研究室訪問

既存データを新しい解釈で読み解く

 「データを見ながら考えていると、『あ!』と気づく瞬間があります。数字がそれまでとは違う意味を持って見え始めるのです」。手持ちのデータから推論を立て、それを裏付けるために足りないデータを探し出して立証する。このプロセスには、謎解きのような面白さがあると船渡川は言う。

経済学の自己回帰モデルを個体差のある医学に応用

 専門は経時データ解析。経時データとは、複数の対象者それぞれから複数の時点で繰り返し反応を測定したデータのことだ。モデルを使った数理的な解析方法と、既存のデータからわかりやすい概念を導き出す方法の両方を研究している。

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船渡川 伊久子
データ科学研究系
計量科学グループ准教授

 東京大学の学生時代は疫学・生物統計学を専攻した。1990年代初頭、まだ日本では新しい分野であり、医学系のデータを扱うデータ解析手法の開発も黎明期だった。船渡川は未知の世界に惹かれ、同大学の大橋靖雄教授が日本で初めて開設した生物統計の教室に飛び込んだ。卒業論文の作成にあたり紹介された経時測定データ解析が、今につながる研究テーマになった。

 統計数理研究所に入ったのは2014年4月。大学時代から取り組む統計モデルの研究については、前任所の帝京大学医学部を経て現在、特に自己回帰線形混合効果モデルに注力している。このモデルを使い、副甲状腺機能亢進症の薬物療法における経時データ解析に携わった。投薬と生体反応の推移を見て、適切な投与量を探るのが目的だ。それまで多く使われていた線形混合効果モデルに、経済学で用いられる自己回帰の概念を取り入れた点が斬新だった。1時点前の反応数値を考慮するこの方法により、過去の投与履歴が反映され、時間の経緯とともに薬効が均衡する過程を合理的に、また、より的確に当てはめられるようになった。

カラクリを解くカギは「出生コホート」

 医学部では、公衆衛生に関する研究も開始した。まず、肥満の問題に取り組み、肥満度の指標であるBMI(ボディマスインデックス)のデータを見直した。公表されているデータは、年齢別の横断調査によるものが一般的だ。日本人の成人男性のグラフは逆U字カーブを描き、一旦上昇したのち年を取るにつれ痩せていた。また、日本人女性では20歳代は年々痩せていくのに対し、60歳代では逆に年々太っていく。船渡川は「出生コホート」に着目して、これらの現象の原因を解き明かした。

 コホートとは共通した因子を持つ集団を意味する。出生年を共通項とする出生コホートでBMIを調べた結果、世代間で比較すると男性では新しい世代ほどBMIが高いが、女性では1930年代生まれの集団が最も高く、それより前あるいは後に生まれた世代ほど低いことがわかった。世代ごとの年齢による推移は、いずれの世代も6歳頃から60歳代までBMIは上昇する。ただし、日本人女性では、10代後半頃から減少する時期がある。

 ところが、こうした出生コホートの経過は、年齢別グラフには表れない。もともとBMIが低い世代が差し掛かった年齢ではBMIが下降し、もともと高い世代が差し掛かった年齢では上昇していく。男性の年齢別グラフでは60歳代に他世代よりもBMIが低い世代が分布しているため、見かけ上は「いったん太って再び痩せる」ように表されていた。実際は、同じ年代に生まれた男性たちが加齢により痩せていたわけではない。

 さらに、日本人女性は、最近のコホートほど10代の数値が下がり始める年齢が若く、BMIが低くなっていることもわかった。1970年代生まれでは、子どもの頃は40年代生まれより太っているのに、16歳以降になると逆転し、痩せている。船渡川は肥満に関するこうした研究成果をBMJ(イギリス医師会雑誌)や疫学の国際ジャーナルなどに発表した。

他分野と連携して、社会に役立つ研究を続けたいと思っています

根気よくデータを探して“ミッシングリンク”をつなぐ

 肥満の次に選んだテーマが喫煙だ。日本、イギリス、アメリカにおける喫煙開始年齢と喫煙率の長期の加齢変化を推定し、出生年を考慮しながら肺がん死亡率と対比した。

 喫煙は肺がんのみならず多くの疾患のリスク要因だが、喫煙を開始してから死亡までの期間が長いために、両者の関連については不明な点が少なくない。例えば、1980年代前半まで、日本人の男性は喫煙率が高いにもかかわらず肺がん死亡率が低かったことから、「日本人は喫煙の影響を受けにくい国民である」という見方があった。船渡川は日英米の出生コホートから、日本の喫煙開始年齢が他国より遅かったことを突き止めた。また女性では、1920年以前に生まれた喫煙率の高い集団と、高い肺がん死亡率を示した集団が一致している。

 このように、既存のデータから新しい解釈を見つけ出す手腕が、船渡川の真骨頂だ。ただ、喫煙と疾病の関連のように長期スパンで追う必要のある研究テーマでは、昔のデータが見つからないことも多い。この研究では、イギリスの喫煙開始年齢のデータを探すのに苦労した。「推論であやふやな部分を確認するためには、どうしても必要なデータでした。目星をつけたイギリスの古本でやっと見つけ、やっぱり、と確信しました」。ミッシングリンクがつながった瞬間だった。

 これまで、医学や健康学の分野で統計を扱ってきた船渡川。「統数研に着任し、人口学や経済学、生態学など様々な分野で統計が活用されているのを見て新鮮な気持ちです。他分野と連携して、社会に役立つ研究を続けたいと思っています。よりわかりやすく説明するために、データの可視化などにも取り組んでみたい」。そう話す眼差しは、まっすぐに先へ向かっている。

(広報室)

図1.線形混合効果モデルと自己回帰線形混合効果モデル図2.Body Mass Index(BMI)の年齢による変化。1940年代生まれと1970年代生まれの男女。国民健康・栄養調査より作成。図3.喫煙開始割合、喫煙率、肺癌死亡率の年齢変化。1925年生まれ日本人男女と米国男、非喫煙者。Funatogawaら(WHO Bulletin, 2014)改変。


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