研究室訪問

森林の多様性を吟味する統計解析法の開発

 生命の揺りかごと言われる森林。国土の保全や水源の涵養など、その有益性をだれもが理解しているが、科学的には未解明な部分が多い。

 そもそも森林の生態系はどのように形成され、維持されているのだろうか。そしてどのように変遷していくのか。「もっともらしい仮説はあるが、実証されていない。つまり、実のところは、謎に満ちている」と島谷さんは言う。

樹木2万本の成長をモニタリング

 森林動態の研究には統計モデルが欠かせない。従来の仮説に依存するのではなく、過去の情報を集めて現在を説明することが求められる。それによって、はじめて未来を予測することが可能になると島谷さんは考えている。

亜南極クローゼット諸島にて

顔写真

島谷 健一郎
モデリング研究系・
時空間モデリンググループ助教

 それは、樹木の一本一本ごとに個体成長を追跡、記録するという地道なモニタリング調査から始まる。日本全国のさまざまなタイプの森林を訪ね、そこに調査区域を設定し、何度も足を運んではデータを蓄積していく。体力勝負ともいえるハードな野外調査の連続だが、島谷さんは「森林形成の仕組みを知るためには、まず、この方法から着手することが理にかなっている」と断言する。統数研2階の島谷研究室のパソコンには約2万本の木々が登録され、さながら人の履歴書のように、それぞれの一生の物語を熟成する。樹木によっては遺伝子の情報を用いて親子関係を解明したものもあり、いわば樹木の系図が形成されていく。

 島谷さんの研究は、樹木の世界を舞台にした生と死の交錯のドキュメントでもある。北海道知床半島に設けた調査地(4ha)の中央部(2ha)で17年間にわたって針葉樹のトドマツの分布を共同調査した結果、木の成長と枯損による生死によって「森というものは静かなようで実は常時動いているという認識」が得られたという。さらに空間解析手法を用いて分析した結果、トドマツの死亡は空間的にランダムに派生するが、成長してくる個体はすでに大きくなっている個体の近くに多いことが判明した(図1)。「一様に見える森でもトドマツがしっかりと成長できる場所は限られているのではないか」と島谷さんは指摘する。

森というものは静かなようで実は常時動いている

森林樹木のサイズと空間の構造に注目

 沖縄県「ヤムバルの森」。与那覇岳の周辺に残された原生林の生態系が研究者の意欲を刺激する。

 1998年に久保田康裕氏(現在、琉球大学理学部准教授)が40m×66mの調査地を設置し、高さ2m以上の全樹木をマークした。島谷さんは2002年からチームに参加し、1年おきに共同測量を続けるが、危険をともなう作業となる。いつも帽子を深くかぶり、タオルで襟首をしっかり覆う。長靴はだぶだぶに履き、猛毒のハブに噛まれても牙がとどかないように注意する。

 毎木調査の対象は3000本。単純計算では種あたり各40本くらいだが、現実の森は全然違う。スダジイという種が300本近くを占める。ショウベンノキ(幹に傷をつけると樹液が吹き出すことからこの名がある)は平均に近い44本だが、ヒサカキ、オキナワヤブムラサキ、ネズミモチ、ホルトノキといった種は1-5本ずつしかない(図2)。「優占する種と稀少な種が混在して多様な森を形成しているのが森林生態系」と、島谷さんは今まさに森の中を歩いてきたかのように目を輝かせて語る。

 この亜熱帯の森から2004年、島谷・久保田「高い種多様性を有する群集の空間的多様性構造解析」という論文が生まれた。「森林樹木のサイズ構造と空間構造まで視野に入れた多様性を吟味できる統計解析法を開発することができた」と島谷さんは胸を張る。興味深いのは、人間が伐採した跡に復元しつつある10-50年生の森と原生林を比較したところ、原生林における多様な種の大木が森林全域に散在する構造は、50年を過ぎた復元林でも得られていない事実だった。「ひとたび人間によって破壊され、その後に外形的に緑が復活したように思えても、森の本来の多様性は戻ってこない。」島谷さんは少し声を落としながら説明した。

生物多様性を数値で測る試みへの挑戦

 森林樹木から野生生物全般の生活史の解明へ。島谷さんの研究は動物行動の解析という新しいジャンルからも期待されている。ペンギンなどの動物に装着したデータロガーから得られた大量の時空間データを解析する共同研究も進行中だ。島谷さんの脳裏にはいつも、「統計数理の手法を活用することで、生物の多様性を科学的に数値化したい」という問題意識が浮上する。

 地球上では多様な生物が多様に影響を及ぼし合って生息している。その多様な程度をどのように数値で表現すればいいのだろうか。島谷さんの見解では、生物多様性をすべて1個の数値で表現することは不可能だ。しかし、さまざまな側面から数量化し、それらを包括的に用いれば、量的な把握がある程度まで可能になる。

 経済活動の拡大によって急速に失われ、その研究と保全が叫ばれる生物多様性。2010年には名古屋で多国間条約の締約国会議も開かれる予定。「統計数理からのアプローチを、国民が地球環境問題について理解を広めるのに役立てたい。」常に野外の現場から考える島谷さんの新たな努力が始まっている。

(企画/広報室)

図1.世界遺産・知床の森の17年間変化とトドマツの成長の記録

図2.優先種と希少種が混在する沖縄県・ヤムバルの森の樹木分布図

図3.統計手法を使った行動解析の対象となっている南極のペンギンたち

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