研究室訪問

脳の活動を解明する情報理論、 情報処理の研究

 研究室を初めて訪問する者が、まず見渡すのは室内の本棚だろう。そこに並んだ書物のタイトルと配列から、部屋の主の問題意識を推測しようとする。時にはその性格も。

 「学習推論グループ」に所属する池田思朗の専門分野は情報幾何学、確率推論、統計的学習理論。だが、これらの書籍は整然と並ぶことなく、立っていたり、倒れていたり、斜めに置かれていたりする。画一性を遠ざけ、発想の自由を大切に考える研究者としてのスタイルが漂って来るように、訪問者には思える。

脳からの信号を独立成分として取り出す工夫

顔写真

池田 思朗
数理・推論研究系
学習推論グループ准教授

 「統計科学のいくつかの分野に関わって来ました。一貫して同じ対象を研究しているとは見えないと思います」。研究の足跡は論文として残るが、現時点で何を考えているか、何を解明しようとしているかが最も重要だ、と池田は考えている。

 大学院で計数工学を専攻し、理化学研究所や九州工業大学での職場を経験し、2003 年に「調査実験解析研究系助教授」として統数研入りした。ホームページに掲載する研究テーマは、「確率伝搬法の解析」(情報幾何学的手法による解析)、「独立成分分析」(音声、生態計測データの解析)。しかし、「それらは、過去の実績の紹介であり、現在の研究の説明にはなっていない」と話す。

 そんな考え方に反するかも知れないが、研究実績の一端を紹介してもらおう。独立成分分析とは何なのか。「1990 年代に盛んに研究された信号処理の方法の一つです。私は複数の話者の声を同時に録音したあと分離する方法を追究しました。この方法は提案された当初から、脳の活動を記録したデータの解析に使えると考えられていました」

 脳は神経の間にイオンが移動し、電流が流れることにより考え、判断を下す。しかし、脳からの信号(電流)は微弱であり、測定器のまわりの様々な電気的活動と区別することは難しい。 池田らの研究チームは独立成分分析の手法により、図1で示すように、外界からの雑音を低減し、脳内の活動のみを取り出す解析方法を開発した。

現時点で何を考えているか、何を解明しようとしているかが最も重要だ

疎表現を用いた情報処理

 現在、池田が熱心に取り組んでいるのは、先端医療にも関わるX線回折画像の解析方法に関する研究だ。具体的には、タンパク分子などの生体の単粒子にX 線をあて、回折画像から分子の三次元的な構造をはかろうという計画が進んでいる。 だが、最新鋭のX 線レーザーが駆使されても、粒子が小さくX 線の強度が十分ではないことから、暗く不鮮明な画像となる(図2)。こうした画像から元の分子の構造を推定するためには新たな計算法が必要となり、池田らは「疎性」に基づく推定法によって、この回折画像からの復元の問題の解決法を提案した。

 測定によって得られたデータから、「疎性」を使って対象の本来の姿を推定する、という意味から「疎表現を用いた情報処理」と呼んでいる。

 「疎性というのはデータがまばらである、ということを示します。 この問題では、まばらなのは元の単粒子の電子密度であり、単粒子は空間の一部に固まっており、他の部分には何もデータがない。この構造を利用してデータの復元を行おうというものです」と池田は説明する。

大学院大学の教員として、垣根は低く

 統計科学の研究だけでなく、教育者としての仕事も要求される。「このタイトルの授業ならば、教えることができます」と、自己申告して成立した教科目が「信号処理特論T、U」だ。大学院大学としての教育手法について、池田は次のように説明する。

 「例えば工学系の大学の研究室なら、長年にわたりロボットや機械の開発や改良、ソフトウェアの改善を行い、ある程度の成果を上げて就職、という複数の年代にわたるチーム型の教育方法が可能な場合があります。しかし、ここ統数研では全く異なり、次代をになう研究者の養成を狙っている。個人の問題として研究テーマに向き合い、統計科学というものを考えようとする学生をサポートする」

 それは単なる受講者ではなく、共同研究者としての学生を尊重する姿勢でもある。電子書籍のタイトルを掲げ、「一緒に読みたい学生さんがいらっしゃればご連絡ください。日程の調整をします」と、垣根を低くして呼びかける一方で、「学生の参加者も(輪読の)一部を担当して頂きます」と付記し、共同研究の覚悟と責任の自覚を求める。

 ところで、広報誌の取材には協力を惜しまないが、肖像写真を載せることは“拒否”。「一人の研究者として、評価の対象となるのは論文の質であり、容貌、外見や生い立ち物語などで装飾した自分を晒す必要はないと考えます」と、池田は言った。

 部屋の主が広角レンズの範囲から遠のいた研究室。本棚の前に横付けにされた高速タイプの真っ赤な自転車が、「残るのは論文のみ」の言葉と共に疾走する研究者の自負をシンプルに伝えていた。

(広報室)


図1.独立成分分析による脳内電流分布の推定。(a)は脳磁計で測定したデータ。(b)は提案手法によって処理をしたあとのデータ。上側は脳の活動がほぼないときのデータ、下側は活動中。提案手法によって、雑音が取り除かれ、脳の活動のみが鮮明に確認できる。


図2.単粒子を用いたX線回折の実験。強いX線レーザーが利用されるとはいえ、回折画像のための光量は十分ではなく、暗闇でとった写真のような粗い画像となる。


図3.SPR法による電子密度の復元。(a)は既存の方法で復元したもの。(b)は提案手法によって復元したもの。


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