統計地震学の研究の回想

尾 形 良 彦   

1973年(昭和48年)に統計数理研究所へ入り、最初は地震とはまったく縁がなかったが、1980年代早々から地震の世界へ飛び込み、地震活動の特徴を見る標準モデルとして世界各国で使用されているETAS(イータス)モデルを開発しました。現在、統計学者としてはただ一人、地震予知連絡会の委員を務めながら、地球的規模の地震発生確率の予測研究に取り組んでいます。

 これまでの経験から一般の方々にまず知ってもらいたいことは、地球現象の複雑系の動きを解明していくのに統計科学の手法は欠かせないということです。学問の分野では研究成果についてスッキリとしたもの言いをします。「こうなんだ」とか「発見した」と言って話題になることがあります。しかし、その陰では統計科学が大いに手助けをしていることが多いのです。

 地球科学の研究者たちは、もはや統計なしには研究できないと思っています。これは間違いない。思ってはいるが、それを言わないで一般の人に対しては「こうなんです」と分かりやすく説明しています。「こういう統計的手法の結果、出てきました」とはあんまり言わないのです。

実際にはその人たちも統計を使って結果を出しています。しかも現在は、統計のモデル自体が段々複雑になってきているので、統計の専門家抜きでは研究自体が難しくなっています。このように、統計は現在、地球の複雑系の研究にとって必須であることを知っていただきたいと思っています。

団塊の世代で、学生時代は学園紛争が吹き荒れました。しかし、いまとなって、この時の経験は研究者としてけっしてムダではなかったと思っています。学生仲間で社会と科学の関係、科学史、哲学などさまざまなテーマについて議論したことが、自分の考え方の土壌となり、研究活動の指針にもつながったと思います。

 大学院では確率論を学びました。卒業のころは就職難の時代でした。たまたま指導教授が統計数理研究所の出身で、「ちょっと変な研究所だが、仕事はたくさんできますよ」と薦められ、研究員として入りました。

 しかし、最初は大学院での研究内容と研究所の取り組み内容の違いが気になり、「こんなものがどうして学問になるのかな」と考えてしまったこともありました。そんな時、研究所の部長だった赤池弘次博士(その後所長)の言葉が心に強く残りました。赤池さんは当時、制御工学の分野で自身の統計理論が正しいかどうかを試していました。すぐに結果が分かる世界、あいまいな統計理論はけっして通用しない厳しい世界で自らを試していたのです。

 先生は話しました。「統計屋は行商人のごときものです。統計的方法という品物を売り歩き、品物を作るための材料を仕入れるのに、現場に足を運ぶ労を惜しんではなりません」。

 「統計屋の功績には新しい方法の提案や理論的解明などさまざまありますが、最高の功績は、科学技術の分野で統計学の応用の幅を広げることです」。

 この話を聞き、結果がすぐに分かる仕事、実験で白黒がすぐにつく研究、それでなければ自分には務まらないと思いました。赤池さんの教えを受け、自らの研究テーマを探しました。ところが、医学、電子工学などほとんどの分野はデータを公開していません。ただ一つ、地震のデータは山ほどありました。地震の研究では一生かかっても、まともなことはできないかもしれないとも思いましたが、他にデータはないので、これしかないか、と地震学会へせっせと通い始めたのです。

 私が最初に着目したのは余震の確率予測です。当時の地震専門家たちは、単位時間あたりの余震を数え、頻度と時間をみて判断していました。ところが、これには、事故などが起きる危険度の変化をみる「点過程」の理論を使うと、簡単で正確にできることに気付きました。その論文「最尤法による改良大森式(大森・宇津の法則)のパラメーターの推定」(原文は英文)は昭和58年(1983年)に「Journal of Physics of the Earth」に発表しました。これは、いまでも気象庁やアメリカで余震の確率予測に使われています。

大学院時代から学んでいた確率論と統計理論の副産物でした。地震研究の人たちは統計や確率点過程のことを知らなかった。統計屋は、地震屋さんが何をやっているかを知らなかった。ところが、地震屋さんの中に入って、地震屋さんは何をやっているのだろう、何が問題なのかと聞いていた統計屋の私だけが「これだ」と分かったのです。まさに、赤池さんの「行商の勧め、現場主義の勧め」が最初から役立ったわけです。

 こうして地震の世界に入り込み、段々と複雑な地震を見ていって、1988年(昭和63年)には、その後、世界的に注目されるETASモデル(Epidemic Type After Shock Sequence Model)の論文をアメリカの統計学会誌に発表しました。いま、地震の世界では「ETASモデル」という言葉だけで通用しますが、あえて日本語で説明してみると「伝染性余震モデル」とか「疫学的余震モデル」と言えるでしょう。

 このモデルを実際に起きた地震のデータにあてはめると、その地震の活動変化を予測し、異常性を検出し、その有意性を測ることができます。断層内の微弱な応力変化の影響も精度よく見ることができるのです。地震活動解析の短期予測にきわめて有効です。地震活動の標準モデルとして国際的に受け入れられ、個々の地震の特徴、顔をみる「物差し」として現在、幅広く使われています。そして、このモデルが実用的であることは、最近のGPS地殻変動データとの比較によっても裏付けられています。

 地震は複雑で、場所によっても違い、いろんな顔を持っています。それがどんな顔であるかが、このETASモデルを使うと、だいたい説明がつけられます。それで地震を分類できることにもつながります。

 ETASモデルの論文を発表したのは、たしかに個人としての私ですが、それができたのは実は日本に土台があったからだと思っています。日本は昔から大地震の余震を研究し、膨大なデータが残っていました。アメリカは「余震はゴミだ、そのデータは地震予知には何の役に立たない」と言って捨てていました。日本は余震のことをよく研究し、それに基づく経験則もあったので、それを統計屋として見て、活用したことがこの論文につながったと思います。

 それまでは地震のデータを解析する標準モデルが世界的にありませんでした。余震は地震活動の基礎で、地震の本質そのものです。日本では、この余震という自然現象のデータをそのまま残していました。アメリカは、たいしたことはないという主観から捨てていました。データというものは、主観を排してそのまま残すことが大事だと、つくづく思いました。

 地震の季節性についての統計モデルの研究も行い、論文にしています。地震に雨水が関係している、と尾池和夫助教授(その後京大学長)が指摘しましたが、そのことを統計的手法で浮き彫りにしました。急な雨水が地下水の圧力を変化させ、浅い断層の摩擦に影響し地震を起こしやすくしています。例えば、ダムができて、貯水するとその地域になかった地震が起きることがあります。徐々にではなく、急激な水圧の変化が影響します。データに含まれる余震が解析を難しくしていたのですが、このモデルで、融雪の春先や台風が多い秋口に地震が多く、雨の少ない冬には地震が少ないという季節性が裏付けられました。

全世界の地震帯を海域と陸地の100近い小領域に分割した尾池グループの解析によると、中緯度の陸地で地震発生率に季節性のあることが示され、これが該当する地域の降雨量の変化に対応していることが分かりました。海域や低緯度の陸地の地震活動には季節性がみられないことも確認されています。これには、時代とともに加速度的に増える長期のデータを効率的に使える統計モデルが役に立ちました。

 以上のように、これまで、統計数理研究所の研究活動において、地震統計の多様な経験法則や仮説を統計的点過程モデルとして表現してきました。汲めども尽きぬ膨大な情報を含む地震データは、地震予知の難しさと表裏一体で、固体地球物理の複雑さや奥深さを示しています。

 そうした中で、統計モデルによってデータから本質を露出する。これは望遠鏡や顕微鏡のように、かろうじて見えるものや見えないものをハッキリ見えるようにする科学的方法としての役割を果たすものです。これを地震の世界に持ち込み、地震のメカニズム研究に取り組んできました。

 これらの研究によって、統計モデルにより計測し、予測し、発見する統計地震学とも称すべき地震活動分析の研究領域が広がり、深まったと考えています。これからも、各種統計モデルを考え、統計的方法の威力を示すよう心がけ、地震活動研究、そして地震の予測に対する貢献を続けたいと考えています。

 統計屋の私からみて地震でいま言えることはいくつかあります。ある地域で起きた地震の余震の数が予測された標準より少なくなる「静穏化現象」が起きると、大きな地震の起きる確率は通常より34倍、高くなります。余震の数が標準より少ない「静穏化」は一種の異常現象であって、比較的大きな地震につながる可能性があるのです。

 また、一つの地震が他の地震の引き金となることもあります。昔からのデータを見ると、大きな地震が起きると、その近くで別の似たような地震が起きる危険度は通常より数倍、高くなります。実は連発地震とか双子地震と言えるものはけっこうあるのです。最近の中越地震(200410月)と中越沖地震(20077月)、宮城県沖地震(20035月)と宮城県北部地震(20037月)、古くは鳥取東地震(19433月)と鳥取地震(19439月)、

東南海地震(194412月)と三河地震(19451月)などです。

ここ数十年ほどの研究で、一つの断層のずれによって地震が起きると周辺の別の断層に大きな力が加わることが分かりました。この力は、いつもプレートを押していて50年とか100年に1回(海溝沿い)とか数百年、1000年に1回(内陸活断層)という時期になると断層をすべらせて地震となる力より、はるかに大きいものです。           

 地震が起きて、GPSのデータを見るとすぐ分かります。一つの大地震が起きると周辺のかなり広い分野で地殻がワッと押し寄せて動いていることが見えます。或るところでは急に地震が活発になったり、頻発してしたところが途端に静かになったりします。これは、まるで地震同士の会話、断層の会話です。地震や断層のどよめきとも言えるでしょう。

 地震国・日本に蓄積された豊富なデータを活用した研究活動で、大地震を起こす地下の断層が近辺同士で会話し、連発地震や静穏になるという衝撃的事実にもつながったと思っています。ETASモデルは、地震の続発性を統計的に表しています。いまは、ETASモデルにGPSデータを組み合わせ、地殻変動の監視の自動化と大地震の発生確率予測の実用化を目指しています。

現在のETASモデルは、ある領域の時間だけを見ています。これを、広い地域で、時空間全部のデータをみて、実際に地震発生を予測して、その予測のどの地域に静穏化が出ているかを直截的に見えるようにしたい、と考えています。この、新しい「時空間ETASモデル」は、広領域における多様な地震活動を特徴づけ、活動異常の監視に有用となるでしょう。同時に、世界的視野に立った「グローバル時空間ETASモデル」を作成し、どこの場所で危険度が高く、どこの場所が余震の減衰をしているか、どこの場所で静穏化や活発化があるかとかを一目瞭然にできる、そういう統計モデルです。計算には時間がかかりますが、データは世界中、キチンとしたものがあります。

いま、カリフォルニア、ヨーロッパ、中国、日本とニージーランドで共通基盤に立った国際共同研究が始まっています。全世界の地震の危険度の確率予測の競争です。基本的な確率予報の評価基盤をつくるという意味で、地震研究所を中心とした日本のグループも、統計数理研究所も入っています。

ですから今は世界のことを考えることも多くなっています。つまり、統計学から地震学へのアプローチは、世界規模の地震予測へつながろうとしているわけです。

 私たち統計数理研究所統計地震学グループは、国際的に先駆的な位置を占めていると思っています。私たちは、地震データに対して実効的な新しい統計手法を開発し、この方法が地震学研究における中心的関心事であることを目ざして地震学の専門家と連携してきました。日本でのこの分野の研究は将来的に有望ではないかと思っています。若い方々が、この分野の研究に続くことを願っています。

 若い研究者には私の大学院時代の恩師の言葉をかみしめていただきたいと思います。「駄農は果実に興味を持ち、中農は木の幹や葉をよくしようとする。上農は土のことを考える」。若いうちに、研究成果や論文という目先のことばかり考えず、バックグラウンドの基盤づくりを徹底的にやってほしい、ということです。そのためには哲学や科学史、社会と科学の関係にも関心を持ってほしいと思っています。

 

後記。本稿は統計数理研究所の広報室、板垣雅夫さんのインタビューを受けたものを取りまとめて頂き、尾形がそれを少し追加したものです。

 

 


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Updated on 27 July 2011