コラム

アクチュアリーと統計学の歴史

野村 俊一(モデリング研究系)

「アクチュアリー(Actuary)」という職業をご存じでしょうか。保険事業や年金運営において数学(保険数学)を駆使して掛金の計算や将来収支の予測を行う専門職です。ここでは、私が過去に務めていたアクチュアリーについて、その歴史と今を少しご紹介いたします。

保険事業は、掛金を先に集めた上で、後で起こった支払事由に対して保険金を支払う仕組みをとるため、掛金が十分な金額に設定されないと保険金支払の原資がいずれ底を尽き破綻することになります。支払事由となる人の生死や事故は偶然性に因ることから、適切な掛金設定と保険・年金事業の安定経営には、確率論および推測統計学が保険数学の基礎として必要不可欠です。そのため、保険および保険数学の歴史は、統計学の歴史とも密接に関わってきました。

統計学の考え方を切り拓いたうちの一人とされるイギリスのジョン・グラントは、ロンドンの教会が記録した市販の死亡表をまとめ上げ、その精密な観察から出生・婚姻・死亡に関する集団的な法則性を見出して1662年に「死亡表に関する自然的および政治的諸観察」を著しました。この方法論を引き継いで、ハレー彗星で有名なエドモント・ハレーは1693 年の自著にて世界で初となる「生命表」を示しました。生命表とは、下図に示したように出生から各年齢になるまでに生存する割合を推定したもので、ここからたとえば平均寿命を計算することができます。ハレーはさらに生命表に基づく生命保険の年齢別掛金の考え方や、年金価値評価の基礎となる計算式を示し、今日の保険事業および年金運営の礎を築きました。

ハレーの功績から数十年後、不特定多数の加入者を集めて年齢等に応じた掛金を徴収する近代的な生命保険事業がイギリスに誕生しました。確率論と統計学を駆使してこの掛金算定に携わった専門家たちが、世界で最初のアクチュアリーと考えられています。その後、1848年にアクチュアリーの専門職団体としてイギリスのアクチュアリー会が創設されました。日本でも、明治時代から近代的な保険事業が始まり、1899年に日本アクチュアリー会が創立されました。各国のアクチュアリー団体はアクチュアリー業務の品質維持向上に資するため、国際連携をしながらアクチュアリーの教育から新たな方法論開発の学術研究まで取り組んできました。このような環境下で、古くから保険数学独自の統計モデルも多数開発されてきました。

このように古い歴史と伝統を持ち統計学の発展にも寄与してきたアクチュアリーですが、近年の統計学および機械学習の急速な発展にキャッチアップすることが現在の一つの課題となっています。これまでの伝統的手法とその適用分野から裾野を広げ、深層学習などの機械学習手法も利用しながらマーケティングや事故査定などのアクチュアリーにとっては新たな分野へと手探りで踏み出しているのが現状です。海外では大学等の研究機関に所属するアカデミック・アクチュアリーが新たな手法・分野の開拓に大きく貢献しているのに対し、日本ではそのようなアクチュアリーは非常に少ないため、私としては周囲の研究者を巻き込んで知見をお借りしながら、時代に即した保険数学の発展を目指していきたいと考えています。

エドモント・ハレー(1656-1742) 出典:Wikimedia Commons By Mahlum [Public domain]

ハレーの生命表(J. E. Ciecka(2008)Edmond Halley’s Life Table and Its Uses, Journal of Legal Economics, vol.15(no.1):65-74, p.67 Table 1)より作成した出生から各年齢までの生存率

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