コラム

金融工学と数理ファイナンスの距離感

山下 智志(データ科学研究系/リスク解析戦略研究センター)

 先日、研究所の公開講座「マルチンゲール理論」を聞かせていただきました。マルチンゲール理論は確率論の中でも重要な概念ですが、近年オプションなどの金融派生商品の理論に応用されたため、金融を学ぶものにとっても必要な技術になっています。

 90年代に数理ファイナンスと呼ばれる学問分野が形成されました。学問分野の定義というのは極めて曖昧な場合が多いのですが、数理ファイナンスについても境界が曖昧です。おおまかにいえばマルチンゲール理論などの確率論を金融に応用した学問分野というような感じでしょうか。一方、何らかの数学的発想を金融分野に応用したものとして、従来から金融工学と呼ばれている学問分野があります。

 多くの人にとってこの金融工学と数理ファイナンスの違いは漠然としたものであり、また明確な定義によって境界が引かれているものではありません。私もこの違いについてこれまで強く意識することがなかったのですが、今回公開講座を受講する機会に恵まれ、客観的に数理ファイナンスの根本を見ることができました。

 かなり主観的な感想ですが、金融工学は文字通り「工学」で、「こんな問題を解決したい」とか「こんなものを作りたい」とか、目的や問題意識が明確です。言い換えれば金融工学に関わる学者や実務家は問題意識を共有しており、その解決のために「使える理論を探して」います。それに対して数理ファイナンスは「数理学」です。定理の証明が重要視されていて、有用性については副次的なものとなっています。数理ファイナンスに関わる学者は公理系に基づく定理を共有しており、問題意識の共有は相対的に希薄です。使える理論を探すより、「新しい定理を生み出し証明する」ことが学者の主な仕事になっています。一応、金融工学でも証明を行いますが、その多くは「このモデルは有用である」という命題に関しての証明であり、必ずしも公理系にこだわった証明ではありません。このような実データをつかった「実証」が方法として認められるかどうかも、金融工学と数理ファイナンスの違いをわけるキーといえます。

 学問分野というものは常に深化と融合を繰り返します。金融工学と数理ファイナンスも相互に影響を与えあいながら発展してきました。ただ、最近ではどちらかといえば深化方向のベクトルが大きく、融合のベクトルが小さい傾向があるように感じます。もともと学問の目的が違いますから、違う方向に発展していくのはやむを得ないことかもしれません。ただ、社会貢献という視点で学問分野を俯瞰するのであれば、理論の数理ファイナンスと実用の金融工学は、もっと積極的に融合をめざす必要があると実感しました。

 私もこの分野に携わる学者のひとりとして、ふたつの学問の距離感を縮めることが大きな課題であると、自身の責務を自覚する機会となりました。

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