確率論を語る

― 回顧と展望 ―

 

丸山  儀四郎

 

 

私の専門は大学をでていらい,ずっと確率論です。ここに今日来ている人にも確率論の人が多いわけですが,それ以外の分野の人も居られるので色々の分野からの意見も聞けると思います。

私も来年停年という時期にあり私のような年輩の者からでないと聞けない話があると思いますし,私も特に若い人達におしつけがましくも言っておきたいことがあります。専門が確率論ですのでどうしてもその方面からみた日本の数学の状態ということにならざるをえないので,話に多少偏見があるかもしれません。

私の学生時代から始めます。大学にいるとき自分に適した分野を色々に考えたわけですが,確率論を始めたのは大学を卒業して以後のことです。在学中は色々のものをかじってみました。解析では当時関数論が盛んだったのでその方面のものも大分読みました。その頃輸入されてまもなくであったトポロジーなどもかじりました。しかしなにをやったらよいかわからなかったわけです。

私は数学は好きではあったけれど,色々な分野に接してみて,将来数学でやって行けるかなと自信なく思ったわけです。というのは色々論文を読んでみても,どうしてこんなことが考えられるのかなと驚異を感じまして,自分が本当の意味でとても数学にはいっていけないんじゃないかと感じました。

満州事変とか日支事変とかがおこっていて,そろそろ第2次大戦にさしかかる時期になるのですが,雰囲気も悪く,研究条件も悪く,就職口もなかった。卒業後研究を続けたいと思っていましたが,数学教室に残る希望がみたされず,徴兵にかかることが気になり,北大の物理に再入学しました。そこに1年半おったわけですがほとんど物理の勉強はしませんでした。北大の2年目の後半は物理を退学して数学教室の嘱託という名目で少し手当をもらっていました。その間,割合ゆっくり考える時間があり,確率論に徐々にはいっていったと思います。

当時は,日本にはドイツから輸入された数学が浸透していたが,その後の研究の停滞というかそんなものがあった時期です。そこにどういう意識のもとに起こったのかわかりませんが,若い人達(助手,助教授,講師)に現代化の動きが起こった。特に中心は,できてまもなくの大阪大学で,吉田耕作先生,中山さん,助手で角谷さん,それから小松先生らによって現代化が行なわれていて,それが若い層にかなり影響を与えていた。私も学生の頃,そのことを知ってこれはしまった阪大に行けばよかったと思ったことがあったのを記憶しています。その阪大の研究成果が伝わってきまして,内容は解りませんでしたが新鮮なものを感じました。

それで確率論に限っていいますとすでに国際的レベルにいくような研究も行なわれていました。確率論としては限られた分野でしたが,エルゴード理論(吉田―角谷)を中心としてその当時のレベルとしては相当高い成果があがっていました。その頃でていた本というと,ホップの''エルゴ-ド理論'',確率論の本流でいえば,コルモゴロフ,ヒンチンの有名な2つの著書がありました。北大にいた頃,それらを読みました。私が確率論に対して強く受けた印象というのは,ほかの数学にくらべて自然科学のにおいがする,自然科学の影響をうけつつ発展してきているということです。エルゴード理論も, もちろんそうですから非常に魅力を感じまして,これならばなんとかある程度はいっていけそうだと感じました。しかし普通(本流)の確率論というのは,日本ではまだまだ十分研究は行なわれていなかったといっていいんじゃないかと思います。その頃一番強力だった国はソ連だったと思います。アメリカはその時は研究者がいなかったと思います。フランスには伝統がありましたが少数精鋭(レビィ)でした。それにくらべてソ連はコルモゴロフ,ヒンチン,グニェジェンコ,それと若い人達がかなりいて,量的にも質的にも非常に充実していたと思います。

当時の日本の状況ですが,大阪大学でのエルゴード理論の研究というのはちゃんとできあがっていたわけです。その他に確率論専攻者としては,河田()さん,北川先生,それから伊藤()さん,私の年代では国沢さんです。北川先生は大阪大学におられる頃から割合応用的な面つまり統計学あるいは,もっと自然科学的な面といっていいかもしれませんが,そういう応用面に関心を持ちながらやっておられたように思います。伊藤さんは私と1年位しか違わないのですが,早くから確率論にはいられて,当時は内閣統計局におられたと思います。そしてレビィにせまる非常に本格的な研究にとりくんでいることがわかりまして啓発されたわけです。国沢さんは大阪大学で角谷さんなどの影響をうけて確率論にはいったんだと思いますが,ソ連のヒンチンとかグニェジェンコの仕事を非常に詳しく丹念に読んで自分の研究を始め色々な成果をあげられたと思います。

大体,それ位の方々じゃないかと思います。学会のなかでの確率論関係の位置づけはどうしたって低かったといわざるを得ないのです。日本の数学で強い伝統をもっていたのは代数および整数論で,高木先生以来の伝統です。そのほか関数論などにしてもかなりの研究者がいたように思います。それにくらべると確率論は非常に弱い状態であったと思います。だから確率論の教育も,まあ実用数学という形で統計をちょっと教えていたような状態です。

それから戦争にはいるわけです。衣食住などの生活条件ももちろん悪かったわけですが,研究は熱心にやっていた。しかし全体として日本の数学が枯渇していく寒々とした空気を非常に感じました。日本の数学というのは根がないということを,いま思いおこして感じたのを特に強調しておきます。

統計数理研究所というのが文部省付置であるのですが,これは戦争中にできたのです。軍の支持でできました。なんでもなんとか陸軍中将とかが「そりゃ作らにゃあかん」というので一声で決まったという話を聞いています。それはその頃生産管理といいますか,生産と数学との結びつきを当然軍も意識しておったし,統計を生産の方にとりいれて能率をあげようと考えていた,そういうことの反映があったと思います。

だけれども統計数理研究所の人達はそのようなことはほとんどやっていなかったというのが私のみた状況です。私もある期間所員を兼任したことがありますが,ソ連の論文などを読み,みんな好きなことをやっていました。軍はそれほどりこうじゃないから,本当の意味で生産のための研究を管理する能力がなかった。結果的にはそういう自由な面もあったわけです。しかしアメリカは学者を有効に動員したわけです。そして戦時研究のなかで統計を強力に使ったわけですね。それはもちろん秘密だったわけです。そのなかで有名なのはワルドです。彼はルーマニアからアメリカヘ亡命した非常に有能な科学者ですが,学問的にも非常に秀れた研究をしながらそれが同時に軍事研究だったわけです。それからウィーナーの自動制御の有名な例がある。

戦争が終ってアメリカの数学雑誌が来てびっくりしたわけですが,戦争中もずっと継続して出ていたわけです。アメリカの進駐軍が方々の図書館にばらまいて東京でも東大とか日比谷の一角にあるセンターあたりにも来ていました。それを東京へくるたびに手で写して,また写さんことにはこっちの数学が始まらないということでした。しかもその内容を見ましても数学を本格的にしかも継続的にやっている,とてもこれはかなわないと感じました。ソ連の雑誌もあんまりはいりませんでしたがどこかで一寸あったのを見たことがあります。やっぱり同様でちゃんと数学研究をやっておりました。そのときに受けた印象ということは日本の数学の自立性といいますかそういうものが一体どうなんだろうかということですね。

それから後,戦後の時間が経過するわけですけれども,若い人達が単に学問というだけでなくもっと社会的背景を考慮した上での学問のあり方も考えながら、端的にいえば自主的研究を始めようということで自分達で組織を作り始めました。それで確率論のほうでは統計の人と一緒になって信州に集まり確か第1回目のPSG会合をもったわけです。僕はそのときすでに年輩だったので指導的に組織作りの役割を果したというのではなくて大いに賛意を表わしてすぐにメンバーになりました。確率論としてはそれがその後の発展において非常に大きな原動力になったと思います。つまり組織作りができでそのなかで一定の意識をもって数学研究をやっていく。あまり年とった先生に気がねしないで自由にやりました。それが末端では色々まさつを起こしたようです。九大でも運営上の,たとえば科研費の配分をめぐって年輩の先生との意見の違い,対立が起こりました。今から思うとそんな非常識なことはないと思われることについて意見の違い

があったわけです。たとえばその頃科研費といいますと偉い先生の所にきてそれを分かち与えるというような雰囲気が強かった。今はそんなことは確率論の場合はないわけです。

現在,確率論の研究者数というのは多くなって知らない人や名前と顔のあわない人もかなりいます。学会で初めて会う人もいる。戦争にはいった頃にはアメリカの確率の論文も非常に少なくて,ヨーロッパから行ったフェラー,アメリカ育ちのドゥーブ,その2人が指導的な確率論の研究をやっていてそのほかに12名いたがその程度の数の人達が論文を書いていましたから,アメリカの数学維誌にでた確率の論文はかたはしから読んでもたいしたことがありませんでした。ソ連はちょっと数が多くってそうもいかなかったけれども目を通すぐらいなら大体できました。フランスにしても絶対数が少なかった。今になると日本国内の維誌だけでも目を通すだけでもとてもしんどいわけで,学会でも行って耳ではやいとこ聞いておかないといけない。今の日本の論文数は当時の世界全体の論文数に匹敵する量ではないかと思います。

さて今となって年輩者として感じたこと,日頃思っていることを何か参考になることと思い申しあげます。

一つは日本の数学で伝統が浅いことがなんといっても致命的だと感じていることです。さらに学問をとりいれたときの社会的背景および意図というところにもあると思いますが,たとえば確率論と統計は隣りあっている,非常に近くて境界もないといっていいわけだけれども日本の研究では両方のブランチはあまり接触がない。現在もそうです。ところがアメリカではそういうことはないわけで,先程申しあげたフェラーやドゥーブなども始め統計に関する論文を書いています。たとえばドゥーブは最尤推定量について確率論からみた論文を書いています。それにアメリカの社会的風土というかむしろ生活の問題がかかっているからかも知れないが,社会的問題と数学の結びつきをすんなりやっていくスタイルを持っているわけですね。だからアメリカでは確率論と続計の関係は非常に密接な状態で研究が進んできております。

西欧の学問の輸入期,明治10年頃の東京帝大(正確にはその前身)のカリキュラムを見たんだけれどもこれは今の中学校のカリキュラムとレベルはそう変わらない。もちろん時代もあるからだが,それにしてもヨーロッパの方がずっと先をいっていたわけですね。ところが10年位たったときにはもうすでにすくなくとも教育の内容において,大体国際的な水準をいくようなことをやっていたように思うんです。そのスピードたるやものすごいものでやっぱり明治政府の富国強兵のために学問をやらなければいかんという意気ごみを非常に感じます。しかし非常に早く追いつき追い越せということだからどうしても視野が狭くならざるを得なかったという感じがします。だからたとえば数学が他のブランチ,まあ統計などといわずともすくなくとも自然科学の影響のことを考え,そういう意識を持ちながらやっていくということはヨーロッパなんかと比べたら非常に微弱だったのではないかと思います。それも当時としてまたやむをえない事情があったんじゃないか。伝統ということをいえばポアンカレなんてのは天体力学でもあんな本を書くんだし物理学に対する理解も第1級で,数学をやっているわけです。もっとさかのぼればガウスなんかは応用数学者といってもいいわけです。

私が感じるのは自分はとてもそんなことはできないけれどもやはり数学と社会,自然との結びつきということは非常に大事だということです。そういう結びつきというものを意識し,研究をやっていくことは数学が絶えず新鮮な活力をもって発展していく重要な原動力になるんじゃないか。実際そうしたなかで重要な問題提起がなされるというようなこともあるわけです。

それからもう一つ,現在,外国からみた日本の数学の評価というのは高いということはもちろんですが時々妙なことをいう人がいます。それはいわれてもしょうがないと自分でも思うわけです。たとえばドイツのある学者が日本人というのは ''みがきあげることは非常に上手だ。あるものを最高のとこまでもっていくというそういう事については非常に能力がある。そしてそういう努力をよくやっている'' と。そしてそのあともうすこし言ってくれるといいんだけど,そう言われたときに僕はその言われない部分に問題を感じたんです。数学の研究では,いろんな重要な問題を解いていくということ,それから既成の理論を発展させて整備していく,そのなかで秀れた仕事もたくさんあるわけです。難しい解けそうもない問題を解くというのも大切なことですから。いま一つの点は新しい理論の芽になるような方向での研究だと思います。たとえば我々の方面でいうとコルモゴロフなんていうのは典型だと思うんだけれども,みがくというよりもいつも新しいことで論文を書きそれがきっかけでそれからずっとそこでいろんな事が発展していくというそういうきっかけこなるような仕事をし,大部分そういうことに精力を費やしてきた。これは能力の問題もありますが,コルモゴロフほどでなくてもやはりそういう点では日本の数学は確率論に限っても今までは全般的には遅れる面があるんじゃないかと思う。もちろん論文を書かなければ職業として成立しないし就職のこともあるから僕も就職のために書いたんだけれども,ある程度書いたらやっぱり今度は自分の数学をやろうという気持ちを持つことが必要ではないか。その人の考え方といいますか着想の豊かな研究というのがもし発展していくならば日本の確率論は今でも国際級だと思いますけれども,非常にいいんじゃないか。まあかってのように戦争が始まると ''枯渇する'' というようなことがないようなそういう根づいた数学になってくれたらなあと思います。

果物にたとえていいますと日本ではなったりんごの実だけに興味を持つ。しかしりんごには幹があり,幹には土壌があり,そこで幹が育って果実ができているというそういうふうに元のほうまでみていくことにちょっと欠けるということを感じます。それは先程述べたような歴史的な見方とも関連しますけれども。

私はある農業経済学者からちょっと聞いたことを憶えているんだけれども,内容的にいいますと農民を3つに分けています。

上農,中農,駄農といっていまして,上農と言うのは篤農家ですぐれた農民で,中農と言うのは普通の農民で,駄農と言うのは駄目な農民で,駄農は米を作る,中農は稲を作る,上農は土を作る。それは一つのたとえです。自分のブランチで言うと,例えばエルゴード理論におけるコルモゴロフの50代の仕事で情報理論と関係があることで

すが対象物の複雑さを計量するという考えがあります。対象は色々あるけれども例えば力学系でいうと統計力学で使われているエントロピーという量をうまく使ってエルゴード理論のなかで強力な武器として活かしたわけです。それから図形の複雑性を計量するエントロピー(ε−エントロピー),それから論理との関係で,これはあまり良く知らないけれども,コルモゴロフ,マルチンレーフによる研究にcomplexity という考えがあります。それから細かい話になりますがやはりエルゴード理論のほうですけど力学系の近似問題というのがありまして,これはコルモゴロフのやったことを受けついでもっと若い人がやったんだけれども,一般の力学系を簡単な力学系(周期的なもの)で近似する,その近似の速さによって対象の情況を知るという発想でもって力学系を調べる。

私が見たところではこういったことはソ連では自然に着想されるという感じを持っています。というのはうがち過ぎかもしれないけれども帝政時代のチェビシェフ以来の伝統があります。チェビシェフはその時代の数学者のなかで,現代のソビエト数学からみた場合に,最も敬意を払われています。いろんな理由がありますがようするに多くの着想が今だに影響を持つようなそういう人だったのです。確率論もやっていました。そのほか関数の近似の問題をやっています。この間題はチェビシェフが起こりでそれ以後ずっと続いていまして少し近年での大家としてはベルンシュティンとかまだまだたくさんいる。その関数の近似の問題にもとの関数を典型的な単純な関数(たとえば多項式や三角多項式)で近似する。その近似の状態によって相手の状況を知るという考え方です。そういう伝統があるわけですから力学系でもそういった着想が割合自然にでてくるんじゃないかという感じがするんです。けれども我々が力学系の論文を見ますとどうしてこんなことを考えたんだろう,うまいこと考えたもんだなあと驚嘆するわけです。

それからコルモゴロフの図形のエントロピーにつきましてもそうですね。複雑な図形を簡単なものでカバーしていく。どの位の個数でカバーできるかというこれは一種の近似なんですね。それによって相手の状況を知る。これらは大体同じような発想になっているわけです。あとは数学者の持っているテクニックの問題です。そういうことで伝統の重みは大変なものでやっぱりいい土壌がそこにあって,どうもうらやましい。

自分でもとても出来ないことをいろいろ言ったわけですがこれで話を終りにします。

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以上のような先生のお話のあと,約1時間ほど活発な討論をおこないました。幹事の不手際で討論部分の録音がとれず,当日の討論を詳しく紹介できませんが,ノ-トに筆記したものからその要旨だけを簡単に記します。

 

(1) 数学と他の分野との関わり

経済学との関わりについて意見がだされ,これを受けて英国,北欧で生物学,経済学,保険が確率・統計理論に大きな影響を与えたことが話されました。たとえばスウェーデンでは保険制度が発達していて,人口が少ないため小サンプル理論が必要とされ,その精密化が行なわれたこと。また制御と確率・統計との関わりもだされました。

 

(2) 「新しい研究の芽となることをやるのは,同感だが,自分では精密化しかやれていない。どうしたらよいか」という参加者からの意見が出され,多くの討論がされた。

@    外国でも同じ悩みがあること,ソ連でもイマジネーションの豊かな人は数人で,その後に皆ついていっている。

A    数学の各分野および電気工学での日本の伝統がだされたが,学問研究が各分野ごとに輸入され,互いに交渉がないこと。他の科学・技術分野でもそうであり,工学と数学との関係もきわめてうすいこと。そういう点で伝統が浅く土壌がないこと。

 

(3) 果実と土壌のたとえ話に関連して,土壌は大切であるが,ないことにあまりこだわりすぎてはいけない。自分達で作っていかねばならない。そのためにまずすぐ心がけることとして

@    各人の新しい研究の芽をはぐくもうとする気持ちが大切

A    研究へのアプローチの教育的配慮(定理を与えるだけでなく,なぜそのような発見がなされたかを考える)

B    テクニカルな議論でなく具体的問題そのもので自主的に意見交換をすること。

などがだされました。

 

(4)  (2)に関連して丸山先生より確率論への考えがだされました。

@    確率論はいまなにをやっているのか,論文をいろいろ読む。討論・意見交換をよくやる。

A    この方面はもう少しこうあった方がよいのではないかという認識を持つ。

確率論のかなめの所は

(i) マルコフ過程(遷移確率)

(ii) ガウス分布(分布の形自身が内包する豊かな性質)

で,それをはなれるとあまりうまくいかない。後者は exp (-x2) という形そのものをよりどころにしている。形はないが構造がある場合の解析・分析はどうなるのか,そのへんのことをやってみたい。

 

 

備考 これは1976429日に開催された

数学若手の会総会における特別講演で丸山

先生が話された内容を江口正義氏,尾形良彦

が記録したものです。

 


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Updated on 18 July 2007