第71巻第1号5−24(2023)  特集「諸科学における統計数理モデリングの拡がり」  [研究詳解]

重力レンズ解析による宇宙暗黒物質地図と深層学習の応用

国立天文台/統計数理研究所 白崎 正人

要旨

大規模な天文観測データの解析により,我々の宇宙には光で直接検出できない(あるいは非常に検出が難しい)物質が存在することが示唆されている.そのような物質は宇宙暗黒物質と呼ばれ,過去から現在まで宇宙の至る所に遍く存在する一方で,その存在は既存の物理学の範疇では説明できない.暗黒物質の正体を解明するために,暗黒物質が宇宙のどこにどれくらい集まっているか—暗黒物質地図—を観測的に明らかにすることは重要である.光で観測することが難しい暗黒物質の地図を描くための有力な手法として,重力レンズ解析が近年注目を集めている.重力レンズ効果とは,遠方にある銀河などの天体の像が,観測者と天体の間に存在する物質の重力によって歪むという一般相対性理論によって予言される現象である.現在,世界各地で進む銀河撮像観測では,重力レンズ効果により生じる銀河のわずかな歪みから視線方向にある暗黒物質の存在量を推定する重力レンズ解析が精力的に行われている.本稿では,現代宇宙論の概要,重力レンズ解析の基礎的な事項をまとめ,近年特に盛り上がりを見せている重力レンズ解析における深層学習の応用について,筆者らの最近の研究内容を交えながら解説する.

キーワード:宇宙暗黒物質,重力レンズ,深層学習,生成モデル,敵対的生成ネットワーク.


第71巻第1号25−45(2023)  特集「諸科学における統計数理モデリングの拡がり」  [原著論文]

射影演算子法による統計的時系列データ解析とその応用

名古屋大学大学院 前山 伸也
統計数理研究所 三分一 史和

要旨

射影演算子法は非平衡統計物理学の分野で開発された数理手法であり,興味ある目的変数の時間発展を,説明変数に対する相関項と無相関項に分離し,一般化Langevin形式で記述する.この手法は,データセットに対する実用的な統計的時系列データ解析として利用できる.本研究では,その定式化を再訪しつつ,連続時間および離散時間システムでの任意の目的・説明変数に対する拡張を行った.続いて,類似した時系列データ解析手法として構造ベクトル自己回帰(SVAR)モデルとの比較を行った.射影演算子法は任意の説明変数に対する定式化でありSVARモデルよりも広い適用範囲を持つこと,説明変数として自己回帰形を用いた場合はSVARモデルと同等の相関を抽出可能であることを示した.さらに応用例として,プラズマ乱流による帯状流生成・維持過程を一般化Langevin方程式として捉える解釈を提案し,射影演算子法による時系列データ解析に基づく根拠を与えた.以上により,物理的解釈を与えるためのデータ解析,および,確率的時系列データのモデリングに対する射影演算子法の有用性を示した.開発した手法はPythonからのシンプルな関数呼び出しで利用できるオープンソースコードとして公開し,興味を持った読者は手軽に試すことができる.

キーワード:射影演算子法,連続/離散時間システム,乱流,時系列解析.


第71巻第1号47−64(2023)  特集「諸科学における統計数理モデリングの拡がり」  [研究ノート]

核融合プラズマ制御に向けたデータ同化システムの開発

京都大学大学院 森下 侑哉
京都大学大学院 村上 定義
核融合科学研究所/総合研究大学院大学 横山 雅之
統計数理研究所/データサイエンス共同利用基盤施設/総合研究大学院大学 上野 玄太

要旨

核融合プラズマの高精度な解析・制御を実現するため,核融合プラズマの統合シミュレーションコードをシステムモデルとするデータ同化システムASTIの開発を進めている.ASTIの最終的な目的は核融合プラズマの制御にあるが,既存のデータ同化の枠組みは制御の要素を含んでいない.そのため本研究では,逐次ベイズフィルタを拡張し,観測データを用いたシステムモデルの最適化と目標状態を実現する制御入力推定とを統合したデータ同化フレームワークを新たに開発した.本稿では,ASTIの概要を紹介するとともに,開発した制御用データ同化フレームワークについて説明する.また,数値空間上の仮想プラズマをASTIによって制御する数値実験の結果を紹介する.

キーワード:データ同化,モデル予測制御,核融合プラズマ.


第71巻第1号65−80(2023)  特集「諸科学における統計数理モデリングの拡がり」  [総合報告]

トレンド除去演算に基づくフラクタル時系列解析の数理
—非定常時系列にみられる1/fβ型ゆらぎ—

大阪大学大学院 清野 健

要旨

非定常なトレンド成分を含む時系列にみられる長時間相関,1/fβ型ゆらぎ,あるいは,自己アフィンフラクタル性などの特性を評価するために,detrended fluctuation analysis(DFA)と呼ばれる解析法が,物理学や生体信号解析の分野で頻繁に用いられるようになっている.DFAでは,非整数ブラウン運動のような拡散的時系列の統計的自己アフィン性(Hurst指数)を定量化する手続きの中に,時系列のトレンド除去演算が含まれている.そのようなトレンド除去演算の導入には,非定常なトレンド成分に起因する誤ったHurst指数の推定を避けたり,評価可能なスケーリング指数の範囲を拡張できたりする利点がある.最近では,R,PythonのパッケージとしてDFAが実装され,誰もがDFAを簡単に利用できるようになったため,パワースペクトルの推定に代わりDFAが用いられることが多くなっている.本稿では,DFAとその派生版であるdetrending moving average algorithm(DMA)を中心として,これらの解析法の数理的基礎を解説する.

キーワード:長時間相関,フラクタル,長期記憶,1/fゆらぎ,時系列解析.


第71巻第1号81−95(2023)  特集「諸科学における統計数理モデリングの拡がり」  [研究詳解]

公開データベースを利用したヒト安静時脳活動研究

岡山大学 松井 鉄平
群馬大学 地村 弘二
東京大学大学院 李 鋭祥

要旨

ヒトの脳は運動や感覚入力を伴わず何もしていない安静時でも安静時脳活動と呼ばれる自発的な脳活動を示すことが分かっている.近年の神経科学では大規模な脳活動データベースの構築が進んでおり,安静時脳活動についても千人以上のデータが公開されている.公開データベースは神経科学の専門家だけでなく数理統計の専門家にも利用され始めており,安静時脳活動の新しい一面が明らかになってきている.本論文では,その一例として安静時脳活動の時空間ダイナミクスについての最近の研究を紹介する.従来の心理学や神経科学では,安静時脳活動は複数の安定状態の遷移として表現されていたが,公開データベースを基にした最近の統計的な検証により,この描像は正しくない可能性が明らかになった.このような事例は,公開データベースを共通の基盤とした神経科学と数理統計の専門家の連携が,今後の脳の理解に重要な役割を果たすことを示唆している.

キーワード:神経科学,fMRI(機能的磁気共鳴画像法),自発的脳活動,公開データ,時系列モデリング,非定常性.