研究室訪問

複雑システムの復元、データによる経営を研究

 日本アイ・ビー・エムに26年間在籍し、東京基礎研究所長や執行 役員を務めた。40歳の働き盛りにコンピューター言語XMLの研究・開 発と標準化に取り組み、世界中の人たちに多大な影響を与えた。その 時に書いたXMLの技術解説書は6か国語で出版され、この種のもの では極めて珍しい6万部を重ねた。巨大なグローバル企業で最先端の 研究・開発を行うという貴重な体験の後、2011 年(平成23 年)4月、 52歳で統計数理研究所へ移った。いま研究者として副所長として多忙な日々を送っている。

顔写真

丸山 宏
モデリング研究系
潜在構造モデリンググループ教授

システムズ・レジリエンスとサービス科学の研究のまとめ役

 統数研で取り組んでいる研究の1つは東日本大震災を機にスタートした「システムズ・レジリエンス」の原理の探求である。レジリエンスとは、環境の大きな変化で壊れ、一時的に機能を失っても柔軟に対応して元へ戻る力のことをいう。心理学や生態学で使われ、今世紀に入りコンピューター・システムや金融市場、社会機能なども対象とした研究が行われている。

 この研究は、大学共同利用機関法人情報・システム研究機構がさまざまな分野の研究者を集めて行う「新領域融合研究センター」のプロジェクトの1つとして始まった。丸山がディレクターである。機構に所属する国立極地研究所、国立情報学研究所、国立遺伝学研究所、統計数理研究所のほか、国立環境研究所、東京工業大学、公立はこだて未来大学などから20人近い研究者が集まっている。

 「東日本大震災の後、大災害などが起きて壊れても元へ戻るシステムやコミュニティーを研究したいと思った。回復する力、レジリエントな力のなかに共通な原理があるのではないか。それを考えるのがプロジェクトです」。何事も仕組みが単純なら回復は早い。人間がつくったシステムはあまりにも複雑になりすぎた。いったん事が起きた時、どうやって回復するか。そのための基礎的研究である。

 2012年1月、研究所に新たに発足した「サービス科学研究センター」の代表も務める。わが国の就業人口の8割以上がサービス産業と言われるが、その経営は経験と勘が中心で科学的方法は確立されていない。機械工学、電子工学等と結びついた製造業と対照的である。そこで、統計数理研究所が持つ統計科学の知見とビッグデータ解析の最新情報技術を組み合わせ、サービスに関する科学を推進していくものだ。

 サービス科学の必要性は2006年ごろから言われ始め、丸山はIBM時代、その研究の推進役でもあった。丸山は「経営の意思決定をデータを使ってやるにはどうしたらよいかを研究したい」と言う。「データを経営の意思決定にどう使うか、データに基づく意思決定とはどういうものか、そのためにはどうしたらよいかを求めたい」

科学者は現場へ出て、耳を傾けてこそ、よい問題を見つけることができる

数百人のデータ・サイエンティストを育てたい

 最近、新たなテーマも加わった。「データ・サイエンティスト育成ネットワークの形成」という文部科学省の委託事業である。ビッグデータの時代に研究機関や産業界の第一線で活躍できるデータ・サイエンティストを育てようとするものだ。アメリカでは、もっともセクシーな職業と言われるが、日本は遅れている。丸山が教えている東大大学院情報理工学系研究科をはじめ多くの協力機関と連携し、大学院生らを企業・研究機関等のデータの現場に送り込んで学んでもらい、3年間で数百人のデータ・サイエンティストを育てたいという。同時にデータ分析の現状を調査し、実態を把握する。丸山の研究室が中心となって今夏から始まった。

 研究者としての丸山は以上の3つの帽子をかぶっている。そのいずれもIBM時代に培った知見、経験と関係している。IBMには東工大修士課程修了後の1983年から2009年まで勤めた。前半の10年間は第5世代コンピューターの研究、自然言語処理、機械翻訳の研究と開発などを行い、論文が評価され京都大から博士号も得たが、「大きな成果にはつながらず、世の中にインパクトを与えていなかった」という。

 1996年から1年間、米国IBMへ赴き、インターネット最前線と向き合ったことからチャンスが広がった。ネット上でビジネス文書などをやりとりする言語としてXMLが注目されていることを知り、日本へ帰って東京基礎研究所の3人のチームでXMLの研究と技術開発を始めた。丸山らは世界の最先端を走り、XMLの標準化とセキュリティーに取り組み、世界中の人々に影響を与え、今日のインターネット社会の礎の1つを築いた。

 米国の有名出版社からXMLの技術専門書の執筆を依頼され、チーム3人が書いた本は世界中で6万部売れた。専門書としては異例のことだった。これを機に「企業での研究は世の中にインパクトを与えるものでなければならない」と思うようになったという。

科学者としてのコミュニケーションに工夫

 その後、研究者としては畑違いのビジネス・コンサルティング部門で顧客との接触を経験し、2006年に東京基礎研究所長に就任、執行役員になった。所長時代は約160人の研究員に対し社内ブログでレターを書き続け、2009年にはそれをもとにして「企業の研究者をめざす皆さんへ」を出版した。これらの経験がすべて今日につながっている。

 統計数理研究所には、こうした経験を買われて教授として就任、同時に副所長になった。丸山自身も、そろそろ官公庁やNGOで公に奉仕する仕事を、と望んでいた。

 研究所では広報室長もしている。就任直後からツイッター、フェイスブックのソーシャルメディアを使う新しい広報で、オープンハウスや公開講演会の入場者を20-30%と大幅に増やした。所内の講演会をニコニコ動画でナマ中継し、全国から視聴者を得た。「統計数理研究所の認知度はまだ低い。電話で名称を言っても1回ではなかなか通じない。世の中に認知される名前になってほしい。いろんなチャンネルを利用して広めていきたい」と言う。

 科学者と一般の人とのコミュニケーションにも工夫している。「日本の研究者は研究の成果を外部の人に伝えるコミュニケーション力の向上に力をそそぐべきで、そのためには右脳の直感、感性に訴えるのが効果的」と話す。それが新しい研究のきっかけを見つけたり、研究成果を世の中で生かしていくことにつながるという。これもIBMでコンサルタントや営業部の仕事を担当した経験から得たようだ。「科学者は現場へ出て、耳を傾けてこそ、よい問題を見つけることができる」と信じている。

 現在55歳の健康体だが、時には仕事で遅くなり、研究所に泊まり込むことがある。研究室にはソファ・ベッドも備えている。それでも「アメリカ本社と深夜に電話会議をしていたIBM時代よりはずっと楽」と言う。「子供の科学」を愛読し、高校時代にコンピューターのプログラムを書き、ラジコンが趣味だったという丸山少年はいま、自転車と山登りを楽しむアウトドア派になっている。体力を鍛え、研究を成就させ、統計数理研究所を名実ともに世界のトップレベルへ押し上げようとしている。

(広報室)

写真1. 世界で6万部を発行したXMLの技術解説書。写真は第2巻の表紙。


写真2. 日本IBMに26年間在籍し、東京基礎研究所長を務めた。写真は2010年
の退職時送別会。



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