研究室訪問

ニューラルコーディングの知見を新領域へ

 「5年後だったら、今よりもっと面白い話ができたかもしれない」。取材に際し、小山は少し残念そうにそう言った。というのも、これまでに培った統計数理の知見を携え、まさに今、新たな領域に乗り出そうというタイミングだからだ。“これから”を見据える小山の目に、旺盛な知識欲とやる気がみなぎる。

乱雑なスパイク信号から意味を読み出す

 小山が京都大学大学院以来、一貫して手掛けてきたのは、脳神経データ解析やニューラルコーディングなど、脳機能の解明に関わる研究である。

 脳の機能はニューロン(神経細胞)のネットワークによって支えられている。ニューロンは樹状突起、細胞体、軸索、シナプスで構成されており、電気信号を発することによってネットワーク上で情報をやりとりしている。細胞体の膜の電圧は通常、負の値に保たれているが、刺激を受けると瞬間的に電圧が正の値まで上昇し、再び元の状態に戻る。この過程をスパイクと呼ぶ。スパイクは軸索を経てシナプスに達し、その終末から化学物質が放出される。これが信号となって、接続するニューロンの樹状突起に受容される。その繰り返しで、情報がネットワーク上を伝達していく。

顔写真

小山 慎介
モデリング研究系
複雑構造モデリング
グループ助教

 ニューラルコーディングとは、外界の情報や記憶、体の各部を動かす運動指令などが、こうしたスパイク信号にどのように表現されているかを研究する分野である。コンピュータにたとえるとわかりやすい。デジタル信号は、物理的に捉えれば電圧がある「しきい値」より低い状態が「0」、高い状態が「1」を示しているに過ぎない。これをより抽象的に、0と1の連続が何を表現しているのかという側面で捉えるのが「コーディング」だ。ただし、ニューロンのふるまいがコンピュータと決定的に違うのは、発する信号の乱雑さであるという。

 「脳内で観測されるスパイク信号は、0と1しかないコンピュータのデジタル信号と異なり、符号化される情報との間に一対一の対応関係がない。このため、確率論や統計学的な取り扱いが必要になる。それを読み取るためのアルゴリズムを開発するのが、我々の研究です」と小山は説明する。

人工知能から生体の脳へ

 入口は、ヒトや生物の脳ではなく、コンピュータだった。高校生のとき、「これからはコンピュータサイエンスの時代だろう」と考え、大学は北海道大学工学部情報工学科へ進んだ。学部時代に人工知能に興味を持ち、ニューラルネットワークを勉強するうちに、基礎科学の領域へと関心が広がっていった。

 北大大学院の修士課程のとき、数理的な手法を使って神経の研究をしている篠本滋京都大学准教授の存在を知り、京大大学院の門を叩く。2006年に「点過程統計解析に基づくスパイク時系列の解釈」と題する論文で、博士課程の学位を授与された。神経スパイク時系列の統計解析において、時間ヒストグラムによる発火率の推定と、経験ベイズ法によるスパイク特性の推定を取り上げたものだ。論文審査では二つの点が高く評価された。一つは、神経生理学の実験で、おおよその目安で決められがちだったヒストグラムの時間幅の最適値を決する手続きを提案したこと。もう一つは、細胞によって不規則なスパイク発火パターンを示す実験データに対する解釈基準を与えたことだ。

 博士課程を修了した小山は、ポスドク研究員として米国カーネギーメロン大学統計学科へ赴任。ベイズ法の第一人者であるロブ・キャス教授のもとで本格的に統計学を学んだ。2010年に、公募により統計数理研究所の助教に着任。「今は大学で教えるよりも研究に集中したい」と考えたうえでの選択だった。

他分野の研究者と組んでさまざまなジャンルに挑戦したい

クロスオーバーで統計数理を鍛える

 統数研で研究を続けて今年で4年。今、小山は新たなジャンルへ向かおうとしている。4月からは、科学技術振興機構(JST)の推進する戦略的創造研究推進事業・総括実施型研究(ERATO)の一つ、「佐藤ライブ予測制御プロジェクト」に参画。細胞の計測データに基づいて生命システムの将来変動を予測するとともに、人為的な制御を行うことを目標とするプロジェクトだ。変動予測の数理モデルの構築や制御に必要なシミュレーション手法の開発に、グループリーダーとして携わる。ここで創出された技術は、生命科学や予防医学からロボティクス制御工学、地球惑星科学などまで、幅広い応用が期待されている。

 また、統数研の公募型共同利用に採択された課題「多段変調装置による管内圧力波のベイジアンモデリングと信号解析」にも協力する予定だ。深海を航行する地下資源探査の掘削船が発する通信を解読する手法を確立するための研究である。これまで手掛けてきた脳神経の研究とは別世界のように見えてその実、スパイク信号に混ざるノイズから意味ある情報を読み取る手法が応用できるという。「統計数理は、物理や生物といった分野を横断して活用できる方法だ。その強みを生かし、他分野の研究者と組んでさまざまなジャンルに挑戦したい。こうしたクロスオーバーが、統計数理を鍛えることにもなるだろう」と言葉に力を込める。

 仕事の合間の休憩時間には、ウエイトトレーニングで軽く汗を流す。空手やスキーを趣味とするスポーツマンでもある小山は「運動しないと、頭が働かない」と快活に笑った。

(広報室)

図1.情報をスパイク信号に符号化する神経細胞。図2.神経活動から信号を読み取るために必要な情報量の下限(実線)。それよりも大きいと信号の読み取りが可能で(T)、小さいと不可(U)。


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