響き合う人とデータ―統数研プロジェクト紹介

第2回「数学協働プログラム」

社会の問題解決に数学の底力を発揮

統計数理研究所が手掛ける数々のプロジェクトを紹介するシリーズの第2回。統数研が事務局となって、数学と諸科学や産業との連携拠点をネットワーク型で形成する「数学・数理科学と諸科学・産業との協働によるイノベーション創出のための研究促進プログラム(数学協働プログラム)」を取り上げる。

数学と諸科学・産業との連携でイノベーションを創出

日本ではこの10年で、他分野の諸科学・産業界から数学や数学者へ向けられる眼差しが、一気に熱を帯びてきた。これらの分野でブレークスルーを起こすには、複雑化する対象の中に潜む論理構造を見出すことが必須。その課題解決に欠かせないのが、数学的アプローチだからだ。数学研究者との連携のニーズは、ますます高まっている。一方で数学自体、諸科学・産業と出会うことで、学問として発展することが期待される。

この潮流の端緒は2007年度、独立行政法人科学技術振興機構(JST)による戦略的創造研究推進事業「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」領域の設置に遡る。2011年には文部科学省と大学などの共催による「数学・数理科学と諸科学・産業との連携研究ワークショップ」なども始まった。こうした協働による研究推進の機運の高まりを受けて、2012年度から5年計画でスタートしたのが、文科省の委託事業である数学協働プログラムだ。

特徴は、「数学・数理科学によって解決が期待できる課題を発掘し、諸科学・産業と協働して問題解決に当たる」という明確なミッションを掲げている点だ。これを具現化するために、「ワークショップの公募・審査・実施」「スタディグループの公募・審査・実施」「諸科学・産業向けチュートリアルの実施」「作業グループの設置・活動」「情報の収集と共有・発信」などを実施している(図1)。

図1:数学協働プログラムの5つの活動。

同プログラムの代表には統数研の樋口知之所長、実施責任者には伊藤聡副所長が就任。外部有識者で構成される運営委員会を設置し、関連学会や大学、諸科学、産業界の意見を運営に反映する体制を築いた。ネットワークは大学共同利用機関である統数研を核に、京都大学数理解析研究所、九州大学マス・フォア・インダストリ研究所、明治大学先端数理科学インスティテュートを含む全国8協力機関からなる(図2)。

伊藤は「これほど多くの大学同士が協力して進める事業は、他分野でもなかなかありません。数学に関する共同利用・共同研究拠点は全国に3拠点ありますが、その京都大、九州大、明治大の附置研究所が集結して協働する意義も大きい。しかも、私立の共同利用・共同研究拠点を含む大学間協力による事業はこれが初めて、かつ唯一のものです」と胸を張る。

▲本プログラムの実施責任者を務める伊藤聡副所長。 図2:受託機関および協力機関。

数学者と諸科学・産業の研究者が協働してテーマを深掘り

活動の目玉の一つはスタディグループ。少人数の研究者が集まり、産業界から提示された具体的な課題について、数日から1週間かけて集中的に討議し、解決の道筋を探る試みだ。1960年代に英国オックスフォード大学で生まれたこのセッションを日本にも根づかせようと、近年、東京大学などが導入。数学協働プログラムでは、課題を諸科学分野からも募り、取り上げていく方針だ。伊藤は「数学や統計学にとっても、これまで気づいていなかった課題が提示されることを期待しています」と話す。

これに対し、まだ具体的な課題とはなっていない萌芽的なテーマを探す役割はワークショップが担う。数学・数理科学へのニーズの発掘に重点を置き、若手研究者向けの奨励枠も設けた。

スタディグループとワークショップは次の6つの重点テーマについて公募し、採択する。「ビッグデータ、複雑な現象やシステムなどの構造の解明」「疎構造データからの大域構造の推論」「過去の経験的事実、人間の行動などの定式化」「計測・予測・可視化の数理」「リスク管理の数理」「最適化と制御の数理」だ。採択の審査をする運営委員会には前述の8協力機関のほか、日本数学会、日本応用数理学会、日本統計学会、産業界からも委員を招聘している。

一方、統数研が主導して諸科学・産業界へ積極的にアプローチしようというのが作業グループだ。伊藤は「テーマが外から持ち込まれるスタディグループやワークショップを“待ち”の姿勢とすれば、こちらは数学側からの“攻め”と言えます」と力を込める。

広く浅く、狭く深く。外を取り込み、内を拡張する――プログラムの全容は、じつに自由で躍動的だ。

一大転回点となった報告書「忘れられた科学―数学」

このプログラムをはじめ、数学と諸科学・産業との連携を目的とする取り組みが急速に進んだことには、きっかけがあった。2006年に文部科学省科学技術政策研究所が公表した報告書「忘れられた科学―数学 主要国の数学研究を取り巻く状況及び我が国の科学における数学の必要性」だ。「数学が忘れられた存在に陥っているというタイトルに、数学者たちは皆、大きな衝撃を受けました」と伊藤は振り返る。

同報告書は、日本は数学研究費の規模が主要国に比べて小さすぎること、数学研究者を継ぐ人材が足りないこと、他分野の研究者が数学の必要性を感じているにもかかわらず協力体制が整っていないことを指摘。数学研究の強力な振興の必要性を説くとともに、政府研究資金の拡充や数学と他分野の連携拠点の構築、数学研究者と産業界の共同研究の具体的な検討などの対策を提言するものだった。文部科学省は、これを受けて数学イノベーションユニットを立ち上げ、従来の枠を超えて数学を活用し、新たな価値を創出する取り組みに着手したのである。以後の急進展ぶりは、冒頭に記したとおりだ。

報告された状況の背景には、日本独特の数学の定義の仕方がある。海外では純粋数学と応用数学、数理科学を包括して数学と呼ぶが、日本では数学と言えば純粋数学をイメージする人が多い。丸山直昌准教授は「応用数学や統計学はとっくに諸科学・産業に活用されていましたが、これらは日本では工学と見なされる。そのせいで、実業の役に立つ数学本来の姿が、世の中から見えにくくなっていたのでしょう」と分析する。

▲公募の電子申請や情報発信などのシステム管理・運用を担当する丸山直昌准教授。 ▲ワークショップやシンポジウムの開催は、手作りのチラシなどで積極的に広報している。

将来に向けた課題を担う若手人材の育成にも注力

4年目を迎えた数学協働プログラムは、すでにさまざまな実績を上げている。例えば、スタディグループに関しては、鉄道総合技術研究所や宇宙航空研究開発機構との取り組みなどで、数学者の広く深い知識や、データを多角的に捉えて活用する統計学者のスキルが生きた事例が生まれている(図3)。またワークショップは、昨年度は21件を採択し、それぞれ1年間かけて実施した。

図3:スタディグループの事例。

作業グループは材料科学と生命科学の2分野で設置し、勉強会の開催などを通じて数学を活用できる課題を抽出してきた。数理・材料科学作業グループのコーディネーターを務める松江要特任助教は「数学と材料科学の結びつきはまだ薄いのが実情ですが、企業の人と話すとニーズはすごく感じます。作業グループで両者の橋渡しをしていきたい」と手応えを示す。数理・生命科学作業グループを担当する藤澤洋徳教授は「生命科学の分野では、古くから数学・数理科学が使われてきた実績があります。それを基に、生命科学者の立場から数学を使う未解決の課題を挙げてもらい、将来に向けたオープンプロブレムとして提言書にまとめました」と話す。長いスパンで先を見越した取り組みであることから、作業グループのメンバーには、特に若手の研究者を起用したことも特筆すべき点だ。

次世代を担う人材の育成に向けて、学生をターゲットとしたイベントにも注力している。2014年11月に東京の日本科学未来館で開催したJST主催のイベント「サイエンスアゴラ」では、動物の動きを模したロボットを展示し、子どもたちの人気を集めた。ロボットの制作から現地での説明までを手掛けた風間俊哉特任助教は「生きものの動きを数式に変換してからロボットを作ったのですが、子どもにはそこをしっかり説明しました。数学に興味を持ってもらうきっかけになれば」と微笑む。

伊藤はここまでの事業を踏まえて次のように展望を語る。「協働には多くの数学研究者に携わってもらいたいし、企業側にも数学との連携に興味を持つ人が増えてほしい。そのためにも、このプログラムの成果を目に見える形で残したいと思っています」。数学によるイノベーションの成功は、将来に向けて日本が世界の中で存在感を示す一助となるに違いない。

(広報室)

▲スタディグループでは少人数の研究者が膝詰めで議論し、短期間で課題解決の方向性を見出す。 ▲サイエンスアゴラでは、数学を使って動きを制御した生物模倣型ロボットを実演し、子どもたちにアピール。
▲数理・生命科学作業グループとスタディグループ担当の藤澤洋徳教授。 ▲数理・生命科学作業グループをサポートする事務局専従の風間俊哉特任助教。サイエンスアゴラでのロボット展示・実演も担当した。 ▲事務局専従の松江要特任助教。数理・材料科学作業グループやイベント告知チラシ制作などを担当。

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