第57巻第2号203−219(2009)  特集「ネットワーク情報理論」  [研究詳解]

疎行列アンサンブルのハッシュ性と多端子情報源符号

NTTコミュニケーション科学基礎研究所 村松 純
NTT未来ねっと研究所 三宅 茂樹

要旨

本稿では,多端子情報理論の基本的な問題であるSlepian-Wolf の問題,Wyner-Ziv の問題,One-helps-one 問題に焦点をあてて,疎行列を用いた符号の構成を与える.そのためにまず,アンサンブルの持つハッシュ性と呼ばれる性質を導入し,この性質を利用して漸近最良性を持つ符号の構成を与える.疎行列はハッシュ性を持つことから,疎行列を利用した漸近最良性を持つ符号の存在が示される.

キーワード:情報理論,ハッシュ性,疎行列を用いた符号,Slepian-Wolf の問題,Wyner-Ziv の問題,One-helps-one 問題.


第57巻第2号221−232(2009)  特集「ネットワーク情報理論」  [研究詳解]

センシングと符号化の統計力学

NTTコミュニケーション科学基礎研究所 村山 立人

要旨

現在,あらゆるセンサーの小型化と量産化が加速している.そして,これらは現在のコンピューター網に接続されていくと予想される.すると,ネットワークに諸センサーが統合されたシステムが情報基盤として確立する可能性は高い.これは,計測データを効率的に伝送するための通信技術の需要が拡大することを意味する.同時に,センシングのために行う符号化の理論的限界も重要になる.本稿では,情報理論と統計力学を背景にした学術的知見に基づく,センシングと符号化についての新しいアプローチを解説する.

キーワード:センサーネットワーク,符号化,統計力学.


第57巻第2号233−251(2009)  特集「ネットワーク情報理論」  [研究詳解]

情報センシングと多端子情報源符号化

徳島大学大学院 大濱 靖匡

要旨

センサネットワークの理論構築に多端子情報理論が深く関与することが指摘されている.本論文は,センサネットワークを利用した情報センシングのプロセスが多端子情報理論の問題として,どのように定式化されるのかを述べる.また,定式化により得られた符号化問題について,これまでどのような結果が得られているのかについて述べる.

キーワード:センサネットワーク,多端子情報理論,分散符号化,多補助者問題,CEO問題.


第57巻第2号255−275(2009)  特集「ミクロ経済データによる統計解析」  [総合報告]

日本の企業統計と事業所統計の発展史と両者のミクロデータリンケージによる統合実験と将来展望

青森公立大学 松田 芳郎
統計数理研究所 馬場 康維
財務省財務総合政策研究所 竹村 伊津子
財務省財務総合政策研究所 山本 貴司

要旨

これまでの日本の産業統計の基本である事業所を調査単位とする統計と企業を統計調査単位とする統計とがどの様に比較可能であるのかは,十分な検討がされてこなかった.事業所に関するセンサスである指定統計第2号の事業所統計調査が事業所・企業統計調査と改変されたが,その統計は経理事項を欠いていて,企業統計としては限界がある.代表的な経理事項を調査する企業統計である民営内国会社法人を対象とする法人企業統計調査と比較し,両調査がどのように接合可能か検討し,具体的な完全照合実験による情報量の拡大がこれまでどの様になされて来たかを展望する.

キーワード:事業所,企業,ミクロデータの完全照合実験,縦断的データベース,企業の名寄せ,会社概念の変容.


第57巻第2号277−303(2009)  特集「ミクロ経済データによる統計解析」  [原著論文]

法人企業統計調査と事業所・企業統計調査の統合データによる企業データベース:1983〜2005年

兵庫県立大学 周防 節雄
兵庫県立大学 古隅 弘樹
慶應義塾大学 宮内 環

要旨

統計法に基づいて目的外使用の許諾を得た法人企業統計調査および事業所・企業統計調査それぞれの個票ミクロデータを用いて完全照合によるパネルデータを作成し,企業データベースを構築した.法人企業統計調査のパネルデータの作成では,1985年から2005年に亘る毎年の年報調査および四半期調査それぞれの調査名簿と調査票データについて同一法人企業のレコードを接続した.事業所統計調査,事業所・企業統計調査のパネルデータの作成では,1991年,1994年の事業所統計調査および1996,1999,2001,2004の各年の事業所・企業統計調査について,完全照合の方法により同一事業所のレコードを縦断的に接続した.さらに,2004年時点における法人企業統計調査の調査名簿と事業所・企業統計調査の民営事業所漢字リストテープの企業名や所在地を突合し,相互のパネルデータにおける企業レコード間の接続を行った.本稿では,これらの企業データベースの構築におけるパネル作成および相互リンケージに係る手法について詳解する.

キーワード:パネルデータ,完全照合,文字列照合,統計ミクロデータ.


第57巻第2号305−329(2009)  特集「ミクロ経済データによる統計解析」  [原著論文]

法人企業統計データを利用した地域経済活動指数作成の試み

青山学院大学 美添 泰人
一橋大学大学院 元山 斉
兵庫県立大学 古隅 弘樹

要旨

財務省の作成する法人企業統計のうち,季報として公表されている四半期調査と,総務省統計局が5年周期で実施している事業所・企業統計調査を企業単位および事業所単位で組み合わせて利用すれば,地域ごとの経済活動水準を表現する指標を作成することができる.本論文は,その作成手順を記述するとともに,指標作成の意義,結果の解釈と今後の公的統計のあるべき姿を提示している.

キーワード:地方経済指標,ミクロデータ,完全照合,法人企業統計,事業所・企業統計.


第57巻第2号331−355(2009)  特集「ミクロ経済データによる統計解析」  [研究ノート]

企業の事業従業者における派遣・下請比率と企業の賃金費用の変化についての検討

慶應義塾大学 宮内 環

要旨

企業が生産活動に必要な労働サービスを調達するにあたり,他企業から受け入れる派遣や下請による労働サービスをいかほど投入するかは,企業が生産費用に基づいて判断を行う.他企業から受け入れる派遣や下請の費用は賃金には含まれないので,本稿では,企業の生産活動に従事する従事者数に占める派遣や下請の比率と企業の賃金費用との間には負の相関関係があるとの仮説を設定し,これがデータにより確認されるかを検討した.この分析目的のために,法人企業統計調査ミクロデータと事業所・企業統計調査ミクロデータの接合を行った.検討の結果,製造業の輸送機械,サービス業のガス・熱・水道供給業,その他運輸・通信,旅館・その他宿泊,映画・娯楽,事業サービスについて,売上高に占める賃金費用の変動傾向と2001年時点における従業員数に占める派遣・下請比率との間に有意な負の相関関係が確認された.

キーワード:法人企業統計調査,事業所・企業統計調査,賃金費用,派遣・下請.


第57巻第2号357−369(2009)  特集「ミクロ経済データによる統計解析」  [研究ノート]

企業グループにおける電子商取引

慶應義塾大学 稲葉 由之

要旨

本論文では,企業の電子商取引の状況と企業グループへの所属との関連性について分析を行った.分析には平成13年事業所・企業統計調査のミクロデータを使用した.平成13年事業所・企業統計調査は,全国的な悉皆調査としてはじめて電子商取引の状況を調べた調査である.また,この調査は調査票において親会社の名称を調べているため,親会社と子会社を連結して企業グループを形成することができる.この企業グループに関する情報を用いて,企業グループへの所属や企業グループ内の位置といった分類を作成した.分析の結果,これらの分類により電子商取引の状況を説明できることがわかった.

キーワード:事業所・企業統計,企業グループ,電子商取引.


第57巻第2号371−392(2009)  特集「ミクロ経済データによる統計解析」  [原著論文]

中小企業の負債満期構成
—法人企業統計調査個票データによる分析—

青森公立大学 今 喜典
統計数理研究所 佐藤 整尚

要旨

わが国中小企業の財務構造の特徴のひとつに,低い収益性を原因とする負債依存の高さがある.中小企業の存続と成長に必要な資金確保のため長期負債が重要であるという視点から,これまで負債の満期構成が注目されてきた.本稿は情報の非対称性に注目し,長期借入金と企業利益の関係について3つの仮説を検証する.検証において法人企業統計調査の大規模な個票データを利用する点が特色である.1983年度から2002年度までの毎年および区分した3期間のクロスセクションの加重回帰分析を行った結果,長期借入金対総資産比率は企業利益率の増加により単調に上昇する傾向があること,また長期借入金対総借入金比率は一部中小企業についてバブル崩壊後には企業利益率の山型の依存関係になるが,多くの企業は比率の上昇する範囲にあることが観察された.これらの結果は,わが国中小企業の多くは企業利益の増加につれ,流動性リスク回避を借入条件の伸縮性よりも重視する傾向が強まることを示している.また長期借入金比率と固定資産比率,自己資本比率などとの関係も明らかにした.

キーワード:中小企業,負債の満期構成,情報の非対称性,法人企業統計調査.


第57巻第2号393−411(2009)  特集「ミクロ経済データによる統計解析」  [原著論文]

法人企業統計を用いた従業員1人当たり給与と役員1人当たり給与・賞与の格差の測定方法の検討

東京国際大学 菅 幹雄

要旨

法人企業統計による従業員1人当たり給与と役員1人当たり給与・賞与の格差の情報は,企業収益の配分の分析やマクロの所得推計で,よく利用されている情報である.ただし,この格差の数値は,法人企業統計を調査している財務省が公表しているものではなく,ユーザーが法人企業統計の公表集計データから計算したものである.本稿では公表データを用いて計算された格差の情報が,果たして適切な推計になっているのかどうかを,法人企業統計のミクロデータを用いて検証した.その結果,公表データを用いて計算された格差は,分子の従業員1人当たり給与は規模が大きい法人を強く反映し,分母の役員1人当たり給与・賞与は規模が小さい法人を強く反映するが,役員も従業員も規模が相対的に大きい法人の方が給与水準は高いため,結果的に格差が過小に推定される可能性があることが分かった.そこで法人企業統計調査のミクロデータを用いて,個別法人について従業員1人当たり給与及び役員1人当たり給与を計算し,その分布を観察した上で,各法人のウェイトが同じになるような格差を計算した.その結果,公表集計データを用いて計算した格差は,ミクロデータを用いて計算した格差よりも過小になることが確認された.また,もしも公表集計データの企業の資本金規模を統御して格差を計算したならば,ミクロデータを用いて計算した格差と近い値になることも確認された.ただし,対象範囲が大幅に減ってしまうので,本稿で考案した方法がより有効であると思われる.

キーワード:法人企業統計,役員,従業員,1人当たり給与・賞与,格差.


第57巻第2号413−424(2009)  特集「ミクロ経済データによる統計解析」  [研究ノート]

法人企業統計調査における推計方法の比較
—疑似母集団に基づく実験—

統計数理研究所 土屋 隆裕
慶應義塾大学産業研究所 吉岡 完治
青森公立大学 松田 芳郎

要旨

法人企業統計調査において,計数値の総計とその成長率を推定するいくつかの方法を,疑似母集団を使ったシミュレーションにより比較した.従来の方法は,原則として標本全体を毎年交替し,各年の計数値の総計を求めた上で成長率を推定する方法である.これに対し標本の半分を順次交替していく標本ローテーションを行うと,成長率の推定量は,従来の方法に比べ標準誤差が2/3程度となることが示された.さらに,標本は全て交替するとしても,標本からまず成長率を推定した上で総計を推定する方が,総計の標準誤差については従来の1/10から1/3,成長率の標準誤差については1/10程度になることが示された.

キーワード:標本ローテーション,成長率.


第57巻第2号425−442(2009)    [原著論文]

多重母集団寸法指標のノンパラメトリック最尤推定
—2時点の個票データへの適用—

岡山商科大学 佐井 至道

要旨

標本調査で得られた個票データの公開におけるリスク評価では,標本寸法指標を基にして推定された母集団寸法指標を用いることが多い.その推定のために,初期の頃にはポアソンガンマモデルが,最近ではピットマンモデルなどの超母集団モデルが用いられている.加えて,制約付きノンパラメトリック最尤推定法も提案され,計算時間上の問題も克服されつつある.

官庁統計の標本調査は継続調査として行われる場合が多いが,そのような場合にも,個々の時点の個票データに対して独立にリスク評価を行うのがこれまでは一般的であった.本論文では,継続調査で得られた複数の時点の個票データに対する同時リスク評価を行うために,寸法指標の概念を多重寸法指標に拡張し,多重標本寸法指標からの多重母集団寸法指標のノンパラメトリック推定法を提案する.

アメリカにおいて1990年と2000年に実施されたセンサスの1%抽出個票データを題材に,多重母集団寸法指標の推定値に対する制約条件と,その条件をペナルティー関数として対数尤度関数へ取り込む方法を検討する.また,推定を安定させるために,個々の時点の個票データからそれぞれ母集団寸法指標を推定した後に,その推定値を制約条件に組み込み,多重母集団寸法指標を推定する方法も提案する.

キーワード:多重指標,寸法指標,個票データ,リスク評価,ノンパラメトリック推定,官庁統計.


第57巻第2号443−447(2009)    [研究ノート]

観測ノイズが極値分布に影響を与えないための十分条件

統計数理研究所 西山 陽一
統計数理研究所 志村 隆彰

要旨

従来の極値理論は,確率変数列 $ \{ X_i \} $ が厳密に観測できるという理想的な想定のもとで研究がなされてきた.しかし,現実のデータは常に観測誤差が入る危険性にさらされている.この論文では,確率変数列 $ \{X_{i} \} $ に対する極値分布と観測ノイズ $ e_i $ の入ったデータ $ \{ X_{i}+e_{i} \} $ に対する極値分布が同一になるための十分条件を与える.条件はノイズ $ e_i $ の Orlicz ノルムを用いて記述される.我々の結果により,観測誤差が入っている状況において,理想的な想定における極値理論をそのまま適用してよいための条件がはっきりする.

キーワード:極値統計量,観測ノイズ,Orlicz ノルム.