コラム

コベントリー小話

逸見 昌之(データ科学研究系)

 イギリスのロンドンから特急列車で北西に約1時間ほど行ったところにコベントリーという町がある。私が学位を取得後、ウォーリック大学の統計学科に研究員として赴任した際に3年間住んだ町であり、帰国後も何度か訪れているが、今回はこの町のことについて少し書いてみたいと思う。ちなみに、ウォーリック大学はコベントリーの中心部からはやや離れた場所にあり、戦後に出来た比較的新しい大学なので、イギリスの古い大学のような雰囲気ではないが、世界各地からの留学生が多数集まる総合大学である。また、数学や数理科学の教育研究レベルは高く、統計学科は本研究所の交流協定締結研究機関の1つになっている。

 コベントリーは、近隣のバーミンガムやシェークスピアの生まれ故郷であるストラットフォード・アポン・エイボンほど有名なところではないかも知れないが、環状道路の内側が町の中心部で、そこに教会やショッピングエリアなどがある。その意味では、イギリスのごく普通の町とも言えなくもないが、この町で象徴的なのは、戦争の残骸として天井が崩れ落ちたまま残っている旧コベントリー大聖堂と町の中心にある、ゴダイヴァ夫人の騎馬像である。私が初めてこの町に来たときには知らなかったのだが、その銅像は、以下のような有名な伝説に基づいている。

 11世紀に領主レオフリック伯爵の夫人であったゴダイヴァが、重税に苦しむ民の姿を見かねて、夫に減税を懇願をした。しかし、伯爵はただでは承諾せず、もし馬に乗って裸で町中を乗り回ったら、願を叶えてやろうと言った。すると、ゴダイヴァ夫人はそれを実行し、町人は恩義を感じて誰も見ず、それに驚いた伯爵は夫人の願を叶えることにした。

 「誰も見ず」という部分は後に、トムという名の男だけが覗き見をしていたという話が加わり、覗き魔を意味するピーピング・トム(Peeping Tom)という言葉の語源になった。ちなみに、ゴダイヴァは英語でGodivaと書くが、この伝説がベルギーチョコレート「ゴディバ」の名称の由来になっていることも有名な話であり、ゴダイヴァ夫人の騎馬像がロゴマークとして使われている。日本語で「ゴディバ」と読むのは、その方がベルギーでの読み方に近いからのようである。

 コベントリーはかつて自動車産業で栄え、第二次世界大戦中は軍需産業の拠点の1つであったため、ドイツの激しい空爆を受けた。天井が崩れ落ち、今は外壁の一部と尖塔だけが残る旧コベントリー大聖堂はその象徴であるが、敷地内には2人が抱き合う「和解の像」があり、英語と日本語の併記で以下のように書かれたプレートが添えられている。

 ジョセフィナ・デ・ヴァスコンチェロス女史制作の本像は、第2次世界大戦終戦50年を経た1995年、平和の証として、日本の広島市民を代表し、リチャード・ブランソン氏より寄贈されたものです。また、本像と同一の彫像が、コベントリー市民に代わり、日本の広島市の平和公園にも贈られました。この2つの像は私たちに次のように思い起こさせてくれます。

―人類の尊厳と敬愛は、いかなる破壊力にも動じることなく惨禍を克服し、尊敬と平和のうちに国家と国家を結ぶ。―

 コベントリーと広島は姉妹都市の関係にあり、コベントリーもまた、平和を訴える町である。

ゴダイヴァ夫人の騎馬像和解の像

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