私にとっての複雑系

伊庭幸人


私の研究の歴史はずーっと失敗の歴史です。
でも、それを語ることで、複雑系について何かいえたら
と思います。はじめの方ははしょって途中からはじめます。

大学院のころ、確率的セルオートマトンで伝染病のモデル
を作っていました。今でいうと"Self Oganizing Criticality"
のモデルにちょっと似た"recurrent epidemics"(周期的に流行する
伝染病)のモデルです。このようなモデルは、1960年代に疫学者
がやっていたのですが、当時は計算機が発達していなかったので、
あまり調べられていないようでした。やっていると、やっぱり
実際のデータとか気になるので、そういうのも調べて見ました。
時空間のデータはほとんどないのですが、時系列は長いのが
あって、Mayとかが解析しています。それを見ると、伝染病の
内的理由からくる振動の他に、1年周期の振動が卓越しています。
説明を見ると、毎年新学期になると学校に新入生(単に生徒だった
かもしれない)が集まるので、感染がひろがるので1年周期がでる
と書いてあります。えー、学校? そんなのあり?、です。
そうすると、空間モデルには鉄道や会社や学校があって、みんな
その上をぞろぞろ歩いているんだ、と思ったら、頭が"うああ状態"
になってしまいました。そんなことにいまさら気がついたのか、
といわれると、馬鹿みたいですが。そういえば、Grassbegerの
epidemic system (振動しない普通のやつ)の論文には、最初に、大農園
(estate)のモデルになるかもしれない、なんて弁解がましく
書いてあります。

もっとセンスと根性があって、SOCのようなちゃんとした物理の概念
を見つけてれば、そんな余計なこと(現実との対応)なんかは考える
ひまがなかったかもしれません。でも、私にとっては、これが
"複雑系"の原体験(のひとつ)なのです。

それで、いきなり飛躍した私の結論は、"非線形科学なんて駄目だ"
ということです。"カオスはすごいとか、相転移は偉いとか教わって
きたけどみんな嘘や"とまで思ったかどうかはともかく、このまま
ではいかんという気になったわけです。壷が売れなかったから
原理やめてやる、というようなものかもしれません。

その頃たまたま出あったのが、統数研の坂元さんの書いた
"カテゴリカルデータのモデル解析"という本で、そのあと
"情報量統計学"も買ってしまって、大きな影響をうけました。

正しい意味の統計学というのは、いわば"帰納の科学"です。
それは、絶対的な帰納の不可能性(たとえばコルモゴルフ
の複雑性を計算するアルゴリズムの非存在。)から出発して
モデル選択の理論という形で提示されます。
たとえば、ヒストグラムを書く場合に、
区分の数をどの程度にするかという問題があります。
階級数を増やし過ぎると、各クラスに0個か1個のサンプル
しかなくなるので、全く理解できないものになってしまい
ます。かといって少なすぎると情報が失われてしまいます。
では、最適の階級数はなにか、という問題を考えるのが
統計学の仕事です。

私はこんな問題に一般論が存在し、科学の対象として
研究されているとは知らなかったので、感動しました。
それに、ここには"データ"という形で、外部が存在します。
池や学校や山の手線のある世界も扱えるんじゃあないか、
と思いました。

その後、柄谷行人という人が"探求"
という本を書いていることを知りました。
そこには、ある"転回"について記されていましたが、
私はそれを読んで、"おれのことが書いてある"と
思いました。( ただ、ゲーデル的問題という演繹的
なかたちより、対応する(?)帰納版の
"コルモゴルフ的問題"の方も触れてあれば、
もっと良いのに、と思いました)。

それで、次の問題は、私が統計学になにか貢献できるか、
ということです。それで、思いついたのは、
"赤池流ベイズ統計"で重要な役割をする"自由エネルギー"
のような量が、メトロポリス法で計算できることです。
当時(1986?)、Gemanの仕事が知られはじめたばかりで、
私も論文を読んだことがあったので、何かにたような
ことが書いてあったような気がして、見てみると
後ろの方に少しだけ書いてあったのでがっかりしました。
(Bolzmann machineというのはその後知った(1985?))
でも、まだまだやることは沢山あります!

それから7年(ひえー)、純粋に研究という側面に関していえば、
悲惨の一語につきます。いろいろな問題について
計算機をまわしたけど、priorityはひとつも
とれませんでした。理由は、見通しの甘さ、センス
のなさ、ハングリーさのなさ、潔癖、などいろいろ
ありますが、あれほど人が押し寄せてくるとは予想
できませんでした。まだ、戦闘は終ったわけでなく、
太平洋戦争でいえば、 マリアナ海戦が終ったあたり
ですが。

以上が、私の研究歴の後半部分です。
ずいぶん合理化、変形してしまったかもしれませんが。

後半の、いまやっている研究に関係した部分では、
"異なった領域のあいだの交流"というテーマ
が出てきて、それも私にとっては大変重要な課題ですが、
どちらかというと、前半(統計学に転向?するまで)
のことが書きたくて、書きました。


........


足立さんのいう複雑系との接点は全くないと思います。
(足立さんの定義した概念が良く定義されているかどうかに
ついては、納得できない点があるのですが、それは別にまた
書きます)。

池上さんの研究とも直接の接点はないですが、
もともとのepidemic modelのあたりにもどれば、
"世の中はこんなに簡単じゃあない"っていうとこ
から出発した点では同じだと思います。
池上さんの場合には、システムとして閉じたもの
を扱いながら、その中に複雑なしくみをどんどん
入れることで、なにか新しいものがでないかという
方向に進んだわけです。私はそれに文句をいって
ばかりいるんだけど。

それで、私の"複雑系"(私ひとりかな)と池上さんや金子さん
の複雑系がいっしょにやる意味があるか
というとそれは
わかりません。私としても"本土決戦"や"ソ連の侵攻"
そなえて準備した方がいいかもしれないし。
ただ、
(1) "複雑系"の研究会をやると私の興味と一致するような質問が良く出る。
(2) "こういうのもやろう"とか提案すると少数だが支持する意見がでる。
ので、撤退すべきかどうか迷っているのが実情です。


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