研究紹介

調査環境と調査文化の変容を踏まえて

データ科学研究系 松本渉

 標本抽出の実務的方法は、国・地域の事情によって、慣習的に利用されるものが異なることが以前より知られている。日本における選挙人名簿・住民基本台帳を用いた確率的標本抽出、ヨーロッパ等で用いられるランダムルートサンプリングはその例の一つである。このような違いは、各国の調査文化の違いにまで影響している。一般には日本の調査環境は恵まれているといわれてきた。

 しかし、日本における標本抽出の状況も変わりつつある。まず、いわゆる平成の大合併によって、日本の行政区画は一変した。3000近くあった市町村は、2000を割り込んでしまった。国民性調査等の社会調査において、標本抽出における層化デザインは、変更を余儀なくされる可能性がある。さらに、個人情報保護法の制定、公職選挙法の改正、住民基本台帳法の改正により、標本調査を目的とする名簿・台帳の閲覧が難しくなった。マーケティング調査等での住民基本台帳の閲覧は不可能となり、学術調査でも選挙人名簿の利用は、選挙や政治に関するものに限定されるようになった。

 そこで、平成の大合併による行政区画の変容を把握し、標本設計のための調査単位資料を行政的区画(あるいは選挙)関連資料等と結合して、机上実験による検討を行うのが、平成19年度統計数理研究所プロジェクト研究「平成の大合併後における標本抽出について」である。このプロジェクト研究では、区画の変容が社会調査における標本抽出デザインへ与えた影響を、層化による精度の向上の程度の指標(相関比など)の変化を通じて検討する予定である。

 言ってみれば、このプロジェクトは、調査環境の変化に対する直接的な対策の一つである。しかし、日本の調査環境が海外での実情に近づいてきたこと、そして調査環境の違いが調査文化の違いをもたらすことを考えると、海外での調査文化を踏まえた間接的な対策も考えられよう。

 筆者は、一昨年度から昨年度にかけて、ミシガン大学にある社会調査研究所調査研究センターで約1年間の在外研究を行ってきた。この間、海外での調査研究を見聞するうちに、別の視点から、各国の調査の文化の差異が明らかになってきた。一つは、日本で言うところの官庁統計調査や企業調査の類も含めた、組織調査が、学問的な調査研究の文脈で研究されているという実情である。象徴的なのが、日本では、社会調査という言葉が用いられるのに対し、米国では、Social Survey という表現を余り用いられていない。無いわけではないが、日本語の社会調査よりもやや狭い意味に解されるようである。その代わりに単にSurveyという表現を良く用いている。こちらは逆に、日本語の社会調査よりもずっと広い意味になるが、実際に扱っている調査の種類も広範である。例えば、AAPOR(American Association for Public Opinion Research)は、名前とは異なり、世論調査の関係者ばかりではない。研究大会でも、外科医の会員組織の調査を専門とする調査会社の人とお話しする機会があったし、発表されている調査の種類は様々である。

 実際、学術的な調査研究機関も、日本で言うところの官庁統計の調査や企業調査に近いものを主要な調査として手がけていることも多い。このような点を踏まえて海外の調査を見渡すと、(データを事後的にコンバインするタイプの)Mixed Modes 等も、いわゆる意識調査ではなく、非意識項目を取り扱う調査(実態調査)、特に組織調査において発展してきたことがわかる。その一方、日本における調査研究は、個人調査と組織調査、意識調査と実態調査における方法論に関してのノウハウの交流は、比較的少ない。今後は、日本でも社会調査の殻を飛び出し、より広い意味での「調査」方法論を蓄積させることが重要と思われる。

 本年度から、科研費プロジェクト「非営利セクターの展開に関する日米韓国際比較」(若手研究A)を開始する。日本、米国、韓国の三カ国の人々が、どのように公共心を有し、どのように社会貢献を担っているのか、広い意味での非営利部門の展開を把握しようという試みである。個人調査が主たる研究の方法であるが、組織調査も合わせて活用することで、三カ国の非営利セクターの現状を調査し、計量化による把握を進めていく予定である。国際比較の調査研究としての成果も期待されるが、個人調査と組織調査の両者の活用という調査方法論としての新しい試みでもある。

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