研究室訪問

高頻度観測金融データからリスク管理を研究

 1984年(昭和59年)生まれの若手研究者である。千葉、神奈川で育ち、千葉の渋谷教育学園幕張高校から東大数学科へ進み、修士課程を終了した。数学は早くから得意で、中学で高校の、高校で大学教養課程の教科書をマスターした。幼少期に父親から数のナゾナゾの本を与えられたりしたことが刺激になったという。

 2009年、三菱UFJトラスト投資工学研究所へ入った。世界経済が大混乱したリーマンショックの翌年だった。投資する株を数式のモデルを立てて選ぶ仕事に携わった。人間のカンだけではなく数式でも投資し、リスク分散をはかる。発展途上国の株式市場を対象に利益をあげることに貢献したという。

 ここでの最大の体験は2011年3月11日の東日本大震災で株式市場の激変ぶりを目の当たりにしたことだった。出向していた銀行で、ファンドマネージャーの隣席にいた。多くの株価が激しく変動し、それまで優良株の代表だった東電株はその瞬間からガラッと動きを変えた。株価は秒単位で動いた。この時の体験がその後の研究に影響することになる。

顔写真

荻原 哲平
数理・推論研究系
統計基礎数理グループ助教

秒単位の高頻度データの中で複数株式の連動性を見る

 勤めながら東大の博士課程に通い、2012年7月、大阪大学金融・保険教育研究センターの特任助教になった。経済、理、基礎工学部など専門の枠を超え、金融の関連を研究している研究者が横断的に集まっているところで、実務家との協力関係も盛んだった。高頻度観測金融データの研究に取り組み始めた。

 いまの株売買はコンピューターを利用するため秒単位で成立する。大型株だと1日数千回の売買があり、市場全銘柄のその日の取引はすべて記録される。1日の終値しか記録されなかった時代とは比較にならないデータ量である。この高頻度データを読み取って有意な情報をつかみ、リスク管理に役立てるのが研究の目的である。

 統計数理研究所には2014年7月に移り、研究はより本格化している。秒単位の高頻度データの中で主に複数株式の連動性に関する研究を行っている。例えば、株の値動きは、同じ産業内では同じように動くことが多い。その際、より大企業の方が、それ以下の企業よりも早く動く傾向がある。先行、遅行の差が出る。まったく産業の違う企業の株が連動して動くこともある。これらの連動性の特徴を秒単位・分単位のデータからとらえ、日々のリスク管理の参考とする。

ノイズ除去など新しい統計手法の開発にも取り組む

 高頻度観測金融データでは、株価の変動の大きさや株取引の活発さ、つまり株を売りたい時にすぐに買いの注文が入るかどうかという流動性もより正確に見ることができる。年金などの機関投資家にとってはリスク管理上、大きな関心事である。

 わずか秒単位の変化を統計的にとらえることで、リスク管理に実際に対処できるのだろうか。荻原は「数秒の差でも役立ちます。統計的に有効な情報を取り出すには数百、数千程度のデータは必要なので、1日の中で有効な情報を取り出すためには秒単位の変化のデータを集める必要があります。市場には数千銘柄もあるので、連動性の高さ、大きさは人間の判断で対応できず、数値化して管理しなければならない。銘柄間の連動性をもとにリスク管理を行うので、連動性が一番、重要な情報です」と語る。

 研究所での専門は数理統計学と確率解析である。高頻度観測データの特性に応じた新しい統計手法の開発にも取り組んでいる。その1つはデータの中に含まれているノイズを薄めること。データを自動的に平均化する計算方式をつくった。もう1つは、取引時期の違う複数株の連動性を見るために非同期観測の方法を研究すること。阪大の時に取引時期が違っても連動の大きさを効率的に推定する方法を見つけた。昔の1日ごとのデータといまの高頻度データを比較することができるようになった。

 実はこれらの研究はハードルが高い。厖大な取引データを収容するハードディスクや証券市場から購入するデータそのものが高額だ。高性能コンピューターも不可欠。大規模な研究機関でないと取り組めないこともあり、国内の研究者はあまりいない。欧米諸国と比べると人数、研究環境の整備ともに遅れている。

パラダイムを変えるような局面のきっかけとなる数学をつくればいいかなと思っています

現在よりもっと正確なリスク管理手法をそう遠くない先に

 しかし、難しかった高頻度データの解析も研究段階ではクリアされつつある。荻原の研究が高いレベルに達した時は、連動性の少ない複数の株を持つなどの方法で安定的なリスク管理が十分に期待できる。「リーマンショックのような急激な変化の時に最初の一発を避けるのは無理ですが、市場が不安定になった時に現在よりもっと正確にリスク管理できる手法はできるかなと思っています。そう遠くない先です」

 2015年3月には、この研究が進んでいるフランスの大学へ1か月ほど行くことになっている。フランスでは研究機関と実務家の提携が進んでいる。ここで研究者仲間のネットワークを広げ、共同研究に進めることも視野に入れている。

 当面はこの研究に力を注いでいくつもりだ。「高頻度データのリスク評価法は、いまは理論的なところと実証に少し手を出したところなので、もう少し金融機関が使える実用的なレベルにすることを近い目標としていこうというところです」。まだ30歳、前途は洋々である。「遠い先の目標は」と尋ねると「社会の中で科学が1つ、レベルが上がり、パラダイムを変えるような局面のきっかけとなる数学をつくればいいかなと思っています」と頼もしい答えが返ってきた。具体的には機械学習や人工知能の研究を金融や関連の分野へ応用することを考えているという。これからが大いに楽しみな研究者である。

(広報室)

図1.高頻度観測金融データには、株価の観測時刻が一致しない「非同期観測」や観測ノイズの混入の問題がある。図2.最新の統計手法により、株価の高頻度データから非同期観測や観測ノイズを除去し、株価相関が計算される。図3.株式注文情報から、取引量に応じた価格変動率を示した図。取引コストを抑える上で価格変動率の予測は重要。


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