コラム

通勤時間に拡がる世界

Stephen Wu(データ科学研究系)

二年ほど前から、天気が良い日に私は必ず立川駅から歩いて統数研に行くことが習慣になっている。そして、この通勤時間にはいつもポッドキャストを聞いている。今年はネイチャーポッドキャストにはまっていた(図1)。特に研究のためということではなく、ネイチャーポッドキャストは科学について様々な情報が流れており、面白い話題がいっぱいあるからだ。もちろん、統数研の池田思朗教授が活躍された史上初ブラックホールの撮影成功も話題になっていた。一日の仕事を始める前に、綺麗な緑と建物の中をゆっくりと散歩しながら、世界中の研究者たちの色々なテーマについての議論を聞くことは、いつも私に研究への活力をくれる(図2)。

2020年は人類歴史において深い傷を負った年と言えるだろう。ネイチャーポッドキャストでも3月20日からコロナポッドという特別なシリーズが始まった。いつも最新のコロナ情報を流す中で、特に5月15日のコロナポッドは深く印象に残った。テーマは「誤情報のパンデミックとの戦い」だった。世界中の人々がコロナの大流行により苦しんでいるようで、実際は誤情報の流行によって苦しんでいるというものだ。

「誤情報」は今、我々にとって一番の敵と言えるかもしれない。「科学」を名乗った検証していない情報や科学を否定するような情報を拡散され、コロナ対応策についても様々な意見が社会から聞こえてくる。このような「戦い」の中心にいる一人の人物はアメリカのトランプ前大統領である。ネイチャーポッドキャストは政治的なモチベーションはないが、科学者それぞれのスタンスはあるため、政治的な話は特に回避しない。例えば、10月7日と11月3日の「Trump vs. Biden: what’s at stake for science?」と「‘Stick to the science’: when science gets political」の放送では割と客観的に科学と政治の関係性を議論した。一部の主流メディアに「反科学」というラベルをつけられたトランプ前大統領は自分に都合が良い仮説を真実として発信し、科学に大きいダメージを与えたと言われる。さらに、コロナの出現は彼の「活躍」の起爆剤になり、誤情報のパンデミックは科学世界に注目を集める話題となった。

私の認識では、科学のコアは観測可能性と再現性である。ある現象や問題を説明するために、仮説を立て、観測データを集め、再現実験を行い、自然法則を発見する。特定の仮説に対して、完璧な観測データと再現実験は必ず存在するとは限らない。統計科学は不完全な観測データや有限の実験資源の中で最も論理的な結論を出すための、想像と現実世界を繋ぐ橋である。しかし、使い方によっては、悪用されることも十分ありえる。今の時代はインターネットの発達で、情報拡散の量と速度は格段に進歩した一方で、誰でも発信できるために情報の質は保証できないと言える。厳密に検証された科学情報より、適当な検証で正しそうな誤情報の方が拡散しやすいと言われている。このような誤情報パンデミックは統計モデルで研究されている。この興味深い研究は、今まで個人の研究世界だけで満足していた自分には重要な反省となった。科学者の役目として、研究だけではなく、教育と社会貢献もとても大事なことであると考えるからだ。そのような面においても日本の統計界を牽引してきた統計数理研究所に所属していることをいかして、より広く見つめる視野を忘れずに研究を進めていきたいと思っている。

図1. ネイチャーポッドキャストのホームページ

図2. 立川駅から歩いて統数研に行く私

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