第59巻第2号163−172(2011)  特集「がん統計データおよびその解析」  [総合報告]

わが国のがん統計に関する現状と課題

国立がん研究センター 祖父江 友孝

要旨

がん対策を証拠に基づいて実施するためには,正確ながん統計が必須である.主ながん統計指標としては,死亡率(数),罹患率(数),生存率がある.死亡は人口動態統計,罹患は地域がん登録が唯一の計測システムであるのに対し,生存率は,地域がん登録,院内がん登録,臓器がん登録により計測される.地域がん登録は,2010年現在,38道府県1市で実施されているが,多くの登録で精度が十分ではなく,全国推計に使用できるのは10–15県に限られている.ただし,がん対策基本法成立以来,実施県は増加する傾向にあり,また院内がん登録の整備された拠点病院からの届出数の増加により精度向上が予想される.今後は,地域がん登録,院内がん登録,臓器がん登録の連携を図り,効率のよいデータ収集システムを整備すると共に,がん統計利用の促進を図る必要がある.特に,公的統計の有効活用や数理モデルによる検討を一層進めていくことが課題である.

キーワード:がん対策,がん登録,死亡率,罹患率,生存率,有病率.


第59巻第2号173−180(2011)  特集「がん統計データおよびその解析」  [総合報告]

米国のがん統計に用いられている数理モデルの概観

独立行政法人国立がん研究センター 片野田 耕太

要旨

がんの統計情報は,国のがん対策の立案と評価のために不可欠である.わが国では,死亡統計が約1年遅れで最新データが公表されるのに対して,罹患統計は,最新データが公表されるのは約5年遅れであり,罹患統計の遅れの解消が大きな課題となっている.米国では,2010年現在,死亡統計では状態空間モデル,罹患統計では空間モデル・時空間モデル・Joinpoint回帰モデルの組合せにより,それぞれ3年後,4年後の予測が行われ,いずれもリアルタイムの推計値が公表され政策利用されている.わが国においても,短期予測による最新の罹患統計を整備し,科学的根拠に基づくがん対策の情報基盤を構築してゆく必要がある.

キーワード:がん,死亡,罹患,予測,状態空間モデル,時空間モデル.


第59巻第2号181−192(2011)  特集「がん統計データおよびその解析」  [原著論文]

Transition model を用いた癌の死亡率データの解析及び予測について

セルジーン株式会社 緑川 修一
東京理科大学 宮岡 悦良

要旨

がんの死亡者数やがんの罹患者数は5年もしくは10年毎に年齢階級別に発表されることが多く,このようなデータに対しての解析がよく行われてきた.本研究では,このようなデータに対して,解析及び短期予測を行うことを目的とする.本稿では厚生労働省データベースから,1950年から2000年まで5年毎,15歳から90歳以上の5歳階級からなるデータを用いた.このようなデータに対して,age-period-cohort modelがよく用いられるが,パラメータの認定不可能の問題がある.Transition modelを用いることで認定不可能の問題が解決でき,データへの当てはまりも age-period-cohort model に比べよいことが分かった.本研究では,時系列解析でよく用いられるstate space modelをデータに当てはめ,短期予測を行い,age-period-cohort modelを用いた古典的な予測法との比較を行う.本研究では状態変数を求める際にparticle filterを用いて解析を行い,予測分布を求め,予測分布の平均値を用いて,短期予測を行う.

キーワード:Transition model,age-period-cohort model,particle filter.


第59巻第2号193−203(2011)  特集「がん統計データおよびその解析」  [研究ノート]

日本におけるがん罹患率の動向(1975–2005)

国立成育医療研究センター研究所 邱 冬梅
札幌医科大学 加茂 憲一
国立成育医療研究センター研究所 坂本 なほ子

要旨

地域がん登録全国推計値のデータに基づき,Joinpoint回帰(折れ線回帰)により1975年〜2005年まで日本の全がん及び部位別がんの年齢調整罹患率の動向を解析した.31年間のがん年齢調整罹患率のトレンドを解析した結果では,全がんにおいて,近年男女ともに増加していた(男性2000–2005年平均年変化率:1.7%;女性1999–2005年平均年変化率:2.8%).部位別では,近年増加を示した部位は男女の肺,悪性リンパ腫,男性の膀胱,女性の膵臓,乳房,子宮,卵巣,腎などであった.一方,減少を示した部位は男女の肝臓,胆嚢・胆管,男性の大腸,女性の胃であり,横ばいであった部位は男女の食道,白血病,男性の胃,膵臓,前立腺,腎など,女性の大腸,膀胱であった.今後,がん罹患率を減らすには,禁煙や食生活の改善のような第一次予防,検診により早期発見を含む効率的ながん対策の実施は必須であり,特に胃,肺,前立腺,乳房,子宮,大腸などの罹患率が高い,あるいは増加傾向である部位に対する重点的な対策が必要である.

キーワード:がん,罹患率,トレンド,Joinpoint回帰.


第59巻第2号205−215(2011)  特集「がん統計データおよびその解析」  [研究ノート]

変化係数を用いたがん死亡危険度の年次変動要因の推測

広島大学 冨田 哲治
広島大学 佐藤 健一
国際医療福祉大学 中山 晃志
国立がんセンター 片野田 耕太
国立がんセンター 祖父江 友孝
広島大学 大瀧 慈

要旨

がんなどの疾患の罹患・死亡リスクは,様々な背景要因の変化に伴って経年的に変動している.このような背景要因と経年変動の関係を解析することは,我が国のがんリスクの動向を把握し,今後のがん対策へ繋げていくために基礎となる重要なテーマである.がん死亡数は地域ごとに毎年集計されており,このような繰り返し観測されたデータは特に経時データと呼ばれている.本論文では,観測値駆動型モデルを用いて経時データの特性を考慮しつつ変化係数により説明変数の経時的な変化を推測するための解析方法を提案する.実データへの適用例として,日本における男性の大腸がん死亡数データに提案手法を適用し解析を行った.

キーワード:観測値駆動型モデル,一般化線形ARMA,変化係数,一様性検定.


第59巻第2号217−237(2011)  特集「がん統計データおよびその解析」  [研究ノート]

年齢–時代平面上における癌死亡リスクの視覚化

札幌医科大学 加茂 憲一
広島大学 冨田 哲治
広島大学 佐藤 健一

要旨

癌の動向に対する適切な統計的手法を用いた評価は,癌対策の根幹をなす重要な情報となる.本論文では,癌死亡リスクを年齢と時代を座標とする空間内の曲面(リスク曲面)として視覚化することを目的とするが,実際には2次元の年齢–時代平面上において癌死亡リスクの高低を表現することになる.このように,ある平面上の関数曲面を推定する方法としては地理的加重回帰,あるいは離散変数にも適用可能な地理的加重一般化線形モデルが広く利用されており,本目的に対しては,年齢と時代の組み合わせを仮想的な位置情報とみなすことで癌死亡リスク曲面の推定が可能となる.このモデルはノンパラメトリックであり自由度が極めて高い.これに対して,別のパラメトリックモデルも考察する.本論文では,年齢と時代に関する交互作用を用いたパラメトリックモデルによる癌死亡リスク曲面の推定も試みる.更に,癌の時系列解析や予測において良く用いられる年齢・時代・コホートモデルに基づく解析結果を用いて癌死亡リスク曲面を推定することも可能であり,その結果も併せて紹介し,各モデルより得られた結果を比較検討する.解析には統計フリーソフトウエアRを用い,解析スクリプトおよびWebより入手可能なデンマーク肺癌死亡データを用いた解析例も併せて紹介する.本研究の目的である「視覚化」について達成されたかどうかに対する絶対的な評価は,現時点では不可能である.しかし,特性が既知であるデータに対して本手法を適用し,実際にその特性が視認できるかという点での検証は可能である.そこで,その検証の一例として「昭和一桁生まれ世代の高リスク」という出生コホート効果の示唆される日本の肝臓癌死亡データに適用し,その効果が視認できるかに着目した結果を示す.最後に,これらのモデルにおける数理的な面に着目し,その特性や問題点をまとめ,今後の改良点や応用について議論する.

キーワード:癌,リスク曲面,視覚化,地理的加重一般化線形モデル,交互作用モデル,年齢・時代・コホートモデル,コホート効果.


第59巻第2号239−265(2011)  特集「がん統計データおよびその解析」  [原著論文]

地理統計に基づくがん死亡の社会経済的格差の評価
—市区町村別がん死亡と地理的剥奪指標との関連性—

立命館大学 中谷 友樹

要旨

本稿では,2003〜2007年の期間で集計された市区町村別がん死亡にみられる地域間格差に着目し,その地理的な視覚化とともに,地理的な貧困(剥奪)水準を示す単次元指標である地理的剥奪指標に基づいて,がん死亡の社会経済的な格差の大きさを評価した.貧困のミクロデータ解析と関連づけた地理的剥奪指標を提案するとともに,空間的に構造化されたランダム効果を含む階層ベイズ・ポアソン回帰モデルを利用し,疾病地図の作成とがん死亡の格差指標値の推定を実施した.その結果,主要死因別にみたがん死亡の多くにおいて,剥奪水準の高い–貧困がより集中する–地域で死亡率が高くなる社会経済的な地理的格差の存在が確認された.とくに格差の大きいがん死亡は,男性の大腸がんと肝臓がん,女性の肺がんと子宮がんであり,剥奪水準の最も高い地区群では,最も低い地区群にくらべ,およそ20〜24%程度の死亡率の超過が認められた.また,空間的に構造化されたランダム効果によって調整しうる格差指標のバイアスを議論し,実際にこの効果を考慮したモデルとしないモデルとでは格差指標の推定結果に無視し得ないずれが生じる点を確認した.

キーワード:階層的ベイズ・ポアソン回帰モデル,疾病地図,相対格差指標,地理的剥奪指標,がん,SMR.


第59巻第2号267−286(2011)  特集「がん統計データおよびその解析」  [研究ノート]

感染症の制御による癌リスク減少の評価手法

科学技術振興機構 さきがけ/The University of Hong Kong/University of Utrecht 西浦 博
東京大学大学院 稲葉 寿

要旨

発癌性を有する病原体の感染を経た後に起こる癌は多い.癌罹患と因果関係を有する感染症に対して,ある予防あるいは治療手段が開発・適用されると,その感染症制御に引き続いて特定の癌リスクが減少する.癌と感染症の統計データを利用して感染症対策を評価したり,あるいは感染症対策による未来の癌リスクの減少効果を予測したりするためには,疫学的動態の深い理解に基づいて,感染症の制御が特定の癌リスクに及ぼすであろう影響を理論的に明らかにすることが欠かせない.本稿では,感染過程および発癌過程の両方を加味した数理モデルを構築・分析することにより,評価指標の定義およびその推定に必要とされる統計データの種類について議論する.感染症や癌のリスクの減少効果は長年に渡って時刻に依存すると考えられるため,ある時刻における時点リスクと年齢別の累積リスク,出生コホートにおける生涯リスクの3つの異なる指標を使い分ける必要がある.また,感染症制御の影響を明らかにするには,がん統計だけでなく,縦断的な血清学的調査などによって人口中の感染者割合を経時的に把握しておくことが望ましい.従来から疫学調査によって推定されることの多かった感染者の超過発癌リスクに加えて,感染者および未感染者の各々が発癌までに要する待機時間や,年齢に特異的な癌患者の超過死亡率など,感染から癌に至るまでの自然史について経験的データを基に十分に定量化することが必要である.

キーワード:感染症,がん,疫学,効果,モデル,予防接種.


第59巻第2号287−300(2011)  特集「がん統計データおよびその解析」  [研究ノート]

地域がん登録資料に基づくがん患者の治癒確率の推定

大阪府立成人病センター 伊藤 ゆり
弘前大学 杉本 知之

要旨

がん患者の予後を示す指標として5年生存率が用いられてきたが,がんの部位や進行度によって予後は異なるため,一律に5年で判断するのは難しいといえる.一方,がんの5年生存率に代わる指標として治癒率を推定するための方法論の整備がなされてきている.治癒モデルは,以前より提案されていた(Boag, 1949)が,1990年代後半に相対生存率の考え方がとり入れられるまでは,地域がん登録資料による適用は多くなかった.近年,方法論およびソフトウェアの開発により,地域がん登録資料による適用が欧米を中心に盛んになってきており,本論文では,地域がん登録で用いられる治癒モデルとその方法論の説明とともに,我が国の地域がん登録資料に適用した例を紹介した.大阪府がん登録資料より1975–2000年に診断された胃がん患者について,診断時期を5期間に区分し,治癒確率および非治癒生存分布の中央生存時間の推移を評価した.胃がん患者の治癒確率は1975–2000年の25年間で,約20ポイント向上し,約50%以上の患者が治癒すると推定された.また,治癒確率の向上は男女とも20%近くが早期診断の増加による進行度分布の変化により説明できると推定された.進行度別にも治癒確率が大きく向上していることより,治療技術の向上の影響も大きいことが示唆された.

キーワード:治癒モデル,がん登録,相対生存率,胃がん.


第59巻第2号301−319(2011)    [原著論文]

経済学の成績に対する数学学習の効果:コントロール関数アプローチによる推定と予備検定

大阪府立大学 鹿野 繁樹
北海道大学大学院 高木 真吾
大阪府立大学 村澤 康友

要旨

本稿では2005,2006年度の某大学経済学部生の成績データを用いて「ミクロ経済学入門」「マクロ経済学入門」の成績(合格率)に対する数学学習の平均処置効果(average treatment effect)を推定する.同学部では「ミクロ経済学入門」「マクロ経済学入門」は必修科目,「経済数学」は選択科目である.自己選択のため数学履修は無条件に外生とは仮定できず,内生性の問題が生じる可能性を考慮する必要がある(例えば学力が高い学生ほど数学を履修し,経済学の成績も良いかもしれない).そこで本稿では学力・学習態度を表す変数をコントロール変数とした「コントロール関数アプローチ」を採用する.また内生性のコントロール可能性(処置変数の弱外生性)の予備検定として,結果と処置に同時2値プロビット・モデルを仮定したスコア(LM)検定を提案する.本稿の発見は以下の2つである.(1)両年度の「ミクロ経済学入門」と2006年度の「マクロ経済学入門」については学力・学習態度を表す変数(入試・演習科目の成績)で数学履修の内生性をコントロールできる.(2)「ミクロ経済学入門」「マクロ経済学入門」の合格率は「経済数学」の修得により9〜15%上昇する.

キーワード:処置効果,内生性,プロビット,スコア(LM)検定.


第59巻第2号321−329(2011)    [研究ノート]

DeRobertis分離度による全変動距離の上界

統計数理研究所 小林 景

要旨

DeRobertis分離度は確率測度間の差異を測る指標の一つであり,ベイズ事後分布や,分配関数の計算が困難な確率測度間の差異を調べる際に,応用上有効である.一方,密度関数の対が与えられたとき,このDeRobertis分離度を用いて全変動距離の上界が得られることが知られている.本研究ノートでは,既存の上界を優越するような厳密な上界を導出し,さらにそれが最適であることを証明する.また,局所的な測度の違いを測る局所DeRobertis分離度を用いて得られる全変動距離の上界についても,既存のものを本質的に優越するような上界を示す.

キーワード:全変動距離,ロバスト統計,ベイズ事後分布,ダイバージェンス,DeRobertis分離度,局所DeRobertis分離度.