コラム

「専門家」という魔物

石黒 真木夫(名誉教授)

 私は時系列解析の専門家です。ティックデータの簡単な分析をしてその扱いを誤ると経済格差拡大につながりかねないことに気付いたのですが、その気掛かりを普通の人に伝えるのは簡単ではないと感じ、「専門家」と「普通の人」の関係についていろいろ考えました。

 詳しいことは研究所の機関リポジトリに登録した「株式市場に潜むマクスウェルの魔」(http://hdl.handle.net/10787/00034293)をご覧いただきたいですが、金の取引価格の変動速度の自己相関関数を描いてみたら本稿末尾のグラフが得られ、少なくとも10秒ほどは価格変動速度が維持されていることが分かりました。別の金融商品の値動きに金価格の値動きと独立な成分が含まれているということがありえます。これは、高速通信によって金融商品価格情報を入手し即座に売買できるならほぼ確実に利益を挙げられることを示しています。時系列解析の用語を知っている人にはここに書いたことで、ティックデータの扱いを誤ると経済格差拡大につながりかねないことを分かってもらえるでしょうが、専門用語を駆使した専門家の知識を普通の人に伝えるのは難しいものです。

 専門家というとcovid-19への対応が始まった時期に新型コロナ感染症対策専門家会議という組織が作られたことが思いだされます。事態の把握に感染症専門家の知識が必要で、そのための組織が作られたと思ったのですが、その言動を見聞きしているうちに、そうではないということがわかってきました。そもそも「対策専門家会議」という命名が事態把握と行動を分離しておらず専門家の位置付けを誤っているように思われました。その後しきりに話題になった「非常事態宣言」という言葉が、事態認識を言うものなのか、ある具体的方策の実施を言うものなのかよくわからなかったのも同じことの現われと思われます。そして2年以上対策に明け暮れた時点での政府発表が「21日に期限を迎える18都道府県のまん延防止等重点措置については、同日をもって全て解除することといたします。明日、専門家に諮問し、国会に報告の上、正式に決定いたします。」というもので結局、「専門家」による事実認定に基づく政策決定という形は作られずに終わりそうです。事実認定の中に「分からない」ということもあり得ますが事実を事実として明確に言う勇気を持つべきだし科学的根拠をもってそう言えるのは専門家だけです。それに基づいて普通の人が意思決定するしかないでしょう。

 専門家の生活では論文を書くことが大切で、論文の価値は他の専門家による「ピアレビュー」で計られます。その結果つい他の専門家の存在が視野のなかで大きくなってきますが、読者のなかに普通の人がいることを忘れないことが大切と思われます。専門家として備えるべき知識のひとつに当該分野に関する「普通の人」の「無知」に関する知識があると考えるべきです。知識を蓄積して問い合わせがあればお答えしますという姿勢だけで済ますのではなく、専門家というのがどういうものなのかを知ってもらう努力が必須でしょう。

 私の経験では、何かに愛着があって、そのことに時間をつぎ込んだ人が専門家になるように思います。愛着がどこから生ずるのかは不明で「魔物」にとりつかれるようなものだと考えるしかないと思われます。この魔物にとりつかれた人たちを「普通の人」が見ると非生産的な余計なことをしているように見える。ときにこの「無理解」が引き起こす事件があるように思われます。しかし「魔物」にとりつかれてしきりに石を割ってはかけらを見つめていた祖先がいなかったら現在の我々の生活は無いに違いありません。

(Exness社のサイトhttps://www.exness.com/ja/tick-history/から取得したデータの分析)

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