コラム

歴史の節目に統計学

三分一 史和(モデリング研究系)

 2019年から流行の新型コロナの分類は5類感染症へ変更になり、テレビでお馴染みだったコメンテーターを目にすることはめっきり少なくなった。連日、感染者数の増減云々がセンセーショナルに報道されていた当時は、アナウンサーやタレントまでも、PCRと抗原検査の性能評価で感度、特異度、検定、有意性などの統計用語を使うようになり、ある意味、統計学がより身近になったのではないであろうか。関連して、2011年の震災と原発事故で“安全神話”が崩壊したとき以来、「可能性はゼロではない」という言い回しを耳にすることが増えた(責任逃れに使われることが多いが)。これは、確率的思考が徐々に一般にも浸透していることなのかもしれない。

 話をコロナに戻す。ある時期に様々な感染者数の予測モデルが出され、“予測合戦”の相を呈するようになった。しかし、その予測に使うデータ収集には、FAXや手入力などアナログ的なプロセスがボトルネックとなり、実態の把握が追い付かなく、医療機関がパンクし多くの患者が放置される一因になった。政府の迷走、責任回避、情報と分析の欠如など先の大戦中との類似性を唱え、「コロナ敗戦」と呼ぶ歴史学者もいる。

 では、その戦時中はどのような様子であったのであろうか。日本では第一次世界大戦後に様々なデータの収集と分析が行われはじめ、統計学の重要性の認識が進んでいた。しかし、先の大戦前から統制経済へと移行し、統計は分析ではなく報告程度の扱いになり、データは省庁ごとに囲い込まれ、秘匿や捏造が頻発した。戦略や物資の配分、兵員配置、生産管理などの多岐にわたる意思決定に支障が出るのは必然である。ようやく大戦末期になり、軍部も事の重大性に気づき、統計数理研究所の設立へと繋がったのであるが、遅きに失していたのは自明である。戦後、マッカーサーがStuart A.Rice博士に日本の統計再建と勧告を委任し、1947年から1951年にかけてライス・レポートと呼ばれる3部の報告書にまとめられた(図1)。

 戦後、GHQ、日本政府、学者、官僚が参画する統計委員会が発足し、統計法も公布され、国際的な信用も向上した。しかし、その後、徐々に各省庁での統計業務は一般の官僚が行う閑職へと追いやられ、データ収集の目的意識も希薄になっていった。その綻びは2018年と2021年に厚労省と国交省における統計不正問題として発覚し、歴史は繰り返されることになった。

 そのようなことが忘れかけられていた2022年11月にOpenAI社がChatGPTをリリースし、連日、黒船来襲であるかのような報道が続いた。大規模言語モデルや統計学についての専門家のインタビューや解説記事が氾濫状態で、再び、「統計学」という語を耳にする機会が多くなった。

 統計学は地味な学問であるが、このように、良きにつけ悪しきにつけ歴史の節目に現れる。「未来が現在の成れの果ての姿」にならないように、現在における統計学の学問側面、そして、社会の中での取り扱われ方が歴史的にどのような位置付けになるのか、未来の研究者にどのように引き継いでいくか、節目ごとに立ち止まって考えてみる必要があるように思う。図2はAIに“統計数理研究所”というプロンプトを与え生成された画像である。因みに、図1のRice博士の画像はAIによりアップスケールしたものである。

図1 Rice博士とライス・レポートの表紙(部分)[引用]顔写真: The International Statistical Institute HPよりレポート表紙: ウィスコンシン大学図書館より

図2 AIに生成させた“統計数理研究所”の画像

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