平成101998)年度 共同研究A実施報告書

 

課題番号

10−共研−96

専門分類

8

研究課題名

前方後円墳からみる畿内中央政権と関東地方豪族との政治的系譜構造

フリガナ

代表者氏名

ウエキ タケシ

植木 武

ローマ字

所属機関

共立女子短期大学

所属部局

生活科学科

職  名

助教授

所在地

TEL

FAX

E-mail

URL

配分経費

研究費

0千円

旅 費

0千円

研究参加者数

4 人

 

 

 

研究目的と成果(経過)の概要

3世紀の半ばに突然のごとく畿内地方に出現した前方後円墳が、数十年という短い期間に全国へ普及したという事実は、当時において人の移動を含めた、インフォーメーションのフィードバックが行われていたことを物語る。そもそも、前方後円墳は天皇とか貴族、地方においては首長クラスの豪族たちの墓であり、決して普通の民のものではなかった。それらの築造をまかされた工人も、その特殊技能ゆえ、高い社会的地位を確立していたはずである。
関東の豪族が自分の墓を造るため、畿内の有力豪族に特殊工人派遣を依頼したことは考えられる。つまり、墳丘の形態が似ることは、偶然の一致ということもあるだろうが、同一工人、あるいは同一手法により築造されたと考えてよかろう。大規模な土木工事ゆえに、レイアウトから始まるしっかりとした企画のうえに築造されたであろう。
主軸長70m以上で中期(5世紀、IV〜VII期)に属する平面図がしっかりしている前方後円墳のみを『集成』からピックアップすると、132例あった。それらの類似程度をみるため、クラスター解析にかけた。現在の墳丘が築造当時の墳丘と少し相違しているということは否定できないわけで、そこで、0.4のところにカットオフ・ラインを設定し、それ以内にまとまる固まりをクラスター(中にはペアーもある)と呼び、摘出してみた。
28のクラスターがみつかったが、その中に畿内と関東の古墳が入るのは、13あった。これは、関東豪族と畿内豪族との政治・経済的な関連を示唆するもので、築造時期を考慮すると、面白い推論ができあがった。例えば、大阪の仲津山古墳と千葉の内裏塚、茨城の水戸愛宕山などが近似クライスラーの中にあったのは面白い。


 

当該研究に関する情報源(論文発表、学会発表、プレプリント、ホームページ等)

1998「前方後円墳から考察する大和中央政権と東国地方政権との構造的関連(?)」日本
情報考古学会 第6回大会発表要旨。pp.30-47。
1999a「同上(?)」日本情報考古学会 第7回大会発表要旨。pp.1-16。
1999b「墳丘形態からみる全国前期前方後円墳(?〜?)の政治的系列化」シンポジウム:人文
科学における数量的分析(4)。文部省重点領域研究「人文科学とコンピュータ」数量的分析
計画研究班。pp.79-90。

研究会を開催した場合は、テーマ・日時・場所・参加者数を記入してください。

 

研究参加者一覧

氏名

所属機関

梅澤 重昭

群馬大学

大塚 初重

明治大学

村上 征勝

統計数理研究所