研究室訪問

角度の観測を含むデータのための統計的手法

 2011 年3月11日、M9.0という未曾有の大地震が東日本を襲った。大規模な津波の直撃を受け、機能停止に陥った原子力発電所。その放射能漏れ事故は日本のエネルギー政策の脆弱さばかりか、21世紀文明のアキレス腱を露呈させた。被害はどこまで広がるのか、いつまで続くのか。有毒物質を運ぶ風の方向や強さの継続的な解析が、喫緊の課題として浮上してきた。

様々な学術分野で存在する角度の観測を含むデータ

 風向は、北を0度とし、時計回りを正の向きとすれば、東を90度、南を180度、西を270度のように角度で表すことができる。つまり、任意の風向は0度から360度までの角度として表現できる。

顔写真

加藤 昇吾
予測発見戦略研究センター助教

 このような角度のデータは様々な学術分野に存在する。しかし、通常の(実数値データのための)統計的手法をそのまま用いることができず、これまで理論的な扱いが困難な領域と考えられる傾向 があった。加藤さんは、このような角度の観測を含むデータのための統計的手法を研究している。

 図1は1987年秋、中央ヨーロッパからアルプス山脈を越えて南フランスやイベリア半島へと向かう渡り鳥数種の移動方向を、ドイツとスイスのレーダー基地にて記録したものだ。

 円周上の青い点の数は観測された鳥の羽数を表す。一つ一つの点が渡り鳥の行動記録であり、その集団がどのように統率され、気象の変化に応じてどのように意志を実現していくのかを物語る。 統計科学的な手法が応用されることにより、リーダーの役割や社会としての渡り鳥の集団の性質が解明される。

過去に当たり前だと思われてきたものは、必ずしも確実なものではない

データの傾向の定量化を目指して

 このように実際に観測されてきた角度のデータは、重要な情報を含んでいる可能性がある。にもかかわらず、解析において無視されることがしばしばあった。そのような背景の下で、角度観測を含 むデータから有用な情報を得るための統計理論の開発が求められ、角度のデータのための統計モデルが提案されてきた。加藤さんの目下の研究テーマは1980年代以降盛んになった角度の時系列モデルに関する研究だ。

 「既存の時系列モデルで説明できる現象は限られており、角度の時系列データには十分な当てはめを期待できないものが多く存在している。また、過去に提案されたモデルの統計的性質に関しては、十分な考察がなされていないことも問題である」と加藤さんは指摘する。特に近年は誤差項に非対称な確率分布を仮定した時系列モデルに関する研究の必要性が指摘されており、「実用性と数学的な扱いやすさを併せ持つ新たな時系列モデルが望まれている」のだという。

 図2は2007年にドイツの気象観測所にて記録された風向の時系列データである。風向は2007年5月23日午後10時から、同年同月27日午後9時まで1時間おきに観測された。横軸は1時間毎の時間を表し、縦軸は風向を−πからπまでの角度で表している。このような角度の「周期性」が風向の時系列データの解析を困難にする1つの大きな原因である。

 角度の時系列データのモデル化には、定常過程(時間や位置によって確率分布が変化しない確率過程)がしばしば用いられるが、モデルに適度な柔軟性があり、解釈が容易でかつ、理論的に扱 いやすい定常過程は今までに提案されていなかった。

 「私はこのような問題に取り組むため、角度のマルコフ過程(Kato,2010)の提案を行いました。今後は、このモデルの拡張として、誤差項に非対称分布を仮定した角度の自己回帰過程を提案し、その統計的性質に関する考察と気象データへの応用を行うつもりです。研究が完成すれば、既存のモデルでは記述できなかった幾つかの現象が記述できるようになり、それにより角度の時系列データを解析するための一つの統計的手法を確立することが可能となるのではないかと考えています」。

過去のモデルに満足しない学究姿勢

 「助教」の肩書きが示すように、統数研が抱える最も若い研究者の世代に属する。2007年に数理科学系の博士課程を修了した後、英国の放送大学にあたるオープン・ユニバーシティに訪問研究員として3ヶ月間滞在し、M.C.Jones教授と共に確率分布論の研究を行った。2008年4月に予測発見戦略研究センターの特任研究員に応募する形で統数研入りし、2009年10月に助教の公募に応募して採用された。

 研究成果は主に理論に関するものである。「これまで当然のように置いてきた仮定が理論的な行き詰まりを生んでいる。妥当かどうかを見直すことが重要。それに加えて、数学の関数論などさまざまな学術分野と結びつけることで、研究を大きく進展させていきたい」と抱負を語る。

 趣味はスポーツ観戦。英国滞在の折などのティータイムには共同研究者との間でサッカー談義がはずみ、それがお互いの人間的な理解に一役買ったという。

 毎朝、立川駅から統数研まで必ず歩くことにしている。米軍基地跡の広々とした景色を見渡しながら、いつも考えるのは「過去に当たり前だと思われてきたものは、必ずしも確実なものではない」ということだ。「私の理論は角度のための統計モデルを必要としているさまざまな学術分野へと応用できると考えています。」具体的には気象学、医学、生命情報学、地震学など。

 「統数研の最大の特徴は、多様な学問的背景を持った人々が集まっていること。恵まれた環境を生かして、新たな分野の知識を広げてゆきたい」と若々しい意欲を語った。

(企画/広報室)

Kato, S. (2010). A Markov process for circular data, J. Roy. Statist. Soc. Ser. B, 72, 655-672.

図1.渡り鳥の移動方向を記録したデータ(Bruderer and Jenni, 1990)。移動方向は角度で表され、東を0(0度)、北をπ/2(90度)、西をπ(180度)、南は−π/2(−90度)としている。


図2.ドイツの気象観測所にて記録された風向の時系列データ。途中で−πからπへ(もしくはπから−πへ)飛んでいるように見える箇所があるが、これは角度の周期性によるもので、実際には連続な変動を表している。


図3.加藤さんが2007年から2008年にかけて滞在した英国のオープン・ユニバーシティ

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