研究室訪問

脳・神経系の動作を解明し理・工・医学の発展に生かす

 子どものころから天文が好きだった。星ではなく、目には見えない「ものの真理」に興味を持ち、大学では物理を学んだ。宇宙から来る素粒子を電子回路で増幅し、地球の周りの環境変化を電磁気で知るテーマに専念した。卒業後は電気通信会社の通信システム研究所へ入り、移動無線通信を担当した。深澤敦司研究所長(後に情報・システム研究機構特任教授)が提唱し、日本をはじめ世界各国の携帯電話で採用された大容量無線通信方式「W-CDMA」(Wideband Code Division Multiple Access)の開発に携わった。大きな伝送能力があり、音声だけでなく画像、動画の通信も可能となった。この時の研究がベースになった「モデル化に基づく非定常過程に関する基礎的研究」で1994年(平成6年)に東京大学から工学博士号を得た。

 翌1995年7月に統計数理研究所助教授に就任し、非数値的情報処理研究部門に所属した。当時、デジタル通信の速度は年々速くなっていたが、LSI(集積回路)の消費電力も巨大化し、それを収めるチップは太陽表面温度にも近づき使用に耐えられない計算となった。抜本的な改革を迫られ、まったく違う方向を求めて生物のニューロン(神経細胞)に学ぶことにした瀧澤は、1998年から2年米ヴァージニア大学で念願の生物学を学んだ。

顔写真

瀧澤 由美
モデリング研究系
複雑構造モデリング
グループ准教授

ニューロン研究で国際神経学会から最高論文賞

 帰国後、生物から情報処理を学ぶため本物のニューロンの研究を始めた。ニューロンは電気信号であるパルス波形を出している。こんなに強いパルスは能動素子(トランジスタのように小さな電力、電圧、電流を大きく増幅して出力するもの)ではないと出せないことは「電気屋」では常識だった。通信の専門家である深澤氏と脳・神経システムの科学的解明に取り組んだ。

 その結果、ニューロンは強いパルスを発振する能動素子であり、その固まりであるニューロン群は各ニューロン間のパルスを相互にやりとりして、全体として同期して(共通の内部時計に合わせて)動作していることを数学的にモデル化することができた。これは画期的なことだった。これによって極低電力で高度な信号処理ができることを初めて明かにすることができた。「信号は電気なのでニューロンといえども電気的なことをしているが、そのことが解析されていなかった。それを私たちがやった」

 この研究は物理と電気、生化学と多分野にまたがっていたため日本の専門家にはなかなか認められなかった。2012年7月、ギリシャでの国際神経学会に「ニューロンの能動性とニューロン群の組織化による同期と信号処理」の論文を深澤氏と共同で提出し、最高論文賞を獲得した。医学や薬学系が多い各国の研究者から、即座に大きく評価された。

 「いつ、どこで、だれが信号を発したかを知るのは動物が生きるために瞬時に応答する脳の機能であり、移動無線の命題につながっている。生物が持っている機能は生存、大量データ解析、危険を知るアラームシステムといろいろです。生物、とくに脳・神経システムを研究することには科学に託される全ての要素が入っています」

生物、とくに脳・神経システムを研究することには科学に託される全ての要素が入っています

聴覚による脳内地図を解明し、LNG輸送計測システムに取り組む

 聴覚により音源位置を視覚的に描く脳内マッピングについて研究している。生物が危険はどこにあるか、エサはどこにあるかと生きるためにもっとも基本的な情報を耳を通じて得る機能についての研究である。日本人研究者によりコウモリやフクロウは、いくつかの音源から複数の物の相対的位置を保ちながら、脳内に地図をつくることが知られている。この機能は人間にもあると考え、ニューロンネットワークを用いて音の位置関係をマッピングする研究を行った。その結果、神経システムによる脳内マッピングの仕組みを解明し、その実システムへの応用として、3次元空間での同時ランダムな複数の音源に対して、発生位置だけでなく発生時刻も推定できる信号処理システムを開発した。

 「この仕組みがさらに解明されれば、視覚を失った人が訓練によって外の世界を認識できるようになり、救いとなる。この原理の応用分野はとても広いです」

 この研究について瀧澤が筆頭著者となって論文を提出したところ、2013年3月、「応用数学とコンピューター技術国際学会」から招待を受け、「脳神経システムの研究−発生した事象(イベント)を時間、空間、運動の物理的尺度でどのように知るか?」について講演した。ここでも大きな反響を得た。

 聴覚による脳内マッピングの応用として国内計測器会社と共同でタンカーのLNG(液化天然ガス)容量を正確に測る方法を研究している。LNGは透明で気化をするため測定が難しい。積載量を正確に測らないと積み荷にアンバランスが生じ、船が傾いてしまう。世界各国が正確な測定システムの開発にしのぎを削っており、これが完成すれば、日本が世界の主導権を握ることになる。

 瀧澤たちは脳内地図の研究実績をもとにアクティブ・ロケーション方式として一気に解決しようとしている。「世界との競争ですから、言えない部分が多いですが、生物が聴覚を通じ物の位置を知る方法の応用です。完成すればインパクトは大きいと思います」

脳の中枢に迫り、医学・薬学、コンピューター技術への応用も

 これまでの研究は、瀧澤がアメリカで学んだ生物学の知見、そして共同研究者である深澤氏のディジタル通信システムに関する深い経験と知識の合同の上で成り立っている。これからの研究は、目標が高ければ高いほど分野の違う多くの研究者の共同が必要だと瀧澤は力説する。それは同時に研究上の困難にもつながる。多分野での研究になれば関係学会は複数にまたがり、研究結果の評価は難しい。よい評価が得られなければ研究費は増えず、研究の進展も望めない。瀧澤たちの研究はいま、この壁にぶつかっている。「まったく新しい、劇的に違う方法などのボトムアップ的テーマはなかなか評価されない」。瀧澤たちの最高論文賞は実は熟慮の末、欧州の識見に期待して論文応募した結果だった。

 瀧澤の多分野での研究活動での下敷きには、子どものころからの「ものの仕組みを知りたい」という科学全般への強い興味、関心がある。共同研究者の深澤さんは「この人は天才ですよ」と言う。着想に優れているのだ。1児の母でもある瀧澤は「子どもから教えられることがある」と言う。ヒントを与えられるのだろう。

 電気通信と生物学を融合して取り組んでいるニューロンの研究は人の脳の中枢に迫り、神経系の疾病の解明や新薬開発につながるほか、将来は、まったく違った新しいタイプのコンピューターを誕生させる可能性もあるという。統数研には大きな可能性を持つ研究者が在籍している。

(広報室)

図1.ニューロンの一例(F. Delcomyn, “Foundations of Neurobiology”, Freeman and Company, 1998)


図2.相互結合による同期化神経システムの構成(瀧澤らの論文から)。


図3. ヒトの聴覚における3次元定位の3つの空間軸(瀧澤らの論文から)。


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