研究室訪問

応用統計家として自覚―慶大と筑波大時代に産学交流―

 自らを統計学者ではなく応用統計家と言う。大学1年の時に本格的に統計の道に進むことを決意した。学部・大学院時代から多くの「統計の現場」を歩んだ。その後も、実業の世界へ有為な人材を輩出している慶応大の理工学部数理科学科と、社会人を対象とした筑波大の大学院で教べんをとったことが、応用統計家としての自覚をゆるぎないものにしたようだ。

統計は世界のビジネススクールで必修科目

 大学1年の一般教養で受けた寄与率の講義に強い衝撃を受け、3年次に工学部計数工学科へ進んだ。学部・大学院時代から積極的に外へ出て、中学・高校で生徒たちの鉄棒の成績と練習回数、体型の関係を調べたり、旧専売公社でタバコの売り上げデータを解析し、地域性と銘柄の関係を分析した。

顔写真

椿 広計
リスク解析戦略研究センター長
データ科学研究系教授・副所長

 慶応大には1987年に講師として赴任し、10年間いた。伝統的に実業の世界と深いつながりのある大学である。多くの企業から研究依頼があり、「データのあるところはどこへでも行った」という。工場、会社、官公庁、そして日本を代表する企業の品質管理や改善活動とかかわった。

 筑波大は1997年に赴任した。旧東京教育大の跡地、東京・茗荷谷に設置された大学院の教授である。丸の内や大手町のビジネス街に近く、平日の夜間と土曜日に社会人対象に英語で講義を行う。学生たちは企業で統計の必要性を痛感しているため学習へのインセンティブは高く、夜の講義が終わっても、なかなか帰してくれないという。

 「不思議に思うかもしれませんが、世界中のビジネススクールは統計が必修です。統計と数学の基本は叩き込んでいる」と椿さんは言う。ハーバード大で初級経済学を教えているグレゴリー・マンキュー教授も最近、ニューヨーク・タイムズで「人生ゲームの履修科目」として「入門経済学、統計、金融、心理学」をあげている。

 統計数理研究所には、2005年4月に特任教授として、2007年12月に教授として正式赴任した。筑波大大学院での講義はいまも続けている。専門分野は、品質管理、新薬臨床試験、環境計測、官庁統計と幅広く、どの分野をとっても日本の統計の歴史を実体験として語れるキャリアを持つ。

 現在は、リスク解析戦略研究センター長を務める。医薬品や食品の安全性、環境科学物質の安全性、金融保険理論の政策への取り込み、よりよいモノづくり、サービス創造へとつながる研究、そして、NOE(Network Of Excellence)による社会問題の解決。一つの研究機関で難しいものは多くの研究機関・大学が連携し研究していこうとして、40機関が集まっている。椿さんは、それらの推進役である。

統計学は問題解決学。解けない問題、未知の問題は、データを取って事実を知り、攻めていくしか方法はない。

米国が日本のモノづくり手法を学校教育に取り入れる

 研究所に9月からテレビカメラ等で監視する「オンサイト解析室」を設置した。限られた研究者だけが中に入り、官庁統計から個人データを除いたものを他の研究者に提供し、解析してもらうものだ。「日本の国は、ぼう大なデータを持っている。そのデータを統計のプロが利用して情報を抽出し、こうだと言えるものを研究していただく。アメリカでは国のデータを研究者がよく利用しているが、日本ではなかった。」

 いまは総務省と厚生労働省のデータがこの部屋に来ている。経済産業省のデータが使えるようになると、日本企業の浮沈の状況などが分析できるという。経産省のデータは、椿さんが産業界や経営学の研究者たちと取り組んでいる統計を使った経営支援システムの構築にとっても、重要な参考資料となるだろう。1980年代当初から日本の工場で品質管理(QC)を見てきた椿さんには残念なことがある。1980年代末のバブル崩壊で日本人が自信をなくし、得意としていたモノづくりを支えた品質管理や改善運動が廃れてしまったことだ。

 「アメリカは1980年代に日本のモノづくりを徹底的に研究した。日本のモノづくりは単なる技術だけでなく管理技術が入っていることに気づき、日本がどういう風に統計的方法を活用しモノづくりに生かしているかを調べた。日本では統計と管理技術は企業内教育で教えたが、アメリカは学校教育の中に取り込んだ。日本のQC的問題解決は、いまやアメリカだけでなく、イギリス、オーストラリアの小学校でも行われている。」

 日本の研究者たちがそのことに気づき、文部科学省に働きかけた結果、2011年度から学校教育に統計を取り入れ、完全実施されることになった。すでに一部で先行実施されている。小学校では「資料の整理、活用」という名称である。先行した日本が今度は後追いすることになった。

事実に基づいて問題を解決する統計的常識をすべての人に

 「解けない問題、未知の問題、糸口がない問題が自分の目の前に起きた時は、データを取ってその事実を知り、攻めていくしか方法はない」と椿さんは言う。「統計学は問題解決学です。イギリスの統計学者、カール・ピアソンは、統計学とは科学の文法であると言い、統計科学の範囲はアン・リミッテッドであると言った。事実に基づいて問題を解決する統計的常識は、すべての人が一般教養として身に付けなければならない。」

 どの分野でもそうだが、その中にいる人たちが思っているほど、その分野のことは世間一般には知られていない。その分野が「たこつぼ」として進化すればするほど、世間一般から遠くなっていく。統計科学も同じことが言えるだろう。

 「統計科学はその実学的性質から産学連携の歴史である」と言う椿さんは、統計の現場を歩き、企業社会の人々とコミュニケーションを重ねるという貴重な体験をしてきた。世間一般の人たちに対し統計の大切さを分かりやすく語ることができる言葉を持っている人でもある。これからは統計の語り部となって、その大切さを広く国民に訴えていくこと、それが日本の国益にかなうのではないか。研究の足跡と今後をうかがって、強くそう感じた。

(広報室)

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