研究目的
マイクロシミュレーションを用いて大腸がんの罹患率や死亡率の変動を様々な介入効果の影響を考慮したうえで試算し、介入効果の大きさを比較することでがん対策における優先順位の指標として活用する。
がんの罹患率および死亡率は、対策により、コントロールが可能である。具体的には、がんの発生要因である感染や喫煙を減らす予防対策、死亡率減少効果のあるがん検診、生命予後の改善につながる治療を広く普及させることにより、がんの罹患または死亡を減らすことができる。しかし、対策によって適用範囲や効果の大きさ、必要な資金は異なり、対策の選択が必要となる。特に、国民医療費の増大と生産年齢人口の減少により資源が限られる我が国においては、有効な対策の選択と優先順位の決定が重要な課題となる。疾病の罹患や死亡を減らすための対策や治療の効果は、大規模な疫学研究や臨床試験で検証される。しかし、予防、検診、治療の各分野で新たな集団介入の手法が開発されており、それらの組み合わせや対象年齢の設定などについて実証的研究で答えを出すのは困難である。
この問題を解決するための方法の一つとしてマイクロシミュレーションが挙げられる。マイクロシミュレーションとは、様々な統計データを元に作成された対象集団および個人の変数(がん発生率や検診受診率、他死因死亡率など)の影響を考慮して、対象の時間変化によるがん罹患・死亡の状況を試算する手法であり、予防・検診・治療などの介入効果の影響を客観的に評価することができる手法として有用である。米国やカナダにおいては様々な介入シナリオ別のシミュレーション結果を国のがん対策の目標値設定作成時の指標
として活用しており, より多角的な議論を可能としている。これらのアプローチは、疾病対策のガイドライン作成において標準的な手法として位置づけられている。
我が国における取組としても、平成26-28年度がん対策推進総合研究事業「がん対策推進基本計画の効果検証と目標設定に関する研究」班(研究代表者:加茂憲一)において、大腸がんに関するシミュレーションモデルが開発された。開発されたモデルは特定時点で30歳である対象100万人が79歳に至るまでのアデノーマ発生・がん罹患・死亡や他死因死亡数などの変動をシミュレートするものである。現状、シミュレーションに組み込まれた介入効果は検診効果のみであるが、作成されたモデルによる結果は平成28年12月19日にがん対策推進協議会におけるがん死亡率減少の目標値設定において議論に活用されるなど、がん対策におけるマイクロシミュレーション活用への注目が大きいことがわかる。しかし一方で現状のモデルにおいては、介入効果の影響を試算するためのシナリオの設定が不完全である点やシミュレーション対象人数が少ないため結果が不安定な点、モデルに経時的な影響を考慮できていない点などの様々な問題が見られる。マイクロシミュレーションのがん対策における有効な評価資料としてのさらなる活用のため、現実に則ったシナリオ設定および洗練されたシミュレーションモデルの作成が必要となる。そこで本研究は、がん対策の評価に用いるため現状のマイクロシミュレーションモデルを洗練し、マイクロシミュレーションを用いた介入効果の大きさの比較を行った。
詳細な研究内容としては, 大腸がん検診における受診年齢上限の検討を行った。
余命が短くなると、がん検診の効果は小さくなり、逆に過剰診断や検診・精密検査による偶発症などの不利益が大きくなる。年齢上限を設けず行われてきたわが国でのがん検診は高齢化が進む中で危険な状態にあり、厚生労働省の「がん検診のあり方に関する検討会」において対象年齢の議論が進行中である。しかし、これまでのように利益と不利益を改めて大規模な疫学研究やRCTにより定量化し 具体的な年齢上限を検討することは現実的でなく、欧米諸国で多用されているマイクロシミュレーション(MS)を用いるべきである。
日本のデータに基づき開発された大腸がんに関するMSモデルを用いて、便潜血検査による大腸がん検診の年齢上限の検討に活用できる資料を作成する。
2012年時点で30歳である男女100万人の仮想的コホートを対象に、100歳まで加齢するMSモデルを開発した。具体的には,2012年時点の性・年齢階級別検診受診率を基に現実を反映したコホート(上限なしコホート)および検診年齢上限を65、70、75、80、85歳と設定した際の仮想コホート(上限ありコホート)をシミュレートした。上限なしコホートと上限ありコホートにおける大腸がん死亡と有害事象発生を比較し、回避死亡および有害事象発生をそれぞれ検診の利益および不利益と定義し,比較検討を行った。
結果として不利益および利益が年齢上限の設定によりどう変化するかをみた。男性においては、検診年齢上限を85歳から80歳に引き下げた場合、不利益1件減少あたりの利益減少は1.5人となった。これが80歳から75歳では2.23人、75歳から70歳では13.2人、70歳から65歳では16.1人、65歳から60歳では14.3人と算出され、75歳前後で大きく傾向が変化することが示唆された。
がん対策において重要な役割を担うがん検診は,対象者を適切に選択することにより有効性が高まることが期待される。特に年齢に関しては,体力の衰えが顕著となる高齢者における不利益を考慮する必要があることがMSにより示された。今後、年齢上限の設定のために、本研究の成果を一つの根拠資料として活用されることを期待したい。
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