研究室訪問

不確実性を内包するシステムの最適化の研究

 1970年代末から80年代にかけて、経済学の翻訳書のタイトル『不確実性の時代』(J・K・ガルブレイズ著)が流行語になった。社会の動向変化に関する不確定要素が多すぎて、次のトレンドを読みにくい。日常生活の近未来に何が起きるかを予測できない。現代社会は人々を包み込む先行き不安とともに巨大化した。

 統計科学にとっても「不確実性」への対処は重要なテーマだ。伊藤さんは数学、とくに数理計画を用いて、私たちにとって何が確実かを明らかにする手法を研究する。「価値観の多様化とグローバル化が一気に進む21 世紀。情報を取捨選択し、的確な意思決定に向けて再構築する方法論が求められている」と勢いよく話す。

プロ野球のマジック計算の中にある「連続と離散」

 その伊藤研究室。机の上に2009年のプロ野球ペナントレースの各チーム勝敗の推移のデータが広がっていた。「野球は大好きで西武のファンですが、これは仕事としての研究。数式を利用して最適な予測に到る重要なヒントが、ゲーム結果の堆積の中に隠されています。」

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伊藤 聡
数理・推論研究系
計算数理グループ准教授

 「優勝マジック」という言葉がある。贔屓のチームがあと何回勝てばリーグ優勝し、日本シリーズに駒を進めるか。ファンたちは、その可能性の同時性の中に常にいたいと考える。感激の一瞬を共有したいと思う人々に提供する予測値は正確さを求められる。

 ところが最近、セ・パ両リーグとも3位以内のチームがクライマックスシリーズを争う形式が採用され、急に計算が難しくなった。1位になるチーム、最下位になるチームのマジックは容易に出るが、3位以内となると不確定の要素が多すぎる。順位を決めるのは勝率(連続値)なのだが、勝敗(離散値)の組み合わせは天文学的ともいえる数となり、数式は複雑をきわめる。

 全試合結果が確定してから検証すると、2009年7月28日、セリーグのあるチームは頑張っても自力では3位以内になれないことが明らかだった。8月16日にはパリーグの2つのチームで同じことが起きていた。多くの人がこの状況を正しく理解して、プロ野球のマッチレースの同時性に参加していたとは言い難い。

現場との接点を持ち続けることが、非常に重要なことだと再認識しています

「不確実環境下での最適化による意志決定」の意味

 「パラメータのうちの最悪の状況をひとつひとつ数理計画的に積み重ねることで、確実なものにたどり着くことができる」と伊藤さんは言う。プロ野球の場合、図1のように3位以内になる確実性を導ける。その可能性がなくなるとグラフは途切れるが、復活する可能性もある。オレンジ色の線が消滅した日付に特に注目したい。

 プロ野球の順位をめぐる確実性の探求は、私たちがあらゆる社会問題について、どのような数学的発想によって「最適な選択」にたどり着く可能性があるかを示している。それは不等式を重層的に組み合わせて不必要な予測を排除していく手法でもある。

 伊藤さんの専攻分野は統計数理学の中でもとくに数式におおわれ、形而上学の香気を放つ。現実社会にとっての意味は、「ロバスト(頑健)な最適化に向けた意思選択が可能になるかどうかの方法論」として成立するかどうかだという。

 伊藤さんは「一般の方には説明が難しくなって、いつも申し訳ないとは思っています」と言いながら、「不確実さを内包するシステムの最適化問題とは、無限個の不等式制約条件を持つ数理計画問題なのです」と説明する。混乱と推理の行き詰まりが数理的に解かれることで、迷走する情報社会に明るい道筋が見いだされることも期待される。伊藤さんは今、スポーツという身近な話題から、現実社会に汎用性の高い計算式を提案する論文を執筆中という。

最適化研究の歩みを記録する研究報告集

 大学の教養課程は物理系だったが、専門課程で計測工学科に進み制御理論に出会ったことが大きかった。卒業研究の頃には最適化・数理計画法にのめり込んでいたという。1991年、就活の時期にちょうど数値的最適化研究部門の助手を公募していた統数研に入り、以来、「ロバストな意思決定」を追求し続けてきた。最近は「測度空間における最適化」に精魂を傾ける。

 統計数理研究所では毎年度末に「計算と最適化」の共同研究集会を開いている。1987年(昭和62年)2月の「線形計画問題の新解法」が第1回目。それからすでに24回を数え、研究所でも最古参の研究集会といわれる。研究報告集は「非線形最適化:モデルとアルゴリズム」「最適化:モデルとアルゴリズム」「最適化:モデリングとアルゴリズム」とタイトルを変え、共同研究レポートとしてこれまで26冊が発行されている。

 「目次をながめていると、この分野の研究がどのように進展してきたか、最適化研究の動向がよくわかる。収録された論文を読み返しながら、私は現場との接点を持ち続けることが非常に重要なことだと再認識しています。」

 「最適化は人間社会にとって究極の理想」というのが伊藤さんの信念だ。私たちの眼前にある不確かさという巨大な闇に対して、数理計画の存在意義が試される。「目的のある行為・意志決定には、必ず理想としての最適化が存在するので、最適化というパラダイムがなくなることはあり得ない。そのための技術・計算手法は常に進化し続ける」と伊藤さんは力強く話す。自分が選んだ道への確信が揺らぐことはない。

(企画/広報室)

図1.プロ野球の順位に関する最適化の図。横軸は日付、縦軸は3位以上の順位が確定する最小の勝数。0になれば3位以上が確定する。


図2.ロバスト最適化に関する数式入り図。最適化問題の中に別の最適化問題を包含する2レベルの最適化問題と考えることもできる。


図3.最適化の共同研究の歩みを記録する報告集の1987年号(左)と2010年最新号

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