第62巻第2号171−184(2014)  特集「生体高分子の揺らぎとダイナミクス―シミュレーションと実験の統計解析―」  [研究詳解]

相関から眺める生体分子運動の解析

日本原子力研究開発機構 桜庭 俊

要旨

生体分子の分子シミュレーションは,大量の時系列データを出力するため,そのデータ量の削減が極めて重要になる.本稿では,分子シミュレーション分野で用いられている線形変換に基づく様々な次元削減手法と,そこに現れる相関の考え方を扱う.実例として機能モード分析,主成分分析,全相関分析,準非調和分析,独立部分空間分析などを紹介する.また,その物理学的な意味についても解説を行う.

キーワード:生体高分子,分子動力学,次元削減,独立成分分析,独立部分空間分析,エネルギー地形.


第62巻第2号185−202(2014)  特集「生体高分子の揺らぎとダイナミクス―シミュレーションと実験の統計解析―」  [研究詳解]

生体分子シミュレーションの摂動解析

理化学研究所 小山 洋平

要旨

タンパク質の機能を原子レベルから詳細に理解するためにはタンパク質主鎖や側鎖の異なる構造状態の同定,化合物・DNA・他のタンパク質との様々な結合状態の同定,これらに対する水やイオンなどの溶媒の影響,について総合的に評価する必要がある.このような複雑な構造状態とその相互作用を明らかにするために,原子間相互作用に対する摂動解析を用いた我々の取り組みについて解説する.まず,タンパク質内あるいは複合体内相互作用に対する摂動解析であるPEPCA(potential energy principal component analysis)を導入する.PEPCAは相互作用エネルギーに対する主成分分析を実行することで,その主成分得点によりタンパク質内あるいは複合体内の相互作用パターンが異なる構造状態が分離され,固有ベクトル成分から構造状態間の差異を生み出している相互作用の情報が得られる.次に,タンパク質または複合体と溶媒間相互作用の摂動解析であるDIPA(distance-dependent intermolecular perturbation analysis)を導入する.DIPAは原子間力と平均溶媒原子数の積に対して関数主成分分析を実行することで,その主成分得点により溶媒との相互作用パターンが異なる構造状態が分離され,固有関数成分により構造状態間の相違を生み出している溶媒との距離依存的な相互作用の情報が得られる.最後に,10個のアミノ酸からなるシニョリンのフォールディングシミュレーションに対してPEPCAとDIPAを適用し,固有ベクトル成分または固有関数成分と主成分得点の散布図を同時に表示する可視化法であるバイプロットを用いた結果の解釈について解説する.

キーワード:分子動力学シミュレーション,摂動解析,主成分分析,関数主成分分析,バイプロット.


第62巻第2号203−220(2014)  特集「生体高分子の揺らぎとダイナミクス―シミュレーションと実験の統計解析―」  [研究詳解]

タンパク質分子の構造ダイナミクス:ウェーブレット変換による解析

慶應義塾大学 鎌田 真由美
奈良女子大学 戸田 幹人

要旨

タンパク質分子の立体構造ダイナミクスは,機能発現に深く関与していると考えられている.故に,構造ダイナミクスの特徴を捉え詳細な解析をする事は,その機能の本質的理解につながる.しかしタンパク質の構造ダイナミクスは,複雑な時空間における階層性を持っていることから,複数の時空間スケールに渡る解析は困難な課題である.本稿では,まずタンパク質の構造ダイナミクスに対するこれまでのアプローチを紹介し,さらに,連続ウェーブレット変換を用いた時系列解析手法について説明する.経時的な構造の変化に対して,時間\sdash 周波数解析手法の一手法であるウェーブレット変換と,行列分解手法である特異値分解(SVD)を共に用いる事で,運動の特徴を低次元で一様に抽出することが出来る.この解析手法の応用例として,{\it Thermomyces lanuginosa} lipase(TLL)に対して我々の行った研究成果について解説する.

キーワード:ウェーブレット解析,タンパク質立体構造,分子動力学,時系列解析.


第62巻第2号221−241(2014)  特集「生体高分子の揺らぎとダイナミクス―シミュレーションと実験の統計解析―」  [研究詳解]

生体高分子系の緩和モード解析

慶應義塾大学 高野 宏

要旨

詳細釣り合いの成り立つシミュレーション法に対して,時間発展演算子の固有値,固有関数から,扱っている系の緩和率,緩和モードをそれぞれ定義することができる.計算機シミュレーションの時系列データから緩和率分布と緩和モードを変分問題に基づいて評価する方法である緩和モード解析の方法について解説する.さらに,ペプチド系のモンテカルロシミュレーション,タンパク質系の分子動力学シミュレーションへ応用した例について紹介する.

キーワード:緩和モード,緩和率,緩和モード解析,シミュレーション,時間相関関数.


第62巻第2号243−255(2014)  特集「生体高分子の揺らぎとダイナミクス―シミュレーションと実験の統計解析―」  [研究詳解]

独立成分分析tICAでタンパク質の複雑な運動を解きほぐす

横浜市立大学大学院 生命医科学研究科 渕上 壮太郎

要旨

近年の計算機の目覚ましい発展にともない,タンパク質の運動を分子動力学シミュレーションで再現することができるようになった.しかし,タンパク質は多くの原子から構成される大自由度系であるため,その運動は複雑多様であり,運動の実態を把握・理解することは容易でない.シミュレーション結果からタンパク質の主要な運動を特定・抽出するために,様々なデータ解析手法が提案・開発・適用されてきたが,タンパク質の運動を詳細に理解できるようになったとは言い難く,さらなる方法の開発,研究の発展が強く望まれる.我々は,タンパク質の「遅い運動」に着目し,シミュレーション結果から効率的に同定するための手法として,「時間構造に基づいた独立成分分析(tICA)」を提案し,実際,この解析手法が有用であることを示した.本稿では,このtICAについて,その定式化から実践までを詳しく解説するとともに,タンパク質主鎖の運動に適用した結果を紹介する.

キーワード:タンパク質ダイナミクス,分子動力学シミュレーション,独立成分分析,tICA,遅い運動,レアイベント.


第62巻第2号257−272(2014)  特集「生体高分子の揺らぎとダイナミクス―シミュレーションと実験の統計解析―」  [研究詳解]

1分子計測実験から分子状態を識別する統計的データ解析

独立行政法人理化学研究所 岡本 憲二

要旨

近年の生物学においては,蛋白質をはじめとした分子のはたらきを理解することの重要性が高まっている.そのためには,個別分子の振る舞いを直接観察できる単一分子計測技術が有効であり,広く用いられるようになってきている.1個の分子から得られる信号は,きわめて微弱なため大きな揺らぎを含むが,一方で,有限個の分子状態の間での遷移ダイナミクスとして解釈できるという特徴がある.分子レベルでは,分子の振る舞いも信号生成も確率現象であるため,一見乱雑な信号から分子状態の情報を取り出すために統計的な解析を有効に用いることができる.本稿では,FRET 現象を利用した分子構造変化ダイナミクスの1分子計測実験データを対象とした統計的データ解析手法について紹介する.時系列データから状態遷移軌跡を復元する隠れマルコフモデルの概要と,最尤法から変分ベイズ法への転換,さらに時間依存するタイムスタンプ信号への拡張について解説した後,シミュレーションによる評価と実験データへの適用について紹介する.最後に,別の時系列データ解析法である変化点検出法についても触れる.

キーワード:生体分子,1分子計測,FRET,隠れマルコフモデル,変分ベイズ,状態識別.


第62巻第2号273−284(2014)  特集「生体高分子の揺らぎとダイナミクス―シミュレーションと実験の統計解析―」  [研究詳解]

カスケード型超並列シミュレーションによるタンパク質構造遷移のパスウェイ探索

東京大学 西原 泰孝
理化学研究所 原田 隆平
東京大学 北尾 彰朗

要旨

タンパク質の構造と機能の関係を解明するうえで,構造変化に対する自由エネルギーを曲面として表す自由エネルギー地形の計算とその解析は重要である.しかし,分子シミュレーションを用いて自由エネルギー地形の計算を行う場合,長い計算時間を必要とすることが多い.それは,自由エネルギー地形上に多数存在する局所安定状態にタンパク質が留まってしまうためである.本稿では,Parallel Cascade Selection Molecular Dynamics(PaCS-MD)とMarkov State Model(MSM)を組み合わせ,自由エネルギー地形をより短時間で効率よく計算する方法を紹介する.PaCS-MD は,短いシミュレーションから出現確率の低い構造を選ぶことによって,目的の構造へ高効率で遷移させるカスケード型超並列シミュレーション法である.そして,MSM は,対象としている系がマルコフ的であるとき,長いシミュレーションから状態間の遷移行列を推定し,平衡状態の確率分布を計算する方法である.これらPaCS-MD と MSM を組み合わせることで,多数の局所的な状態間遷移情報から,大域的な遷移行列と平衡状態の確率分布を得ることができる.PaCS-MD と MSM を組み合わせた手法を小タンパク質のフォールディング過程に適用し,得られた自由エネルギー地形について議論する.

キーワード:自由エネルギー地形,局所安定構造,分子動力学,フォールディング,マルコフ過程.


第62巻第2号285−299(2014)  特集「生体高分子の揺らぎとダイナミクス―シミュレーションと実験の統計解析―」  [研究詳解]

ストリング法によるタンパク質構造変化解析

理化学研究所 松永 康佑

要旨

タンパク質の大規模構造変化は細胞内での重要な化学反応の制御に関わってい る.しかしながら,それらの構造変化はおよそミリ秒で起こる 稀なイベント(レアイベント)であるため,全原子モデルを用いた通常の 分子動力学シミュレーションでサンプリングすることが難しい.本稿では,レアイベントであるタンパク質構造変化パスウェイを効率よく探索 する手法であるストリング法を解説する.特に,ストリング法を応用する際の プラクティカルな問題が統計数理の手法で解決し得ることを説明し,最後に酵素タンパク質であるアデニル酸キナーゼの構造変化へ応用した研究を 紹介する.

キーワード:レアイベント,最小自由エネルギー経路,ストリング法,自由エネルギー計算,アデニル酸キナーゼ.


第62巻第2号301−311(2014)  特集「生体高分子の揺らぎとダイナミクス―シミュレーションと実験の統計解析―」  [研究詳解]

パスサンプリングを使った分子動力学とベイズ推定

日本医科大学 藤崎 弘士

要旨

近年,分子動力学の分野ではパスサンプリング(path sampling)と総称される非平衡のパス・アンサンブルを生成する手法が盛んに使われるようになってきているが,この手法はベイズ推定を用いたパラメータ推定と密接な関係がある.本稿ではその関連について,主に分子動力学の例を用いて,どのように分子系の動的なパラメータや反応座標などが推定されるのかということを解説する.

キーワード:分子動力学,パスサンプリング,ベイズ推定,遷移状態,遷移パス,最小自由エネルギー経路.


第62巻第2号313−328(2014)  [研究詳解]

Individual Participant Dataに基づくメタアナリシス

統計数理研究所 野間 久史

要旨

Individual Participant Data(IPD)に基づくメタアナリシスは,複数の研究から得られた個人レベルのデータを統合することによって行われるメタアナリシスである.利用可能な最も精確な情報を用いた,メタアナリシスにおける1つのゴールドスタンダードであるともいわれる.IPDメタアナリシスは,従来の文献ごとの要約指標に基づくメタアナリシスに比べて,多くの方法論的利点があることが知られており,過去10年間ほどで,医学研究におけるレビューの数も大幅に増加している.一方で,近年の方法論的研究によって,IPDメタアナリシスには特有のさまざまなバイアスがあることも報告されるようになっている.本稿では,近年までに発展したIPDメタアナリシスの方法論的研究のレビューを行い,具体的な事例を交えながら,これらの利点と注意点についての解説を行う.

キーワード:システマティックレビュー,メタアナリシス,Individual Participant Data,Aggregate Data,バイアス.