コラム

統計学の科学哲学

島谷 健一郎(学際統計数理研究系)

統計学に携わる研究者も、しばしば著書や論文の中で科学哲学的な主張や解説を書く。ところで、科学哲学的なことを書くことと、哲学の学術誌に論文を公表することの間には大きな差がある。和文限定で簡単に検索しただけで、林知己夫氏、赤池弘次氏、柳本武美氏が科学基礎論研究や科学哲学という学術誌で公表している論文がみつかるように、統数研では学術論文レベルの科学哲学も実践されてきている。

筆者も日本科学基礎論学会が出版している英文誌のSpecial Issue: Philosophy of Statisticsで2021年に論文を出した。ただ、内容的に科学哲学の論文とは言い難い。最近の階層ベイズモデルを用いた研究を例示し、哲学論文の多くが古典的検定やベイズ主義ばかり論じている点を指摘したに過ぎない。

そもそも科学哲学者は、デカルトやラプラスなど代表的な古典を読破した上で自分の論考を展開する。筆者が有する啓蒙書レベルの知識では、論文を書く以前に読んで理解するレベルにも至らない。

にもかかわらず、科学哲学の科研費の研究グループに8年間も所属していた。成果を発表しないといけない。苦肉の策が、生物学誌や統計学誌に出た科学哲学的論文を引用している哲学論文の、その引用箇所に絞って解読する。逆に哲学誌の論文を引用している生物学や統計学の論文を精査する。こうして生物学や統計学と科学哲学のフィードバックが行われた事例を国際・国内会議で発表し、「統計数理」の特集「諸科学における統計数理モデリングの拡がりII」で公表した。これで精一杯だった。

意外だったのは、哲学者は存外に哲学の成果が先端科学現場に生かされている事例があることを知らないという現状だった。

そんな統計学の科学哲学だが、統計教育に有益な知見をもたらす。2018年の公開講座「科学哲学の視点からの統計学再入門」において、森元良太講師は、

1.統計学をデータに適用するときの中核は帰納推論である。

2.データの分布を観るとき、誤差論的思考と集団的思考があり、生物や人間社会を扱うときに重要なのは後者である。

と講義した。この2つの視点は高校や中学も含めた統計教育で教員が抱えがちな教えにくさ・モヤモヤ感を緩和する。

2024年3月の統計教育の方法論ワークショップで、オレンジジュースのビタミンを計量する実験が紹介された。測定者によって数値は違ってくる。これは誤差論思考で考察する。ところで授業後の生徒さんの感想に、同じ実験を果物でやってみたいというものがあった。果物のビタミン含有量は1個1個異なるが、それは果物という集団に変異があるからで、これは集団的思考である。測定値は誤差を含むから、2つの思考を使い分けないと混乱する。

1の帰納推論については、「ポスト近代科学としての統計科学」(数学セミナー2007年11月号)など田邉國士氏の優れた論説を参照されたい。

統計教育の中の数学の部分は、定理・証明をある程度理解している数学系教員が適している。しかし実データに適用して帰納推論を行うときは、理科や社会系の教員のほうが適している。物理や化学系は誤差論思考に強いが、生物や人間科学では集団的思考が肝心である。

科学哲学の視点により、統計教育現場における教えにくさ・モヤモヤ感の一因が見えてくる。そんな森元氏の教科書が近代科学社統計スポットライトシリーズから年内に出版される。

集団生物学のモデルでは図の3者の間にトレードオフがあるという生物学誌の論文は、科学哲学誌で繰り返し論考され、生物学へフィードバックされている。

データの分布を観るとき、2つの異なる思考を認識しておかないと混乱を招く。

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