研究室訪問

因果関係を推測する統計科学の追求

 目に見えない無数の因果関係に囲まれている私たちの日常生活。ある事象が他の原因ともなり、その結果は複雑に連鎖する。
一定の結果が導かれるために、どの原因がどれだけ関与するのかは、容易には判断できない。

 人間が苦悩する大きな課題として、宗教や哲学が何千年にもわたって掲げ続けてきた因果律。その原因と結果の関係性の解明に向けて、統計科学が確実な役割を果たそうとしている。

顔写真

黒木 学
データ科学研究系
構造探索グループ准教授

効率よく原因の確率を評価する可能性

 「構造探索グループ」に所属する黒木。その研究テーマは「統計的因果推論・グラフィカルモデリングの理論構築と医学・工学・情報科学への応用」である。難解といわれる「因果推論」について、黒木は以下のように平易な説明を試みる。

 「ある病気の患者さんがお医者さんからもらった薬を飲むのは、薬を飲めば(原因)、病気が治る(結果)と考えているからです。でも、ちょっと待って。薬を飲めば、本当に病気は治るのでしょうか。実はこのような問題に正解を出すことはとても難しく、多くの研究者はそれぞれの分野において因果関係を解明するために努力しています。統計科学ではこのような問題にデータを用いて答えを出そうとする研究が行われています」。

 黒木は「解析対象となる諸現象の原因と結果の関係をグラフを用いて視覚化し、その関係に統計科学の立場から定量的評価を与える」ことを目指す。「私たちの生活は、効率よく原因の確率を評価することができれば、随分と明るいものになるはずです。目に見えない因果関係の連鎖を可能な限り目に見える形であらわし、現実社会の課題解決に役立てたい」と、黒木は研究者としての抱負を語る。

因果推論による工程改善策を提案

 因果関係の連鎖についてモノ作りを例に考えてみよう。製造現場における工程を改善するための対策は「まずは要因と特性の間の因果関係を明らかにし、そのうえで回帰分析を実施し、改善に有効な要因を絞り込むことが多い。しかし、この手法ではクリアできない重要な問題点も指摘されてきた」と黒木は説明する。

 工程解析が使われる場面では、室内の温度や湿度といった環境要因が複数の要因に影響を与えている。複雑なメカニズムをとおして特性が変動しているため、工程メカニズムを特性要因図から理解することは容易ではなく、むしろ困難を増すことがある。また、回帰分析を用いて要因の絞り込みを行う際にコントロール可能な要因が選択されないために、コスト高となる工程改善策を実施することも。さらには、工程の改善が技術的に困難である、との結論に達する恐れすら生じかねない。

 このような問題点を解決するため、黒木は因果ダイアグラムと呼ばれるグラフを用いて工程メカニズムを明らかにし、改善策を実施したときの効果を観察データから推測する研究を行っている。黒木によれば、この研究は品質管理活動に大きな貢献をすることが期待されるという。なぜなら、実際の工程の中で改善効果に関する評価実験を行うには莫大なコストを伴うこともあり、技術的に困難である場合すらある。しかし、観察データを用いれば、工程を止めずに改善策を検討できるからだ。

 このような観察データに基づいて因果関係を推測する手法を理論化するためには、a)因果構造の解明、b)因果効果の推測、c)原因の究明、といった問題の解決に取り組む必要がある。「社会科学、医学、工学などの分野では、因果効果を識別するための変数選択基準や、各統計モデルにおける因果効果の推測法などの開発が重要なカギとなる」。統計科学の新たな貢献が求められる時代が来た、と黒木は考える。

雑談しているときが最も貴重な時間であり、新たな研究テーマが浮上してくる

医療経済分野で因果関係の統計的評価の研究

 二つの大学の修士課程で工学や数学を学び、研究以外の仕事や大学教員も経験した後、2011年に統数研入りした。実社会を一巡して研究者の世界に戻って来たようにも見えるが、本人としては「数学に興味を持った高校生の時代からいつも、自分の問題意識は変わってないように思える。一貫して、原因と結果の関係性における必要性と十分性を理解するための確率論を追究してきた」と“回帰分析”する。

 09年、米国で在外研究を行ったときの恩師であるUCLAのJudea Pearl教授(コンピュータサイエンス専攻)の著書を翻訳し、『統計的因果推論―モデル・推論・推測』のタイトルで出版した。この本の中で黒木は、研究者としての自分の使命を確認するかのように、現実社会における「因果関係の確率計算に基づく構造論的説明」の大切さを強調する。

 具体的な問題解決に向けて、いま黒木が情熱を傾けるのは医療経済分野だ。19世紀後半に登場した外科治療は、病気を根治的に治療する方法として多大な成果を上げてきたが、一方で細菌等の微生物による「手術部位感染」という新たな敵も作り出した。病院によって対策の実施状況や入院患者の重症度が異なる発症メカニズムについて、黒木は九州大学の福田治久准教授とともに、統計科学と医療経済学の両面から解明しようとする。

 黒木は「この研究は病院が患者に提供する医療の質を適切に評価するのに重要な役割を担う」と力説する。この共同研究では、グラフィカルモデリングを用いて患者重症度評価項目の統計的関連構造を解明したうえで、病院間の患者重症度の違いを補正することで、医療の質を統計的評価する方法の開発が進められている。この評価モデルを用いて感染率を評価し、感染率に違いがあると判断されれば、病院が提供する医療の質にも違いがあると判断することができる。「医療の質を適切に評価することで、診療プロセスの改善および手術部位感染の低減のきっかけをつかむことになり、結果として患者が良質な医療を受ける環境が整備されると期待される」と黒木は語る。

 統数研5階の黒木研究室には、日本品質管理学会などから受けた多くの賞状が額装で掲示されている。その手前のソファーに横たわりながら、リラックスすることが好きだ。「私にとっては雑談しているときが最も貴重な時間であり、新たな研究テーマが浮上してくるのです」。現実社会での確実な貢献を求め、統計推論の思索が続く。

(広報室)

図1.「自動車のボディ塗装工程条件の設定」に関する特性要因図(背面図)と因果ダイアグラム(前面図)。前面図の因果ダイアグラムから、希釈率は塗着率に対して直接的な影響を与えていないため、変数選択を行っても有用な要因として回帰モデルに取り込まれることはないが、粘度と吐出量を経由して間接的な影響を与えており、粘度や吐出量を一定にしてしまうと希釈率の塗着率への影響が除去されてしまうことがわかる。このような工程メカニズムを背面図の特性要因図から読み取ることは難しい。


図2.ある病院の入院患者重症度評価項目の統計的関連性を視覚化したグラフィカルモデル。先験的情報とグラフィカルモデリングの結果を併用することで、効率的な改善策を提案することも期待される。実際、このグラフでは、「創の清潔度」と「内視鏡利用の有無」が手術部位感染の大きな原因となっていると考えられることから、これら2つの項目について適切な対処を行うことで、手術部位感染を低減できることが期待される。


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