピューターシミュレーションで確かめていただき、可能性があれば合成する。合成の結果をまた数理モデルにフィードバックするという、そういうサイクルをつくりたいということでした。
それぞれのチームの中での役割というのは明確になっていたので、その後、そこでの困難というのはあまり感じませんでした。むしろ、数学の中でのCREST、課題解決型、チーム型というやり方については随分苦労したように私は思っています。彼らは、課題にどういうふうに自分の得意な分野を生かしていくかという、そのマッチングに時間が非常にかかりました。
We will goのときいつも言われるのはキャリアパスの問題で、2つの分野でそれぞれいい仕事を、両方合わせていい仕事をしている場合に、その人たちのキャリアパスはどうなるのか。これ、いつでも大きな問題だと思っています。
数学の視点の入った新しい材料科学を見つけなくてはいけないというのがほんとうに一番大きな課題でした。3つのターゲット・プロジェクトを決定しました。これを公募要項に載せて、数学と材料科学のインターフェースになるような研究をする人はいないかという国際公募をいたしました。これがほんとうにすごい成功のもとで、若手研究者にきちんとミッションを与えて、それに興味を持っている人を集めました。
結局は「人」と「ネットワーク」です。積極的な若い人をどういうふうに育てて、その人たちに独立の研究環境というか、活躍の場を与えることによって初めて異分野融合というのは進むのかなというのが私のここ数年での経験からの結論です。
★協働研究の際、異分野のスピード感の相違をどうするか
【樋口】大畠先生にけんかを売っているわけではありません。まず、数学は人を欺かないがデータは人を欺くということをお話しされました。データを専門とする者にとっては聞き捨てにならないご発言なので、(笑)それは正しいところもあると思いますけれども、私は、むしろ欺くところに非常に魅力を感じました。
データというのは非常に多義性があるということです。多義性という中には、1つでない、非常に豊かな世界があるわけです。私は、そこに非常に魅力を感じまして統計科学というのをやっております。ただ、それは、多分、大畠先生も同意されるんじゃないかと思います。
【大畠】 同意します。(笑)
【樋口】 さて、問題発掘における経験とそこで出会った困難ですが、まず、情報社会の発展が、第一原理、支配方程式がそもそもない、あるいはそもそも何なのかよくわからない事態を生じさせていることが、大きなところじゃないかと私は思います。そういうところで、一体どのようにして数学・数理科学を使っていったらいいのかわからない人が多い。問題発掘における一番困難ではないかと思います。
2番目、数理モデル化についての経験と困難ですが、そういえば3つありましたね。技術と技能というお話をされました。私は、技能にも非常に興味があります。技能というのは、その個人しか持っていない、あるいはスペシャリストしか持っていない。しかしながら、その技能を技術に転換するという数理、あるいはそのようなものがあったならば、これは非常にすばらしいものになるんじゃないかと思っています。隠された知識や経験知というのをどのように引き出すか、いわゆる技能を技術に転換するところが重要じゃないかと思います。
そもそも解がないというような問題が非常に増えてきている。そういう中で、従来の教育法で大丈夫なのか。いわゆる逆問題の解法が非常に重要で、そういうところが数理モデル化において重要ではないかと思います。
3番目ですが、協働の作業についての経験と困難。これは、私もたくさんありますけど、まず1番目、これは逆説的ですけど、協働作業において抽象的思考法の弊害があるんじゃないかと思います。それは、抽象的推論をした後に、協働作業ですから必ずリアルに投影しないといけないんですが、そこに興味を持たない人と一緒にやっても非常に問題です。
あと、数学・数理科学者のスピード感と現場のスピード感、非常に違いますので、このスピード感を埋めていかない限り協働作業はうまくいかないと思います。
さらに、は非常に現実的な問題を指摘しておきます。産業界の方とやると、おもしろくなってきたところで大抵配置換えになるという問題があります。(笑)担当者がくるくるかわって、また一から教えないといけない。また、法制度に関しては、いろいろ言いませんが、たくさんの障害がありますので、その辺もいろいろ問題じゃないかなと思います。
★政権交代の影響――政策とどのように関わるかが大きな問題
【増井】 問題発掘に関しましてはやはりデータの問題というのが非常に大きいというのが1点あります。特にリアリティーというものを追求しようとすると適切なデータがないということが非常に大きい。また、こういう問題を途上国に適用しようというようなことも我々の中でやっているんですけれども、途上国には同じようなデータがないということで、そうするとモデルを変えないといけない。モデルを変えようすると、非常に手間がかかるという問題があります。
日本の温室効果ガスの排出量をどう削減するのかというようなテーマは実は2008年からずっと続いておりまして、モデルでできること、あるいはモデルの解析結果から言えることは、そんなに大きく変わらないんですけれども、政権が変わるたびにもう一度一からやり直しということでやっております。政策とどう関わっていくのかというところが非常に大きな悩み、困難としてあります。
マクロなモデルで表現できることは非常に限られているということなんです。政策担当者、あるいは実際こういう結果等を使って何かしたい方は、非常にミクロなといいますか、例外的なところに着目される。そのモデルを使って何かをやろうとされているところの間のギャップというのが非常に大きくて、そのあたりをどうすればいいのかというところで、いつも悩んでおります。
我々がやっていますような社会科学のモデルと自然科学のモデルは検証というところで非常に大きな違いといいますか、差がございまして、社会科学のほうももちろん現状に合わすことはできますけれども、それは単に現状に合わせるために係数を変えただけで、ほんとうにそれがどのような状況でもなり立つのかというと必ずしもそうではない。特に将来を見通す上で、どのような前提でその結果になったといったところあたり、幾らでもいろんな答えが出てくるわけなんですけれども、その妥当性等を説明する際にいつも大きな壁にぶち当たっています。
★方法や環境を変えることも、問題解決の手がかりに
【宮岡】 私は完全に純粋数学でありまして、これまで取り組んだテーマを回想しながら、困難をどうやって解決したか解決できなかったか、その方法をちょっと整理してみます。 まず1つは、今までできなかった問題を解くには方法を変えてみましょう。例えば解析、もしくは代数の問題だと思って全然できなかったものを幾何の問題として捉えたら、結構簡単にできてしまったということがあって、それが私のドクター論文になりました。非常に簡単な、ほんとうにコロンブスの卵みたいな発想なわけです。
もう一つは環境を変えるというのがあります。例えば私が10年やっていても解けなかった問題があったんですけれども、たまたまオーベルヴォルファッハというところにいたんです。1週間、外人と気楽な話をしていたら、あっという間に解けてしまいました。やはり、それは日本にいたらできなかったと思うんです。新しい環境で、いろんな人との出会いがあって、いろんな会話をしたことによって、多分、新しいアイデアが無意識のうちにできたと思う。
そういう意味で、滞在型の研究所みたいなものができると、そういうふうな新しい発想がほんとうに増えて、新しい結果もできるんじゃないかと思っております。
ほかの分野との協働作業という経験なんですけれども、数学の分野は少しあるんですが、数学以外の分野とは失敗続きでありまして、江口徹先生が「おまえの数学も少し関係がありそうだ」と言われて、一緒に考えないかと言われたんですけども、残念ながら私はライフサイエンスの数学は難し過ぎてできませんでしたが、ほかの人だったらできたかもしれません。こんなふうで、全然とりとめもない話ですが、私の経験としてはそんなものです。
★定式化すると本来のニーズからは遠ざかるけれども‥‥。
【山田】 数学を応用する相手の中にいた経験がありますので、そのことでちょっとお話ししたい。本来、私は専門は流体力学だが、防災の研究の中にいたためにデータ解析の仕事を幾つかしたことがあります。地震に関するもの、竜巻をどうやって見つけるか、鉄橋から列車が転落した原因は何かなど。どれも学問的にはおもしろい問題を含んでいるんですけども、ざっくり言って相手のニーズに合う答えが見つけられたとは自分では思っていません。論文は書きました。つまり、問題を自分に解けるような問題に変換して論文を書いちゃったわけですけども、それは、相手から見たらほんとうに欲しい答えでは多分なかっただろうと思います。
相手がどういうことを望んでいるかというのを知ることはもちろん必要だが、自分にできることは、私、数学者かどうかよくわかりませんが、数学の立場から言えば、そこまでのことが数学で常にできるとは限らない。むしろ、できないことのほうが多いんじゃないかと私は思っています。でも、それでも構わないのではないかというのが私の印象で、お互いに少しは歩み寄れたわけです。
数学に引きつけた定式化をすると本来のニーズから遠ざかる。でも、本来のニーズからは遠ざかるが、数学に近い者から言えば、当然、一般的な視点が得られるわけです。相手の人にも、そういうことをわかっていただけるというメリットは確かにあったかと思います。流体力学のモデルというのは、一番典型的にはお天気のモデルだと思います。実は社会学のモデルに非常に近い。なぜかといいますと、大気の運動というのはスケールは1万キロのスケールから大体0.1ミリのスケールまで、あらゆる運動が含まれているんですけども、今のモデルで解像度は大体1キロまで。それ以下の運動は全部ネグってしまっている。一応、モデルはできるが、状況が違ったときにどういう答えを出すかがわからない。
では、そういう状況を何とかしようと思いますと、モデルが複雑過ぎて我々には理解できないんです。だから、できるだけ簡単なモデルに帰着させて、今度はそこから逆に積み上げようというのが私自身の興味なんですけれども、一番簡単にしてもなかなかわからない。実はそれ、力学系としては大自由度カオスのシステムになっているためになかなか簡単な話ができない。これは流体力学のような、あるいは気象学のような基礎方程式がはっきりしている分野ですら、そういうことがある。
しかし、その間を埋めるのは非常に価値ある作業で、つまり、そういう埋め方がちゃんとできると、定量的な予想はできないまでも、大体のことは推定できるのではないか。大体のことが推定できるというのはとても大事なことです。
★リスキーな場面で数学への期待が大き過ぎる
【山田】もう一つは、防災研究の中でどういうミスマッチがあったかということ。例えば防災科学で大事なのは警報をいつ発令するかという問題。実はとてもシビアな問題で、警報を発令してしまうと交通機関に影響が出る、学校の授業時間に影響が出る、自治体の防災担当者は家から呼び出される。そういう、ありとあらゆることが起こる。その判断をしなくちゃいけないわけです。
だから、非常にリスキーな判断でもあるし、責任の大きい判断でもある。しかし、その判断をいいかげんにすると安全の保障ができない。一方、社会的混乱は避けなければいけない。そういうぎりぎりの場に立たされたときに数学に何ができるか。つまり、数学的なモデルで計算して、それで警報を出せますかという問題。その場に行けば、非常にリスキーで、要するにプレッシャーが非常に大きいので、どうしていいかわからないということになる。そういう場面で、現場にいる人は数学に対する期待が大き過ぎる。だから、どのくらい信頼できるかということについて、相手との合意がないときに非常にやりにくい。
もう一つ。生物学の領域では、数学者から見れば非常に簡単な定式化でも非常に喜んでいただけることがある。おそらく数学者には単なる言いかえに見える定式化でも、生物学の領域では、それなりに価値のあるものだとみなしていただける。つまり、定式化に対する価値評価の違いがはっきりあると私は感じました。ですから、数学者の人が、これは数学的にはほとんどトレビアルだからというようなことで、あまり相手に伝えないよりは、とにかく伝えてみたら意外と価値があるということがたくさんあるのではないかと思います。どこに意味を見出すか、分野によってかなり違うということを感じています。
★第一原理がないビッグデータを数学で読み解く
【加古】 非常に多様な意見が出たので、議論をどうやって先に進めていくか、ちょっとわからないんですけども、私の感想ですけども、数学を使うに当たって、どうも2つ現象があるんじゃないか。1つは自然現象であって、あるいは工学部的な現象もそれに入るかもしれません。そういう現象は第一原理があると私は思っているんです。企業なんかでも、特に自動車業界で成功しているのはそういうことですね。最近は最適化の非常にいいアルゴリズムなんかも出ています。
ところが、私が今、非常に気にしているのは特に社会科学とか、人間がかかわった場合にちゃんとそれが数学的にできるのか。ビッグデータと非常に関係しているんじゃないかと私は思うんですけど、ご意見というか、何か教えていただけませんでしょうか。
【樋口】 第一原理がない、でも、何か共通の法則とは言いませんけど、何らかの制約条件みたいなものが動いているんではないか。法則ではなくて制約条件といったほうがいいんではないかと思います。人間一人一人多様性がありますので、個人の分布というか、多様性をどのように表現していくか。それを解かないと社会科学、人間行動は理解できないと思います。そういう非常に難しい問題に直面したときに第一原理のアプローチしか勉強していない、やり方をアプローチしていない人たちには非常に難しい問題だと思います。
では、そこにおいてはどういうことが可能かというと、拘束条件をある程度押さえることによって、それからのずれを多様性ということで解釈すればモデル化できるんではないか。今、わかりやすくブレークダウンして、こういうふうにしてやったらいいではないかと話しましたけど、この話さえわからない人たちがいっぱいいます。データを取っかかりとしていろいろな知的作業をブレークダウンして組み上げていくというところが重要じゃないかと思います。
★自由な雰囲気から大きな成果が出る?
【加古】 小谷さんに私は聞きたいことがあるんですけども、どうしてそういう信用を勝ち得たかという秘密をちょっと教えていただきたいんです。
【小谷】 それぞれの分野では非常にいい結果が出ている。だけど、それをまとめる仕組みを組織として全くつくっていないという指摘を東北大学はずっと受けてきていたそうです。それをまとめるためにどうしたらいいかということを議論されて、最終的には数学という結論が出たと思っています。
信用があったかどうかというのはよくわからなくて、まず、大変だったのはトップダウンで数学を入れてまとめろというお話になったわけです。材料と全く関係のない人間が来てどうするのかということで、最初はかなり抵抗があって、時々落下傘部隊というような気持も(笑)。ともかく動く手法なり、問題を何人かの数学者、それからインターフェースの方が提供して、実験系の人も興味を持ってくださったことが大きくて、それでこの一年ぐらいはすごくいい雰囲気になっています。
うちの研究所は半分が外国人なので、外国人は数学が入ったと聞くと、「実は僕も数学の人と研究しているんだよ」とか「僕の友人は数学者と研究しているんだよ。だから、こういう問題をやらないか」というふうに、まずポジティブに対応してくださって‥‥。
【会場からの質問】 数学者に昔からちょっと聞いてみたいことがあったので、それは戦後、アメリカで応用数学が発展したと思うんですけども、その経緯を数学者はどう理解しているか。戦争という状況ですぐれた数学者が、無理やり働かされて、それが結構、その後の応用数学の発展に貢献したのかなという個人的な疑いを持っているんです。
だから、すぐれた数学者を閉じ込めて、現実の問題を2年間考えさせるというのは結構有用じゃないか。(笑)
【宮岡】 それについては日本でも、戦争中に統数研ができたというのは多分少しは関係がありまして‥‥。
【加古】 P・D・ラックスが戦後、日本にやられそうだということで応用数学をやらなきゃいけないとか、フランスですと国家的なプロジェクトが非常に大事だということを言った人がいる。日本でもいらっしゃると思いますけども、政府には声が届いていなかったというふうに私は理解していますけど。
【小谷】日常の問題でも机の前で一生懸命計算しているときはわからないんだけど、散歩していると解けるというのはあるので、一定のミッションを与えて、そこに優秀な人がたくさん集まって考えることは意義があると思いますが、そこに自由な雰囲気がないときっと何も生まれないだろうと思います。
【樋口】 数学者、数理科学者を閉じ込めて、好き勝手にやらせると大きな成果が出るかもしれないということを、(笑)文部科学省の方がいらっしゃっていますので、ぜひ何か実現してほしいなと思います。
【加古】 時間ももうそろそろです。人的交流というのは非常に大切だと思いますので、成果をこれから上げるようにしていったらいいんじゃないかと思います。一応、パネルディスカッションは、これでお開きに。
【司会】 どうもありがとうございました。(拍手) 休日にもかかわらず数学協働プログラム開始記念シンポジウムにご参加いただきまして、どうもありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 (拍手)
―― 了 ―― |