響き合う人とデータ―統数研プロジェクト紹介

第6回「データ中心科学による地球環境問題解決を目指す国際ネットワーク構築」

データサイエンスを共通言語として国際的な人材交流をリード

地球環境の変動に起因するさまざまなリスクを低減するために、データ中心科学に期待される役割は大きい。現在、統計数理研究所では、2つの国際ネットワーク形成に向けた取り組みを進めている。アジア環境研究実践ネットワーク形成のための共同研究指針策定の準備と、欧州やシンガポールの研究機関との国際NOE形成戦略策定の準備だ。両者の概略的な内容を紹介する。

地球環境変動によるリスクを解決に導く国際ネットワーク

人間活動が環境へ与える影響に、国境はない。一部の国が個別に環境保護対策を進めても、他国で環境破壊行為が続けば、広域に悪影響を及ぼす懸念は避けられないからだ。この意味で、地球環境問題の解決には、国際的な枠組みによる全地球包括的な取り組みが必須となる。

統計数理研究所の「データ中心科学による地球環境問題解決を目指す国際ネットワーク構築」は、地球の環境変動に起因する諸リスクを低減させるために、データ中心科学の方法論を開発するとともに、それを実践する国際研究ネットワークを構築するプロジェクトだ。吉本敦教授、金藤浩司教授、清水邦夫特命教授、松井知子教授が主導している。

途上国自らによる森林資源管理を目指すワークショップ

▲吉本敦教授

吉本が手がけているのは、カンボジア、ベトナム、ネパールといった発展途上国で森林資源管理の実施に関わる人材を育成する取り組みだ。フリーソフト「R」を用いて統計解析のノウハウを身につけるワークショップを各国で継続的に開催している。2010年のカンボジアを皮切りに回を重ね、これまでに実施したワークショップは6年間で5カ国(カンボジア、ネパール、ベトナム、フィリピン、ラオス)、延べ13回に上る。1回の参加者は30人から50人程度で、合計およそ500人以上が受講した計算だ。統数研は2015年3月にカンボジア森林局森林研究所、ネパールのポカラトリブヴァン大学森林研究所と、また同年6月にはベトナムの森林開発企画研究所とMOU(覚書)を締結した。

ワークショップを始めたのは、吉本がカンボジアの森林研究所に所属している教え子から、実情を聞いたのがきっかけだった。現地の研究者は、国連機関などが同国で実施する森林調査でデータを採取することはあっても、それを解析して目的に応じた森林管理に役立てるには至っていないという。「ローカルニーズに応じて森林資源を適切に利用しながら管理するには、途上国内に統計解析のできる人材を増やすことが重要だと考えました」と吉本は振り返る。

統計手法を使えば、相反する資源の利用と保全をうまく両立させることが可能になる。例えば、整数計画法を用いて、「隣接し合う土地の利用を同時期に行うことができない」という条件を加えれば、大規模な資源開発を回避することができる。また、火災や病害虫の被害が拡散するパターンを考慮して植生状態の空間配置を制御すれば、被害規模の軽減に役立つ。

だが、高額な市販ソフトを使用したのでは、途上国での普及は難しい。そこで、吉本が目を付けたのが、無料でインストールできるオープンソースの統計解析ソフト「R」だった。まずはカンボジアで、Rを用いて統計学の基礎を習得するワークショップを開催することにした。最近では、Rを使いこなす人材が増え、初期の参加者が他の研究員に使い方を教えるなどの広がりも出てきた。ワークショップ前日、自発的にレビューを行う参加者たちの熱意に、吉本は目を細めている。

統計的な管理手法は林業だけでなく農業や漁業といった他の第一次産業にも展開できることから、途上国の食糧問題を根幹でサポートすることにもつながる。将来的には各国のデータをデータベース化し、統数研とクラウドで結ぶことも考えられる。

プロジェクトの意義について、吉本は次のように語る。「統数研が取りまとめをすることで、各国のデータを通した広域のモニタリングができる。一方で、途上国側はそのデータベースを使って自国の資源を有効に利用できる。日本と途上国の双方にメリットがあるはずです」

各国のデータを共有するには、信頼関係の構築が何よりも重要。地道なワークショップの開催を通じて自然に良好な関係ができつつあるという。

写真1:2011年にカンボジアでワークショップを開催したときには、現地の森林を視察した。写真中央が吉本。 写真2:写真の右側は、日本に留学していたときの吉本の教え子、カンボジア森林局森林研究所所長のSokh Heng氏。

旧知の教授との縁が取り持つマレーシアとの研究者間交流

▲清水邦夫特命教授

一方、20年近くにわたりマレーシアのマラヤ大学と研究者間交流を続けているのが清水だ。同大学はマレーシアのトップ校で、世界でも上位に位置づけられる国立の総合大学。清水は1997年にインドで開催された国際集会で、同大学数理科学研究所のOng Seng Huat教授と出会った。

Ong教授の手がける離散分布論の研究分野が、清水の研究対象と近かったことから、二人は意気投合。以来、清水は毎年のようにマラヤ大学を訪れるとともに、当時所属していた慶應義塾大学にOng教授を招き、離散分布論に関して共同研究をしてきた。同教授を通じてマラヤ大学の教員や学生との交流も広がった。

2014年に統数研統計思考院の特命教授となった清水は、統数研とマレーシアの大学、研究所との交流の橋渡し役を担うことになる。同年11月にクアラルンプールで開催された統計学の国際会議ICMSFMの準備にも協力し、統数研の樋口知之所長がキーノートスピーカーとして招待されることになった。会議の翌日は、統数研からの参加者とともにマラヤ大学を訪れ、研究交流の輪を広げた。

現在、清水は金藤らとともに、マレーシアにおける地すべりリスク評価手法開発のプロジェクトを進めている。このプロジェクトでは、部分的にマレーシア科学大学のグループと協働している。清水は「日本がASEAN諸国との良好な関係を築くには、支援だけではなく、一緒に研究を進めるスタンスが望ましいと思っています」と話し、このプロジェクトに期待している。

写真3:マラヤ大学にて、同大学数理科学研究所の若手教員と清水。向かって左から、Ng Choung Min、清水、井本智明(現・静岡県立大学;当時 統計数理研究所)、Sim Shin Zhuの各氏。 写真4:清水が統数研の樋口所長らとマラヤ大学を訪れたときのセミナー風景。

「つぶやき」の分析で都市インテリジェンスを向上

▲松井知子教授

松井は、ビッグデータのための理論と方法について国際連携を進めている。連携先は、統数研がMOUを締結しているシンガポールのインフォコム研究所、スイスのETH Zurichリスク研究所、フランスのIRCICA、イギリスのロンドン大学など先進5カ国の8大学・研究所。これらの連携の母体となったのは、松井とロンドン大学のピーター・ギャレス博士が中心となり、3年にわたり開催してきたSTM(Spatial-Temporal Modeling; 時空間モデリング)のワークショップだ。

2015年2月に東京・立川の統数研で開催したワークショップには、日英のみならず世界中の同分野の研究者およそ50人が参加。5日間の会期で熱い議論を交わした。松井がギャレス博士とともに、このワークショップに参加した国立環境研究所の山形与志樹博士、村上大輔博士と行った共同研究が「ツイートを利用した都市気温の解析」だ。

各地の気温の推移は気象庁などでも観測しているが、拠点数も時間間隔もスパース(疎)だ。そこで、この研究では、都市の各所でツイッター上に絶え間なく投稿される「暑い」「だるい」といった“つぶやき”(ヒートツイート)を利用し、既存の観測法による気象データを空間的、時間的に補間する統計・機械学習の方法を検討した。

松井らは、単純な相関ではない2種類のデータの関係を細かく決められる「コピュラモデル」を用いて、気温補間にヒートツイートが有用できることを確認。熱波で問題となるupper tail(気温は高い/気温変化は大きい/ヒートツイートは多い時に相当)では特に、気温変化がヒートツイートに関係していることなどを発見した。また、S-BLUE法の枠組みを用いて、気温データとヒートツイートを組み合わせたモデルによって、東京の中心部のヒートアイランド現象を捉えることに成功した。

地球規模の異常気象などのメカニズムの解明は、各地の防災にも直結する。今年4月、松井は同ワークショップのメンバーに声を掛け、「都市インテリジェンス研究プロジェクト」を立ち上げた。環境・エネルギーや農業の状況解析からリスク管理、セキュリティ統合、都市レジリエンスボンド設計までを俯瞰的に行うための統計数理や機械学習に基づく技術とその理論を研究開発するもの。目標は、都市レジリエンスの向上だ。

「東日本大震災をきっかけに、防災を含めて社会的に重要な課題に対し、自分のできることをしたいと考えるようになりました。STMワークショップを通し国籍を問わず気心の知れた研究仲間ができたので、彼らとともに研究を進め、統計数理が有効に使えることを社会に示していきたい」。松井はそう話し、意欲をのぞかせた。

国境に関わりなく発現する地球環境問題や異常気象。これに立ち向かう統計数理学者たちもまた、国境を越えてデータサイエンスの言葉で語り合い、ネットワークを広げている。

写真5:2015年7月13日から17日に開催されたビッグデータワークショップ「STM 2015 & CSM 2015」の様子。奥側左が松井。 写真6:英国、日本、フランス、中国など10カ国以上から延べ55人の研究者や技術者が一堂に会した。

(広報室)


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