コラム

US大学での経験を振り返る

南 和宏(モデリング研究系)

 私は1999年から約10年間、US東部のダートマス大学、そして中西部のイリノイ大学に滞在した。どちらの大学もまだ日本では馴染みのない方が多いと思われるのでこれら2つの大学での私の経験を紹介してみたい。

 最初に行ったのはニューハンプシャー州にあるダートマス大学である。1769年設立の全米で13番目に古い大学であり、東部の名門私立大学8校のアイビー・リーグ(Ivy League)の一つである。情報科学の分野では最近話題の「Artificial intelligence」という言葉が最初に作られた1950年代の人口知能会議、そしてBasic言語の開発で有名である。冬は大変寒く氷点下30度くらいになり、娯楽も少ない場所であったが、大学所有のスキー場でシーズン中は毎週末スキーを楽しんだ。

 私はコンピュータ・サイエンス学科の博士課程に入学した。入ると、既に10年くらい在籍している学生もいて驚いた。日本では、博士前後期で5年程度が目安と思うが、USでは必要な研究業績ができるまで卒業できない。また最初の2年は授業、宿題に明け暮れるが、2年目が終わるまでにQualified examという筆記試験に合格しなければ退学という大変厳しいルールがあった。日本の大学では入学時で厳しく合格者を選別するが、USはとりあえず受け入れてから卒業までにふるいにかければよいという方針の違いがあるように思う。

 3年目以降は研究中心になり、私の指導教授David Kotz先生とユビキタス・コンピューティングにおけるセキュリティの研究に取り組んだ。しかし毎週のミーティングではことごとくアイデアを却下され、なかなか論文を書かせてもらえない。さらにその状況が2年つづき、かなり卒業への見込みに自信を失っていたある日思いがけないことが起きた。打ち合わせの直前、今までの幾つかの課題が一度に解決できそうなアイデアを思いつき、メモに殴り書きした。その後のミーティングで、また却下されるのかと思いながらメモを見せると、しばらく黙っていたKotz先生は突然立ち上がり「これで君も卒業できるな」と、笑顔で私に握手を求めたのだった。私は半信半疑であったが、その後の1年半に有名国際会議に2件、ジャーナル1件が続けて採択され、無事卒業できた。そして指導教授と真剣な議論を通して信頼関係を築くことの大切さを学んだ。

 その後、イリノイ大学アーバナシャンペーン校にポスドク研究員のポジションを得た。USでは卒業した大学に残ってはいけないという不文律があり、私は世界中の大学、研究機関に100通くらい応募書類を送った。幸いイリノイ大学はコンピュータ・サイエンスでトップ5に入る有名校であり、WebブラウザーMosaicの開発で有名である。私はセキュリティを専門にするMarianne Winslett先生の研究室に入った。Winslett先生は非常に自由な研究者で、あまりオフィスに現れず、メールの返事をなかなかくれない方であった。どうしても打ち合わせをしたいときは、先生の家に押しかけ、キッチンで相談したこともあった。しかし先生の研究を楽しむ姿勢はすばらしく、多いに感化された。どちらかというと体育会系であったKotz先生とは全く違うタイプの研究者であり、優れた研究者のスタイルに一つの答えはないということを実感した。

 またイリノイ大学には日本からも多くの研究者が訪問しており、多くの友人を得ることができた。帰国した今もイリノイ大学で出会った日本人研究者とのネットワークは貴重な財産であり、共同研究、飲み会等を通して交流を深めている。

指導教授David Kotz先生とのダートマス大学の卒業式での写真

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