研究室訪問

科学を横断する統計的手法の開発を模索する

 立川基地跡地の一角に建つ統計数理研究所。空と地上と山々を一望にする6階には、主として統計科学の基礎理論の研究者が詰めている。逸見は2011年4月から数理・推論研究系准教授となり、個室を持つようになった。まだ図書類が少ない簡素な室内に、音量を絞り込んだクラシック音楽が流れていた。

 2001年に総合研究大学院大学の数物科学研究科(現在の複合科学研究科)の後期博士課程に入学し、統数研に通うようになった。「数学出身の自分が、打ち込みたい統計科学の姿が明らかになってきた。自分の位置を確認しながら、しっかりやっていきたい」と静かな口調で話す。

統計的結果を統合する手法としての「メタアナリシス」

顔写真

逸見 昌之
数理・推論研究系
学習推論グループ准教授

 大学院生を対象に「推測統計特論T・U」の科目を講じることになっているが、まだ学生を一人も持ったことはない。「この研究所の大学院で育ててもらったので、大学院生の中から希望者が出てくれば、喜んで共同で研究したいと思っています」。

 修士課程で学際分野である情報幾何学を研究し、修了後は数学や医学の専門書を発行する出版社に勤務した。編集作業を手伝いながら、社会人や学生を対象とした「私塾のような」数学教室で講師見習いをしたユニークな経験をもつ。そこで生物統計学という分野があることを知り、研究者への道を歩みたいと考えるようになったという。

 Webページに掲載する自己紹介の研究テーマは、「メタアナリシスの基礎研究とその医学研究への応用」、「統計的感度解析」など。逸見の言葉に従えば、統計科学による解析は「母集団の興味ある性質をデータから推測するための方法」であり、逸見自身は「目的を同じくする複数の研究から得られる統計的結果を統合し、より強い統計的エビデンスを得るための統計解析」に強い興味を持ち続けてきた。

 例えば医科学において新薬が開発される際、効果を検証するために患者集団を対象とした臨床試験が行われる。それが異なる病院、地域、国など複数の場所で行われたとき、ある試験では「効果あり」を示唆する結果が得られ、またある試験では「効果なし」を示唆する結果が得られることが普通だ。複数の統計的結果を、ある方法により統合することによって、新薬の効果を総合的に判断することができる。このように、個々の試験(研究)から得られる統計解析の結果に対して、さらに統計解析を行って総合的な結果を得る手法がメタアナリシスと呼ばれる。

純粋な数学理論の学習から出発し、次第に現実社会の豊富なデータへと近づいていく自分を意識しています

英国留学で出会った「公表バイアス」研究の成果

 メタアナリシスを行う際に、特に注意すべき概念とされるのが「公表バイアス」。簡単に言えば公表されたものの持つ偏向的な傾向である。新薬開発の例だと、個々の臨床試験の結果がまとまる際に「効果なし」を示唆するような結果は公表されにくい傾向がある。公表された結果だけ見れば、「効果あり」を示唆するものが多くなるので、メタアナリシスを用いて統合しても「効果あり」という結論が導かれやすい。

 「ネガティブな結果も実際には存在して、ただそれが公表されなかっただけだとすると、この統合結果は偏ったものとなり、注意が必要です」。メタアナリシスによる統合結果に生じる「公表バイアス」をどのように処理するか。逸見はこの手法の開発に挑戦する研究に打ち込むようになった。

 学位取得後の2004年6月から2007年5月まで、研究員として滞在した英国のWarwick(ウォーリック)大学統計学科では、ジョン・コーパス教授の指揮のもとで、論文「公表バイアスを伴うメタアナリシスのための信頼区間とP-値」をまとめ、感度解析と呼ばれるアプローチによって公表バイアスの影響を評価する方法を提案した。図1と図2はその論文から採ったものだ。

 この論文は完成までに約2年の歳月を要し、国際計量生物学会の学会誌に掲載された。逸見は帰国後、この業績で日本計量生物学会奨励賞を受賞した。「コーパス先生との共同研究でしたが、行き詰っていた私たちに対し重要な突破口の1つを提示してくださったのは、日本から訪ねてきてくれた統数研の江口真透先生でした」と、恩師への感謝をいつも忘れない。

統計解析の分野拡大を目指して新たな挑戦

 現在の研究テーマの1つである「統計的感度解析」は、「データの生成過程についての仮定を変化させたときに、偏りの補正結果がどう変化するかを見るというやり方です」と解説する。データの生成過程についての仮定の変化に対する、補正結果の感度をみるという意味合いだ。逸見はこの研究を通じて、公表バイアス問題で行ったアイディアが広く使えないかを検討中だ。

 恩師との交流によって向上し、次の分野に旅立とうとする自分を意識する。「これまでの経緯から、医学・生物統計学に関する問題を扱うことが多かったのですが、この分野に限らず、広く統計的方法論の開発、およびその性質を解明するための理論的な研究に興味を高めています」と、自分自身を分析するように話す。

 これまで馴染んできた医学統計学での方法論は、計量経済学などの社会科学分野の統計的方法にも共通するものが多々あるのではないか、と逸見は考える。「純粋な数学理論の学習から出発し、次第に現実社会の豊富なデータへと近づいていく自分を意識しています。科学を横断する統計的手法の開発を目指していきたい」と目標を語った。

 学生時代からの趣味は男声合唱。最も高い音域のトップテノールを担当してきた。「私の研究を合唱に例えるならば、メンバーが気持ち良く歌うための基礎、つまりベースのパートかなと思う。統数研という名の合唱団の中で、きちんと自分の役割を果たせるようになりたい」。控え目な言葉だが、数学から出発して医科学、さらに社会科学へと統計的解析の対象を広げていく挑戦者としての自負が匂い立っていた。

(広報室)

図1.メタアナリシスの対象となる個々の臨床試験結果。早産が予期される妊婦にステロイド剤を投与したとき、胎児の死亡を防ぐことができるかどうかを検証するための14個の臨床試験から得られた(統計的な)結果がプロットされている。×印は、各臨床試験から得られた効果指標の推定値(横軸)とその推定精度(縦軸)を表し、横棒は信頼区間を表す。横軸では、0よりも左にいくほど、効果があるということを意味し、縦軸では、下にいくほど、推定の精度が悪いことを意味する。プロット全体が左に歪んでいることが、「公表バイアス」の存在を示唆している。


図2.新たな感度解析法を適用した結果を示す図。横軸は未公表の臨床試験の数を表す。一番下の実線が信頼区間の下限、その上の実線が信頼区間の上限を表す。未公表の臨床試験数が大きくなるにつれて、信頼区間が広がっていくことが見てとれ、メタアナリシスの結果の信頼性が低くなっていく(不確実性が増していく)ことを意味する。

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