コラム

「EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング)に向けた歴史的転換点」

南 和宏(データ科学研究系)

 コロナ禍の生活は長くなり、研究所でも対面で人に会う機会は大きく減っている。我々の社会に大変な試練を与えていることは間違いないが、平時であれば困難な社会の変革が大きく進み、リモートワーク、オンライン会議は完全に日常の一部となった。その中でもう一つの大きな変革は、データ利活用の社会への普及ではないだろうか。毎日のニュースで新規陽性者数の推移を示す棒グラフを見て一喜一憂してきたが、これほどデータが全面に出てくるニュースの話題はなかったように思う。感染数はもちろん、実効再生産数、病床使用率、ワクチン接種率、さらには数理モデルによる感染予測シミュレーションの結果等々、様々なデータがメディアに取り上げられ、議論されてきた。東京都の「新型コロナウイルス感染症対策サイト」では、都内の最新感染動向を様々なモニタリング指標で示すとともに、感染者単位のミクロデータをオープンデータとして公開している。私が非常勤講師として中央大学で担当する「データサイエンス」の入門コースでは、そのミクロデータを利用して、感染者数を日別に集計した棒グラフをR言語で作成する演習を行っている。

 感染症の防止の部分に関しては、感染者数、病床使用率といったように目的の指標に数値化されたため、自ずとそれに対する政策の立案、有効性の検証も多くの専門家を巻き込む形でデータに基づいて議論されてきたように思う。統計数理研究所でも「新型コロナウイルス対応プロジェクト」が立ち上げられ、多くの研究成果を発信している。これは歴史の長期的視点で見ると、我が国のEBPM(証拠に基づく政策立案)への大きな潮流の節目かもしれない。EBPMはEvidence-Based Policy Makingの略語であり、国が行う政策をこれまでのような経験則ではなくデータに基づき正当評価をしようという取り組みである。近年、我が国において様々な省庁、自治体等の行政組織で積極的に推進されてきているが、データの重要性が社会的に広く認識された今日、そうした取組が飛躍的に進展することが期待される。

 ただし、現状の日本においてEBPMを推進する体制はまだ十分とは言えない。それはEBPMに必要なデータが存在しないという理由ではない。総務省統計局のホームページを見ると、国勢調査、家計調査等、多種多様な統計調査が数多く実施されていることに驚かされる。問題は、これらの「官製ビッグデータ」を活用できる専門性をもつ人材が現在の行政組織に著しく不足している点にある。官庁データサイエンティスト育成の取り組みも始まっているがかなり時間を要すると予想される。この人材不足を補う有望な解決策として考えられるのは、統計調査のミクロデータを外部の研究者に2次的に提供し、様々な学術研究から得られる知見を通してデータの価値を実証し、社会的な事象間の因果関係を導出する方法論を整備していく道である。政策立案と学術研究の方向性は必ずしも一致するわけではないが、新型コロナの感染症対策では、多くの研究者が学術研究の成果をもとに具体的な提言を行った。同様のことは、経済、教育、社会学の分野でも可能であろう。

 近年、このような公的統計のミクロデータを外部の研究者が利用するための制度は整備されてきており、データ分析を行うオンサイト施設が日本各地の大学、研究機関に整備されつつある。情報・システム研究機構のデータサイエンス共同利用基盤施設(統計数理研究所と同じ敷地)においてもオンサイト施設が設置されており、外部の研究者の方々にも赤池ゲストハウスの利用と合わせて、集中的な分析活動に活用いただいているようで幸いである。

図1:東京都の「新型コロナウイルス感染症対策サイト」のミクロデータを用い、R言語で作成した新型コロナ陽性者の日別による推移を示すグラフ

図2:データサイエンス共同利用基盤施設のオンサイト室

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