研究室訪問

時空間数理モデルで挑む脳信号解析

 「あなたの研究活動はどのように社会に役立っていると思いますか」と聞いたところ、逆質問を受けた。「役に立つとは、基礎研究として他の研究者や他分野への波及効果なのか、応用あるいは実用化のことなのか。また時間的には短期的なのか、長期的な視野に立ってのことなのか。」その言葉の中に統計科学の第一線に立つ者の強い自負がこもる。「最近の時流として、研究成果の工学的応用が注目を浴びており、また研究者はそれを求められているが、私は基礎研究の延長として応用研究を目指す研究者でありたい。」

 ホームページに掲載する研究テーマは「膜電位イメージングデータ解析」、「てんかん性異常脳血流の検出」、「ゲーム遂行中の脳機能計測」。これらに共通するのは、生体の正常あるいは異常な活動を検出するための生体時空間データ解析法の開発である。

顔写真

三分一 史和
モデリング研究系
時空間モデリンググループ准教授

 脳科学への「貢献」については、明快な説明が用意されていた。「脳科学は様々な分野の境界に位置し、データ解析の方法論の開発において統計学は各々の分野を繋ぐ上で重要な位置を占める。私の研究はそれに時系列解析の立場から貢献している。」

閉じている学問系の情報を結合する試み

 脳科学の対象は非常に幅広く、遺伝子、神経細胞、神経組織という階層があり、組織レベルよりもマクロになると心理学や行動学と重複する。

 無数の電気信号が行き来する生体。その中枢を担う脳。それが発する様々な信号の計測と解析は、人間の知性の謎や神経疾患の病態解明に挑む科学者の長年の夢だ。神経細胞のレベルではレーザーを用いた局所回路の計測や膜電位計測などがある。また、神経細胞の集団で構成される脳組織を対象としたレベルでは、脳波や機能的磁気共鳴画像法(fMRI)などが用いられている。

 「脳機能計測は古くから行われている。例えばヒトの脳波計測は80年以上の歴史があり、近年になってさらに高度な計測技術も開発されている。そして、それに合わせて脳信号データの解析法や脳の数理モデルに関する研究も進められてきた。しかし、脳科学は学際科学と言われつつも、実験系では計測方法、数理的研究ではモデルの構築法などアプローチ毎に研究者がグループを作り、その中で閉じてしまう傾向を否定できない。」

 高額な装置を導入しての研究は、その枠組においては一定の成果を出すが、他の装置を用いた実験手法によるデータとの融合性が乏しい。三分一さんは「ガラパゴス化」という言葉を使いながら、脳科学に携わる研究者のグループ化と孤立性を指摘した。

 統計科学は階層間に孤立した情報を結合して定量化できるメリットを発揮できる、と三分一さんは考える。例えば1秒に1万回以上も計測が可能でポリグラフとして表現される脳波と、計測は数秒に1回程度であるが脳内の活動部位の精密な空間情報を含むfMRIデータを同じプラットホーム上で統計評価できないだろうか。三分一さんは統計科学の手法を用いて、その実現を目指している。

いつも方法論と研究対象の対応関係を意識していたい

現象を反対から見てみる研究手法

 脳の正常または異常な活動の検出法で三分一さんが開発した方法はそれまでの脳信号解析で一般的な手法とは正反対のアプローチだった。これまでは対象とする脳の活動と関連する波形の特徴を分析することに主眼が置かれていたが、三分一さんは、逆に、対象とする脳活動が生じていない状態のデータに注目することにした。脳が沈静している状態(背景活動)の時間変動と空間的な繋がりを定量化する時空間数理モデルを作り、データとその数理モデルの乖離度を調べ、その乖離度の変動から対象とする脳活動が生じた時刻と部位を推定していくのである。「これは、プラントなどにおけるシステムの異常状態の検出のために用いられている方法とアイデアの根っこは同じ。現象を反対から見てみることで、たどりついた成果と言える。」

統数研の魅力は「方法論の研究者が集まっていること」

 精神医学や脳科学関係の研究所での研究員や大学教員を経て2009年に統数研に。「国内では数少ない“方法論”を軸に研究者が集まっている研究機関」であることが魅力という。環境、地震、遺伝子など諸々の分野が研究対象だが、数理的な基礎論の研究者もいる。「時流に流されずに基礎研究をコツコツ積み上げ、複数の分野をまたがる研究の方法論的な要となり続けるのが統数研の役割ではないか。私も統数研のメンバーになったのを機に“三分一= 脳研究”というイメージから脱却し、もう少し基礎研究に比重を移したいという気持ちもある。いつも方法論と研究対象の対応関係を意識していたい。」

 てんかん、うつ病、パーキンソン病などの脳神経疾患の症状軽快を目的とした脳の制御に関する研究もやってみたいと抱負を語る。また、戦略の切り替えや意志決定と脳機能の関係の研究を通して行動経済学への発展も構想する。

 息抜きに飛ばすのはラジコンヘリだ。カメラを向けると、「これも一緒に」と言いながら小さな模型ヘリコプターを片手でつまみ上げてポーズを取った。「最近のラジコンヘリには自律姿勢制御装置が組み込まれていて格段に操縦し易くなっている。たまに研究室で飛ばし、この制御装置のようなものが、脳でも実現できるようになる時代が来るのかなぁと想像を巡らしています。」

(企画/広報室)

図1.脳活動の検出法の概念。(a)は脳が沈静している状態(背景活動)に脳活動が出現(矢印の区間)している様子を示すシミュレーションデータ。赤線に対応する区間で背景活動の数理モデルを作り、緑線に対応する区間のデータで作成した数理モデルからの乖離度合いを調べる。(b)はその乖離度合いの時間変化で、脳活動が出現している区間で大きな振幅を持つ外れ値として検出されることが分かる。


図2.ラットの脳幹における呼吸活動の様子。外れ値の中から統計学的に意味のある部分を抽出し、脳幹表面の画像上に左から右へと時間を追って描画したもの。下の時系列は脳幹から横隔膜へ送られる信号で、信号のピークより前に脳幹の活動が始まり、その活動の空間的伝搬の様子が分かる。


図3.てんかん患者の異常脳血流の検出。(a)は発作が生じた時刻を表しており最初の発作の開始時刻を0秒としている。発作が生じていない赤線の区間で背景信号を記述する時系列モデルを推定し、その推定したモデルで緑の部分の乖離度を調べると、(b)のように発作の40秒よりも前から脳血流が異常に増加している部分(寒色の部分)と減少している部分(暖色の部分)があり、発作開始から50秒後弱くらいで異常な活動が収まりつつあることが分かる。

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