コラム

黒鳥襲来、白鳥逆襲

川崎 能典(モデリング研究系/リスク解析戦略研究センター)

 昨年5月に出版されるや、ナシム・ニコラス・タレブ著The Black Swan: The Impact of the Highly Improbable は、様々な論争を巻き起こしながら、17週間でニューヨークタイムズ紙のベストセラーリストに加わった。このコラムが出る頃には、邦訳も出版されているかもしれない。

 タレブは長らくウォール街で投資家として活躍し、自身の博士号にもなったダイナミックヘッジに関する著作もある。そのタレブが−紙幅の制約から大胆に要約すると−数理ファイナンスや統計学に基づくリスク管理など無意味だと結論するに至ったのだ。

 黒鳥(Black Swan)は、かつては存在しないものと考えられていたが、17世紀にオーストラリアで発見された。それは、「予期せぬ出来事」の象徴であり、87年のブラックマンデーや、98年のヘッジファンド破綻のような、市場関係者が周章狼狽するような出来事を実際には指している。

 「銀行のリスク管理モデルは無意味だ」とするタレブの極論は、彼の投資スタイルとその投資歴から来ていることは間違いない。彼は市場が大きく暴落したときに儲かるようなオプションに常に投資し続ける。平時は資金をじりじりと減らすわけで、根気の要る話だ。しかし、ひとたび「黒鳥」が襲来するや、彼は大金を手にするわけである。

 Black Swan に対するアメリカ統計学会(ASA)の反応は早かった。2007年8月刊行のThe American Statistician 誌の巻頭で、Black Swan 特集が組まれたのである。同誌編集長のピーター・ウェストフォール教授( テキサス工科大)は、Bloomberg Markets 誌の取材に答え、「タレブは統計学者のことを、まるで闇雲に仮定を置く、事実からは最も縁遠い輩であるかのように描写している」と異議を唱えている。巻頭論文の表題は、Revenge of White Swan(白鳥の逆襲)という、これまた気の利いたカウンターパンチだった。

 実際、我々の分野の常識からすれば、タレブの論考にはさまざまに不備が見いだせる。統計学者すべてが正規分布によるモデリングで事足れりとしているかのような言い方は、一般化線形モデルを基礎におく現代的な回帰分析や、頑健推定、非ガウスフィルタリング、さらには極値理論の膨大な研究成果を完全に無視している。

 タレブと統計学者の議論は、うまくかみ合わないままに終息しそうであるが、「87年以前にストレステストを試みた者がいたとして、ブラックマンデーでの20%もの下落を予測することは不可能だったろう」という主張は、とりあえず反論せず受け入れておこう。統計学者はデータが足りなかったらお手上げである。無から有は生じないのだし、もしそれをお望みなら水晶玉をうまく覗ける人のところへ行った方がいい。

メルボルン アルバート公園の黒鳥。2005年12月著者撮影

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