コラム

「ことば」と「こころ」の時代変化と加齢効果

前田 忠彦(データ科学研究系)

 1994年4月に採用されたので、もう30年近くも統数研に在籍していることになる。気づいてみれば研究所の中でも相当な古株になった。長く在籍しているということは年も食ったということである。コロナ禍の在宅勤務の解除で出勤者が増え、久しぶりに同年配の教員と廊下ですれ違って「彼、白髪頭になったなぁ」などと思いながらトイレに向かう。手洗い場の鏡で自分の同じ様な姿に苦笑し、世話になった先輩が開発した統計モデルの用語では「加齢効果だ」などと独りごちる。

 この間に研究所も変わったと思う点はいくつかある。特任教員・研究員の数が増え、顔はおろか名前すら知らない研究教育職員の数は過去の比ではない。客員教員も増えた。国からの運営費交付金のカットへの対応で、予算の獲得のために研究所全体としては概算要求案件を執行部が練り続け、個人としては毎年のように外部資金の獲得に奔走する。これは統数研に限ったことではないだろうが、かつてはもう少しノンビリ構えていられた気がする。こうした事情も手伝って外部組織との連携の機会が増える。もちろん新しいアイデアに基づく外部資金への応募案や研究者同士の共同研究から自然に生じた連携の発展を考えるのは楽しいのだが、予算獲得のために声高に必要性を説かれ、風呂敷を拡げることの後ろめたさや採択されなかったときの徒労感の予期から、何やら居心地の悪さを感じることもある。一言でいえば落ち着かない。共創ってナニ、辞書にあったっけ? 研究に向かう「こころ」が変化したと感じる。

 研究とは少し違う面での変化を感じるところもある。教員同士が「○○先生」と敬称を付けて呼ぶ習慣が浸透したことである。かつての所内では先輩教員相手でも○○さんと呼んでいた。技術職員から教員へも「さん」付けだ。ことばも変化する。敬語がより丁寧になっていくのは、日本社会の長期トレンドなのかも知れないが(時代効果という...)、この所内の変化は少数のオピニオンリーダーの影響下で比較的急速に生じたというのが私の見立てである。

 特に根拠も示さずに日本社会の敬語の変化ということを述べたが、長期にわたる社会の変化を確実に捉えるのは、そう易しいことではない。ことばの変化は国語研(国立国語研究所、お隣の敷地にある)に訊けと相場が決まっている。通時コーパスや経年言語調査(左の図)の分析で結果を教えてくれるだろう。設立は統数研のほうが4年ほど先だが、草創期から長らく連携関係にあり、私自身も複数のプロジェクトで連携している。ことばの変化は国語研、では「こころの変化」は?

 統数研で日本社会のこころの変化を統計的調査によって捉えようという研究が1953年に開始された「日本人の国民性調査」である(右の図)。古希を迎えるこのプロジェクトの責任者として、次の調査の準備を進めている。

 さて、この原稿にも一箇所、古い語形をご存知の方には少し不自然に感じられるだろう表現を残してみた。表現の使用例が増えると社会での許容度もあがるのか? 国語研の先生に訊いてみようか。読者の皆さんには気づいていただけただろうか。

図.国立国語研究所の「岡崎敬語調査データベース」の一部。同研究所による経年調査の一例で、統数研も協力。クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下で提供されている。

図. 日本人の国民性調査から「一番大切なものは何か」という回答の1958年からの推移。近年は頭打ちだが、赤線で示した「一番大切なものは家族」という回答が伸び続けていた。

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