研究室訪問

地震の物差し−地震活動の世界的標準モデルを構築

 地震の分野で世界的に知られる研究者である。1980年代に発表した地震活動の特徴を見るETAS(イータス)モデルは世界各国で使用され、その論文引用は250本と記録的な数を誇る。地震国・日本で蓄積された豊富なデータを生かした研究活動は、大地震を起こす地下の断層が近辺同士で会話し、連発地震につながるという衝撃的事実をも示す。統計学から地震学へのアプローチは、世界規模の地震予測へつながろうとしている。

 団塊の世代である。学生時代は学園紛争が吹き荒れた。就職難の時代。指導教授の薦めで昭和48年(1973年)に統計数理研究所へ入った。当時、研究所の部長だった赤池弘次教授(その後所長)の影響が大きかったという。「統計屋は行商人のごときもの。現場に足を運ぶ労を惜しむな。統計屋の最高の功績は、科学技術の分野で統計学の応用の幅を広げることだ。」赤池さんの教えを受け、自らの研究テーマを探した。

顔写真

尾形 良彦
モデリング研究系・
時空間モデリンググループ教授

 「ところが、ほとんどの分野はデータを公開していなかった。ただ一つ、地震のデータは山ほどあった。地震では一生かかっても、まともなことは出来ないと思ったが、他のデータはないので、これしかないか、と。」地震学会へ出入りを始めた。

地震の世界で、「行商の勧め」が役立つ

 最初に着目したのは余震の確率予測である。地震専門家は余震の数を数え、頻度と時間をみて判断していた。尾形さんは、事故などが起きる危険度の変化をみる「点過程」の理論を使うと、簡単で正確にできることに気付いた。この論文は昭和58年(1983年)に発表し、いまも気象庁やアメリカで余震の確率予測に使われている。

 大学院時代に学んだ統計理論の副産物である。「地震の人は点過程を知らなかった。統計屋は、地震屋さんが何をやっているか知らなかった。ボクだけが地震屋さんの中に入って、あっ、これだ、と分かった。」赤池さんの「行商の勧め」が役立った。

 尾形さんの研究で世界的にもっとも知られているのはETASモデル(Epidemic TypeAfter Shock Sequenc Sequence Model)である。伝染性余震モデル、疫学的余震モデルとも言える。

 このモデルを地震のデータにあてはめると、その地震の活動変化を検出し、異常性の有意性を測ることができる。断層内の微弱な応力変化も精度よく見ることができる。地震活動解析の短期予測にきわめて有効である。地震活動の標準モデルとして国際的に受け入れられ、個々の地震の特徴、顔をみる「物差し」として広く使われている。

 ETASモデルは昭和63年(1988年)にアメリカ統計学会誌に論文で発表した。このモデルが実用的であることは、最近のGPS地殻変動データによって裏付けられている。「ETASモデルが出来たのは日本に土台があったから。日本は大地震の余震を研究し、膨大なデータが残っていた。ボクは、そのデータと日本で蓄積されていた地震の経験則を見てモデルをつくった。」

地震の人は点過程を知らなかった統計屋は地震屋さんが何をやっているか知らなかった

「地震の会話、断層の会話」で連発地震に

 尾形さんの地震研究は幅広い。地震に雨水が関係している、と尾池和夫前京大学長が発言したが、そのことを統計的手法で浮き彫りにした。急な雨水が地下水の圧力を変化させ、浅い断層の摩擦に影響し地震を起こしやすくしている。融雪の春先や台風が多い秋口に地震が多いという季節性が裏付けられた。

 地震でいま言えることは、一つの地震が他の地震の引き金となることだという。「一つの地震が起きると、その近くで別の地震が起きる危険度は通常より数倍、高い。連発地震はけっこうある。最近の中越地震と中越沖地震、平成15年(2003年)の宮城県沖地震、宮城県北部地震と岩手宮城内陸地震など。また、ある地域で地震の数が予測された標準より少なくなる静穏化現象が起きると、大きな地震の起きる確率はさらに3−4倍、高くなる。」

 ここ10年の研究で、一つの地震が起きると周辺の断層に大きな力が加わることが分かったという。この力は、プレートを押して、ある時期に断層をすべらせて地震となる力より、はるかに大きい。「GPSのデータを見ると、一つの地震が起きると周辺の地殻がワッと動いていることが分かる。これが地震の会話、断層の会話です。」

地殻変動監視の自動化と大地震発生確率予測の実用化を

 尾形さんはいま、ETASモデルにGPSデータを組み合わせ、地殻変動の監視の自動化と大地震の発生確率予測の実用化を目指している。同時に、世界的視野に立った時空間ETASモデルを作成し、どこの場所で危険度が高く、どこの場所で余震の静穏化があるかが一目で分かるようにしたいとしている。ここでは日米欧ニュージーランドで実験的に共同研究し、全世界の地震の危険度の確率予測の競争をしようという動きがある。尾形さんは、そうした研究の中心にいる。「統計モデルによってデータから本質を露出する。これは望遠鏡や顕微鏡のように、見えないものをハッキリと見えるようにする科学的方法です。各種統計モデルを考え、地震予測への貢献をしたい。」

 若い研究者には大学院時代の恩師の言葉を贈る。「駄農は果実に興味を持ち、中農は木の幹や葉をよくしようとする。上農は土のことを考える。」若手は、研究成果や論文という目先のことばかり考えず、バックグラウンドの基盤づくりを徹底的にやれ、ということだ。そのためには哲学や科学史、社会と科学の関係にも関心を持ってほしいという。学園紛争を体験した団塊の世代らしい勧めである。

 ご自身の社会貢献活動も活発で、地震予知連絡会の委員などを務めている。趣味は、かっては絵や落語などいくつかあったが、いまは「地震に関係しない統計の研究」だけという。「コンを詰めない研究、アイデアとか頭の中で遊ぶ研究は大好き。」結局は研究一筋、仕事一筋という、これまた筋金入りの団塊の世代である。

(企画/広報室)

図 カラーは余震活動を含まない常時地震活動度(1日あたり1度平方領域)に期待されるM5以上の地震の発生確率を示す。これは1926‐1995年の地震データより階層的時空間ETASモデルによって得られた一例である。その後、1996‐2008年の間に発生したM6.7以上の大地震(星印)の大多数が常時活動度の高いところに発生していることに注目したい。常時活動度の低いところに起きた例外は、紀伊半島沖の地震、福岡県西方沖の地震、能登半島地震および2005年の三陸沖地震であるが、これらは一世紀に満たない地震データでは説明できないもので、地質学的長期間に亘る活動の活断層調査情報の重要性を示す。

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