コラム

統計科学とシステム科学

宮里 義彦(モデリング研究系)

 R. E. Kalmanのもとで学位を取得した日本人は数少ないが、その一人の研究室でKalmanが講演する情報を得て習志野の地に聴講に行ったことがある。統数研に入所してまだ数年の頃で、講演は経済学の時系列データから経済システムを実現する内容であったと記憶しているのだが、講演それ自体より冒頭でのKalmanの主張が強く印象に残っている。Kalmanの主張とは統計科学あるいは統計学者に対する激しい批判であった。

 Kalmanは種々の研究分野やその分野の研究者に対して厳しい意見を述べることでよく知られていて、筆者が参加したACC(American Control Conference)でも、Fuzzy 理論のL. Zadehが、Kalmanとともに出席したパネル討論会において、自身がかつて厳しい非難にあったことを表明している。その講演の時も、システム・数理諸科学に対する同氏の批判の一つとして深刻には受け止めなかったのだが、Kalmanの主張とは、統計科学あるいは統計学者は考察の対象としているシステム本体には多くの関心を払わず、本体をモデル化したときの残差項に精緻な確率構造を当てはめて解析を行っているという問題指摘であった。それに対してKalman自身はシステム科学の研究者として、残差項ではなくシステム本体に着目してその構造を注視して解析している点で、本質に着目しない統計科学とは根本的に異なる立場であるとの見解を述べていた。私自身は統計科学よりはシステム科学志向の研究者の立場でいたので、Kalmanの主張は自然に抵抗なく受け入れられたのだが、研究所のある委員会で彼の主張を伝えたところ、当時の統計基礎研究系の教員から、Kalmanの見解は数理統計に対する深刻な批判であるとの感想が述べられ、この指摘が統計科学、特に数理統計にとっても根の浅くない問題であることが認識された。

 Kalmanの指摘にあるように残差項に精密な確率構造を当てはめる、あるいは対象そのものに特異な確率構造を当てはめる流儀は統計科学に見受けられ、その際、対象の特性は特定の条件付き分布の中にシステム構造あるいは観測構造として反映されるものの、多く議論の対象となることはないように見える。その一方で、システム・観測方程式の一部や適用する確率構造に工夫を加えることで、システム本体に複雑な構造を持ち込むことなく、データに含まれる様々な特徴を発見し、特性の変化点を抽出できることもある。それらは同じ一つのデータから巧妙な操作で様々な情報を取り出すことのできる統計科学の利点であると同時に、該当する学問分野の知識に基づく現象発生や特性変動の理解には必ずしも繋がらないという危険性もあると思われる。

 これに対して筆者が関わるシステム科学、特に動的システムの特性を実時間フィードバックで変化させる制御理論においては、変化前のシステムの特性も変化後の特性も、数学的な安定解析や性能評価の観点から、できる限りそのシステムの生成原理(第一原理)に基づいて表現する必要があり、システム本体の構造と残差項の取り扱いにおいて、有限時間の現象を再現する開ループ的なモデル構築に主眼のある統計科学とは大きな差異があるように思われる。筆者が入所して驚いたことの一つは、システム科学の確率システム論の研究者と統計学者との間の、視点や流儀の大きな距離であった。

 一方で統計科学のそのような方向性に対する問題指摘も、研究所内あるいは外部から研究所に寄せられてきたことがあるように思う。データ同化に基づく地震波動場の推定に関する研究(地下構造や波動方程式を用いた地震波伝搬に関する物理モデルと、統計科学のレプリカ交換モンテカルロ法を併用した地震波動場推定法の開発(Ito et a(l. 2017)))や、納度(納得度:plausibility)の概念(言語や利用可能な既存の知識を利用したモデル構成法(Akaike( 2010)))などが、Kalmanが一方的に非難した統計科学とは異なる方向性の一つの出発点を示しているものと思われるが、統計科学とシステム科学が双方の立場の違いを明瞭に認識して、今後の数理諸科学の健全な発展に繋がっていければと強く切望する。

フィードバック制御器の発端となった遠心調速機 写真は「ウィキペディア (Wikipedia) : フリー百科事典」(https://en.wikipedia.org/wiki/File:Boulton_and_Watt_centrifugal_governor-MJ.jpg)より引用

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