研究室訪問

データ同化手法を用いたエルニーニョ現象の解析

 富士山が見える統数研5階の上野研究室。風景や抽象デザインなどポスターサイズの複製絵画が並ぶ。「美術にそれほど興味はなかったのですが、いつの間にか増えてしまって…。」それらは世界各地で開かれる統計関連学会に研究者として頻繁に参加した証でもある。

 日本から持ち込むポスター発表資料は、研究内容を伝え意見交換が済んだ後に、その役目を終える。空になった筒に、街で買った絵画を収納し帰国することが趣味となった。「もし自分がその絵を描くとしたら、と考えるようになりました。その作家の精神力を想像して、自分もそうありたいと思ったりするわけです。」

海面現象の変化に、気候変動の真相が隠されている

 現在の研究テーマは、エルニーニョ現象。その予測に向け、大気と海洋を対象にした運動方程式と実際の気象データの融合を目指す。それは21世紀人類の最大の悩みとも言える気候変動の解明に、統計科学の立場から光を当てることにつながる。

顔写真

上野 玄太
モデリング研究系
時空間モデリンググループ准教授

 エルニーニョはスペイン語で「男の子」。転じてキリストを指す。昔は漁師たちが海の変調をこの名で呼んだが、今では世界規模の異常気象の予兆を意味する言葉になった。太平洋赤道域の中央部からペルー沿岸にかけて海面温度が平年に比べて高くなり、それが1年程度続くと危険信号だ。世界各地で干ばつ、豪雨、台風の異常発生が報告される。日本でも冷夏、暖冬となり、時に農作物に大打撃をもたらす。一方、同じ海域で海面温度が平年より下がる現象がラニーニャ(女の子)現象。日本では夏が猛暑となり、冬は寒くなる。

 上野さんは「エルニーニョやラニーニャ自体は単に海水温の異常を指すが、その実体は海と大気が絡み合ったフィードバックシステムだ」と言う。それゆえに、海上を吹く風や海流の加速度を計算し、大気と海洋のそれぞれの運動方程式を連立して解き、海の変動を予測することが理論的には可能だという。

 高名な研究者(ゼビアックとケイン)の努力によって海洋と大気の結合相互作用を含めたシミュレーションモデルが立てられ、4年おきの周期的な変動が再現されるようになった。「しかし、実際にはそれほど周期的ではないのがエルニーニョ現象の真実です。正確な予測の実現に向けて、モデルにデータを取り込み続けるのが私たちの研究です。これをデータ同化手法と呼んでいます。」

私たちにとって確かなことは、挑戦し続けることが真相の解明に近づくということだ

データ同化の手法によって予測が現実性を帯びてくる

 データ同化の意味は何なのか。上野さんの言葉によれば、それは「時間発展を解くシミュレーションモデルを観測データに当てはめる作業のこと」だという。その特色は大規模で複雑なシステムモデルと多地点での観測データを扱う点にある。上野さんも一員となっている統数研の「予測発見戦略研究センター」では、大気、海洋、津波、宇宙空間、ゲノム情報という5領域を対象として同化手法を応用する研究を進めている。

 エルニーニョ現象の解明を目指す場合は、人工衛星が搭載した海面高度計が地上に送ってきたデータを利用することが重要なポイントとなる。衛星から海面にマイクロ波を放射する。反射して帰ってきたマイクロ波を計算することで海面の凹凸を測ることができる。シミュレーションでは大気や海洋にかかる摩擦や熱、風を正確に計算することは困難だが、データ利用によって補強すれば可能になる。

 「データ同化の手順は、時系列解析で用いられる状態空間モデルの適用順そのもの。」上野さんの解説は難解だが、この手法により「大体近い」近似関係が成立するという。あとは方程式を連立させて、総合的な解を求める。これによってエルニーニョの発生を予測し、現実社会のニーズに沿って実際に役立つ情報とすることができる。

太陽地球系科学データの活用への挑戦

 上野さんが統計科学の手法に出会ったのは地球物理を専攻した大学院時代のことだ。人工衛星が観測したプラズマの速度分布データの解析に取り組んでいた際、「体力に自信があっても、衛星のデータ量と複雑さには敵わなかった。でも、混合分布モデルは鮮やかにすべてを解決してくれた」と話す。その時の感激と情熱を忘れたことはない。だから、エルニーニョ研究の彼方にいつも宇宙研究の新しい姿を思い描く。

 太陽地球系科学の分野では、多数の衛星や地上施設を利用して多様な観測が行われており、多地点で得られたデータを積極的に利用した解析とモデル化の手法開発が求められる。上野さんは海面温度の研究で鍛えたデータ同化法を用いて、「はるか上空の電離層、磁気圏、宇宙空間の真相を解明できないか」と夢をふくらませる。

 研究室から空を仰ぎながらいつも思うのは、「地球物理の謎を解明するのに、人間のサイズがあまりにも小さいこと」だ。人間が知りうることだけでは限界があると痛感する。「人間が手持ちの情報だけで現象の解明を試みるのは難しい。そもそも、どこまでやれば解明したと言えるのか。私たちにとって確かなことは、挑戦し続けることが、真相の解明に近づくということだ。そう信じて研究に打ち込むほかはない。」データ同化手法を武器にして地球物理の総合的な解明に挑む若い研究者の気負いは爽やかだ。

(企画/広報室)

図1.1997年11月の海面水温の標準値からの変化分。http://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/data/elnino/learning/faq/whatiselnino.htmlから転載。


図2.エルニーニョ監視海域での海面水温の予測結果と実際の観測。


表3.海面高度変化の比較:(左)シミュレーションモデル、(中)データ同化結果、(右)衛星高度計による観測データ。

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