響き合う人とデータ―統数研プロジェクト紹介

第11回「先端医療を進歩させるビッグデータ解析とデータサイエンス」

先端医学研究の発展に向け統計手法で科学的エビデンスを構築

ビッグデータの利用環境整備とコンピュータの性能や技術の向上により、統計手法を活用することで臨床医学研究は大きく進化しようとしている。プレシジョンメディシン(精密医療)やネットワークメタアナリシスの研究をリードする統数研チームの取り組みを取材した。

日本でも臨床研究に資する医療統計家の育成が急務に

▲先端医学研究におけるデータサイエンスの研究プロジェクトを担当する野間久史准教授

医療の分野では、古くから統計学の重要性が認められてきた。先進諸国、なかでもアメリカでは、多数の大学が統計学科とは別に独立した「医療統計学科」を設けて人材育成に注力し、毎年多くのPhDホルダーを輩出している。

そうした人材は産官学で求められ、医薬品の開発や承認審査、環境汚染物質の健康影響評価といったリスクアセスメントなどの業務で幅広く活躍している。医療分野でのエビデンスの評価に際し、データサイエンスは欠くことのできないものとして定着しているのだ。

これに対し日本は基礎医学では世界トップクラスにあるものの、臨床医学においては一流ジャーナルの占有率がけっして高いとは言えない状況にあった。そこで不可欠となる医療統計家の重要性も十分に認識されていなかった。

ところが、製薬会社ノバルティスファーマの元社員によるデータ改ざん事件などをきっかけに、その重要性が注目を集めるようになった。これらの事件の一因として、国内の医学アカデミアに臨床試験のマネジメントや解析を専門とする統計家がほとんど配備されていない現状が浮き彫りになったからだ。

統計数理研究所データ科学研究系の野間久史准教授は「これらの事件などを境に、アカデミアの世界に臨床研究の実施体制を整備しようとする機運が高まりました」と話す。

厚生労働省は日本発の革新的医薬品・医療機器等の開発を推進するため、臨床研究中核病院の指定に乗り出した。そこでは要件の一つとして、2名以上の医療統計家の配置を定めている。

産学官共同での人材育成に統計の専門機関として協力

一方、統計家の育成支援の動きも活発化。統数研は統計の専門機関として、その取り組みに積極的に参画している。

その一つが、AMED(日本医療研究開発機構)と日本製薬工業協会が2017年度から実施している生物統計家育成支援事業への協力だ。

同事業では、東京大学と京都大学の両大学院を育成拠点として選定。製薬企業からの寄附金と国の研究資金を基として、医療統計に関する講座を新たに設置した。連携病院などでのOJT研修も行うという。こうした形での産学官共同プロジェクトは日本で初めての取り組みだ。統数研は逸見昌之准教授らを講師として派遣することとなっている。

またその他、文部科学省の健康科学領域の人材育成事業の一環として、医学部の研究者に統計科学のスキルやリテラシーをトレーニングしていく高度専門教育事業も実施している。

現在、統数研の中に健康科学研究センターを創設する計画が検討されており、関係機関との連携を強化することを目的としてコンソーシアム「健康科学研究ネットワーク」も立ち上げる予定だ。

▲スーパーコンピュータを用いた医療ビッグデータ解析を推進する大谷隆浩特任助教▲最先端の数理・機械学習の方法論の開発研究に取り組む菅澤翔之助特任研究員

ビッグデータ解析により展開が進む精密医療

統数研が直接的に取り組むプロジェクトも数多くある。一つは「個別化医療実現のためのビッグデータ解析」がテーマだ。

今、医学の世界では個別化医療への関心が再加熱している。その理由が、従来の個別化医療を大きく前進させる可能性の高い「プレシジョンメディシン(精密医療)」の登場だ。アメリカのオバマ前大統領が2015年の一般教書演説で、Precision Medicine Initiativeを発表したことから注目を集めた。

従来の医療では、患者個々人に対する治療効果や副作用の個人差を十分に予測することができず、疾患や症状において、画一的な医療が行われるのが一般的であった。だが、近年の研究で、ヒトゲノム情報などを基にこの個人差をある程度、予測することができることが明らかになってきた。

プレシジョンメディシンとは、この個人差を的確に予測した、精確な医療を行おうという試みである。ここで中心的な役割を果たすのが、ゲノム情報をはじめとする生体分子情報などの医療ビッグデータの解析だ。大規模なデータを有効に解析し、いかに「大きな治療効果が期待できるサブグループ」を同定するかが、個人の特性に応じた治療法の確立のために重要となる(図1)。

プレシジョンメディシンへの期待が高まったのは、ビッグデータの利活用に関するコンピュータ技術が大きく発展したことや、人工知能の進化やデータサイエンスの方法論の発展など技術面での進歩によるところが大きい。

「どんなにすぐれた医薬品も、万人に同じ効果を与えられるわけではないし、副作用の起こりやすさにも個人差がある。これらを正確に予測できれば、医療のベネフィットを最大化できます」と野間は説明する。

図1:精密医療の概念図。

未解明の医薬品有効性評価が新たな統計手法で大きく前進

最近、統数研の野間らのグループは、名古屋大学・国立がん研究センターなどと共同で、GWAS(ゲノムワイド関連解析)やDNAマイクロアレイを用いて有望な治療効果予測マーカーを精度良くスクリーニングする方法を開発した(図2)。

例として取り上げたのは、多発性骨髄腫へのサリドマイドの有効性評価だ。サリドマイドは、催奇形性の薬害によって1960年代に発売中止になったが、2000年頃からハンセン病や多発性骨髄腫の治療薬として再承認された。

しかし、多発性骨髄腫の臨床試験データでは、無憎悪生存期間の延長には有効であるものの、生存期間についてはプラセボと有意な差が認められていなかった。今回の研究では、DNAマイクロアレイによる数万種類の遺伝子の発現パターンを解析し、生存期間が延びているサブタイプを規定する可能性がある遺伝子が抽出されたという。同様の研究を、抗がん剤や循環器疾患治療薬の臨床試験についても行い、有望な結果が得られている。

サリドマイドの場合はすでに再承認されていたが、有効性が証明できないために認可されず消えていく新薬は少なくない。今後、これらの研究が発展し、有効な患者のサブタイプが特定できれば、そうした薬の承認にもつながるだろう。治療法のなかった難病の患者が救われることも期待できる。

「数万から数百万次元に及ぶ医療ビッグデータを解析するのは臨床医だけではとても不可能であり、データサイエンスの専門家が関与しなければ成功できません。私たちは新薬開発だけでなく、これらのビッグデータを用いた予防医療などに関わる研究もしています」と野間は話す。

図2:新しい治療効果予測マーカーの検出のための方法論。いくつかの臨床試験の解析を通して、有望な結果が得られている。

医薬品の「価値」を精査するネットワークメタアナリシス

統数研チームが手掛けるもう一つの大きなテーマは、ネットワークメタアナリシスの研究手法だ。従来のメタアナリシスは、対象となる治療法を直接比較した臨床試験の結果だけを統合していた。

これに対し、間接的に得られる結果も併せて分析するのが、ネットワークメタアナリシスだ(図3)。例えば、治療薬AとBを比較した試験と、BとCを比較した試験がある場合、この二つの試験結果から、A対Cの結果を間接的に比較するケースなどだ。間接比較を加えることで、統計的検出力が高くなる。

米国において、オバマ前大統領が2010年頃、総合経済政策としてComparative Effectiveness Researchに膨大な投資を行うと宣言したことは有名であり、ネットワークメタアナリシスはそのための重要なツールとなる。

いわゆる「コモンディジーズ」と呼ばれる一般的な疾患では多くの場合、作用の異なる複数の治療法が確立している。薬剤についても、古いものから新しいものまで多種多様で、近年はジェネリック薬品の登場もあり医療費が数倍異なるものもある。

しかし、これらの費用の差は、必ずしも実際の治療法の有効性や安全性を反映したものとは言い切れない。なぜなら、こうした複数の治療法を直接比較した科学的なエビデンスが十分に揃っていないからだ。つまり、費用対効果が十分に検証されることのないまま実臨床で用いられているのが実情。

高齢化の波が世界各国に押し寄せ、社会保障費を増大させている今、限られた医療費の効率的な分配は喫緊の課題となっている。それには、それぞれの治療法の優劣に関するエビデンスが不可欠。ネットワークメタアナリシスは過去に行われた臨床試験などのエビデンスを統合し、そのための知見を得ることのできる研究手法として大きく期待されている。

図3:双極性障害のネットワークメタアナリシス。過去に蓄積されたエビデンスを利用して、多数の薬剤の有効性・安全性を比較することができる。

双極性障害の維持療法に有効な治療薬を比較

「ネットワークメタアナリシスで治療の有効性に関する新しいエビデンスを構築する研究において、統数研は大きな実績を上げています」と野間は胸を張る。

その一つが、九州大学・統数研・京都大学・オックスフォード大学などによる国際共同プロジェクト「双極性障害の維持治療薬の有効性と安全性についての比較研究」だ。躁病とうつ病を繰り返す双極性障害の治療には、急性期の治療に加えて間欠期にも維持療法を行うことが重要。従来、これにはリチウムが標準的な治療薬とされていたが、近年になり、抗てんかん薬や抗うつ薬などを用いる療法の有効性が示唆されていた。

そこで国際共同チームは、過去42年間に合計およそ7000人が参加して実施された33件の臨床試験の結果をネットワークメタアナリシスによって分析。17種の治療法とプラセボを比較した結果、有効性ではリチウムが総合的に最も優れていることを確認した。双極性障害の維持治療に関する研究では世界初の成果であり、その論文は国際一流ジャーナルである『ランセット・サイカイアトリー』に掲載された。統数研は、新しい統計手法であるネットワークメタアナリシスの方法論に関する研究でも成果を上げている。

国内外の大学医学部や大学病院、医療研究機関などとの連携に、積極的に取り組んできた統数研。野間は「今後も理論と実践の両輪で研究を進めていきたい」と抱負を語る。

すでにビッグデータ解析では角田達彦東京医科歯科大学教授を研究代表者とするJST CRESTの「医学・医療における臨床・全ゲノム・オミックスのビッグデータの解析に基づく疾患の原因探索・亜病態分類とリスク予測」、ネットワークメタアナリシスでは古川壽亮京都大学教授を研究代表者とするAMEDの「患者特性に応じた薬物療法・精神療法の個別化医療とその臨床試験プロトコルの開発研究」などもスタートしている。

疾病の治療や予防の可能性を大きく広げる新しいデータサイエンス。国の医療費抑制や効果的・効率的な医療のためにも、難病に苦しむ患者や家族のためにも、その活用に大きな期待がかかっている。

(広報室)


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