コラム

英国グリニッジ・ウォーク

小林 景(数理・推論研究系)

 一昨年の11月から一年間、London School of Economicsに滞在する機会に恵まれた。といっても、経済学ではなく、代数統計学の専門家であるヘンリー・ウィン先生を訪問することが目的である。今回は、ウィン先生との共同研究も軌道に乗ってきた7月頃、彼がグリニッジ散策に誘ってくれた時の話である。

 グリニッジ旧天文台はロンドン市街からテムズ河をフェリーで1時間ほど下った後、30分ほど登った丘の上にあり、周知の通り世界中の経度はここを基準にして決まっている。その丘の上で、携帯電話にGPSが付いていたことを思い出し、ひとまず確認してみると西経0.000751度(1度は3600秒なので、2.7秒に相当)だった。ここまでゼロが並ぶとテンションもあがり、GPSの値を頻繁にチェックしつつ、順路に従って標準時子午線へと向かっていった。が、どうも様子がおかしい。徐々にゼロに向かうはずの西経が大きくなっていくのだ。ついにその場所に到着し、世界中からの観光客に混ざり自分も子午線を跨いでみたが(写真)、GPSの値は西経0.001605度。先ほどより二倍ほど西経が増えたことになる。家に帰り早速地図を確認したところ、経度0度線はグリニッジ旧天文台から完全に外れ、百メートルほど東を通っていた。

 これが日本なら、経度の違いも納得できる。最近のことなので記憶されている方も多いと思うが、2002年に日本の経度はいっせいに東経で−11.6秒ほど修正された。理由はGPSをもとに計算された経緯度と従来の値の誤差が無視できなくなったからだとされている。ここで面白いのは、その前の1918年の変更では逆に経度が+10.4秒ほど修正されており、1886年から1918年まで使われていた経度と、最新技術で設定された現在の経度との差は僅か1.2秒である。(ちなみに1918年の修正は、その当時の海軍水路部の中野徳郎技師による、東京グアム間、東京ウラジオ間の無線電信測定によるらしい。)

 このように、日本での経度が観測技術の向上で変化するのはわかるのだが、グリニッジは別である。世界中の経度がここを基準にして決まっている以上、いくら測定精度が向上したところで、0は0 のままのはずだ。納得できずインターネットを漁った結果、以下のような歴史的背景が見えてきた。19 世紀後半に政治的にも技術的にも世界トップであった大英帝国は、標準時子午線の名誉を手中にした。しかし、犬猿の仲のフランスがそんなことをいつまでも許すわけもなく、イギリスの相対的国力が衰えた20世紀半ば、フランス国際時報局が世界各地から時報のずれのデータを集め、その総和を最小にするように経度を一律に変更することを提案したのである。今考えるとここがイギリスとしても粘りどころだったのだが、当時の修正がわずか8mだったせいもあるのか、イギリスはこれを受け入れた。しかし、このパラダイムシフトは決定的で、それ以後は正しい経線とは「グリニッジとの経度差を正確に測った経線」ではなく、「世界全体での誤差修正が最も小さくてすむ経線」を意味するようになる。こうなると後は、観測技術の発展により判明する世界各国でのずれを吸収する形で標準時子午線はどんどん移動していき、結局今の位置まで来てしまったのだ。つまり現在の経線とは、世界中で積み重ねられた観測誤差やモデル誤差、計算誤差の修正こそが正体であるような、真に「統計的」な目盛であると言える。

 では最後に、先述した日本における歴史上二回の経度修正について、一つの適当な仮説を提案してみたい。1918年の測定で中野技師は、パラダイムシフト以前の意味で経度を修正(+10.4秒)していたはずである。その後、このような誤差修正を行わなかった世界各国のデータをもとに、2002年にパラダイムシフト以後の意味での修正(−11.6秒)が行われたとしたら、…1.2秒という僅差も偶然とは言い切れないのではないか。あくまでも統計学者らしからぬ短絡的推論なのではあるが。

グリニッジ旧天文台の「世界標準時子午線」

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