コラム

「学者になる日」

日野 英逸(先端データサイエンス研究系)

小さい頃から、一つの専門に人生を捧げた人への憧れがあった。紅の豚のピッコロのおやじだったり、ドラゴンランス戦記のレイストリンだったり。研究を生業とすることにしたのも、そんな幼少期からの専門家への憧憬かも知れない。今でも、一つのテーマを深く堀り下げて、かつ美学を持って研究している学者肌の人を無条件に尊敬してしまう傾向がある。

大学の学部の頃にうすうすと、大学院修士課程ではっきりと、自分が一つ事に深く取り組む根気も才も無いとわかってアカデミックの世界で生きていくことを諦めたものの、少しだけ民間企業で働いているあいだに一念発起して退職し学位を取り、いくつかのポストを経て統数研の末席を汚すに至る。統数研には個人商店みたいな研究者が多く在籍していて、高い専門性を持つ人が多い。このような環境に飛び込むのは勇気が必要で、前任地から異動する際には本当に不安だった。着任してみると小さい研究所ならでは風通しのよさと優れた研究者に揉まれることで、大変充実した日々を送ることができている。

折しも本コラム執筆の依頼を受けた日に、地球惑星科学の研究をしていた作家が第172回直木賞受賞とのニュースを目にした。古地磁気学で学位を取得されたようで、「磁極反転の日」という作品も書いている。たまたま総研大データサイエンティスト型研究者人材養成システム事業の一環として古地磁気学を専門とするポスドクの方と地磁気反転頻度に関する論文の最後の詰めをしている最中で、上述の磁極反転の日という作品も共著の極地研の先生に教えてもらった。こうした楽しい偶然があるのも統計科学の研究者の醍醐味なので、好奇心を失わずに歳を重ねたいものである。

私自身はやはりひとつのことを追求する方向では力を発揮できずつまみ食いのような研究スタイルでやっているが、そのときどきで興味の向いた研究をするのも、研究の縦串と横串があると考えると悪くないと思うようになった。眼の前にある問題解決が重要なことは論を俟たず、統計科学は地に足のついた課題に正面から向き合うことで本質的な進歩があるものかと思う。それは、個々人の興味に従う自由な研究と相容れないものではないだろう。学者気質には欠けている自分は、興味の赴くままにテーマを渡り歩き気になるものにはとりあえず手を伸ばすスタイルだが、腰を据えて一つのテーマを掘り下げじっくりと積み重ねていくスタンスの人と補完しあうことがある程度できていると感じている。

何をやっているか自分でもよくわかってないままこれまでやってきたが、幸運なことに共同研究者との議論の中で、ライフワークとでも言うべきテーマもいくつか見つかっている。誰だったかの小説で、「一人の人間が生涯ずっと天才であることは稀であり、何かをしているごく短い期間にだけ天才であるようなことはよくある」という趣旨の文章を読んだ記憶がある。学者も同様で、数理モデルを矯めつ眇めつしている瞬間は学者でいられるのかも知れない。

紅の豚の舞台とされるドゥブロヴニクはまだ訪れることができていない。写真は隣国スロベニアが誇る「アルプスの瞳」ブレッド湖。

ブレッド湖近くのヴィントガル峡谷。いずれも2009年ECML参加の際の写真。

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