複雑系研究会の歴史


1995/7/17 修正及び追加

1996/4/11 HTML化

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伊庭幸人


統計数理研究所での活動

大自由度力学系、統計物理の研究者である(あった)
金子邦彦・伊庭幸人・池上高志・篠本滋は田村義保の
後援を得て、80年代後半から90年代はじめにかけて、
複雑なシステムへの数理的な接近に関する学際的な研究会
を統計数理研究所(文部省)において6回にわたって開いた。

当時すでに、統計物理や非線形物理においては、
いわゆる物理現象以外の対象(たとえば、生物、社会、
工学的対象)にその概念や理論を適用しようという動きが
あったが、そのような対象に対する知識も、既存の数理的な
理論についても理解が不十分であるという感が強かった。
このため、分野をこえた対話が必要である(「世界を知りたい」)
という要求があり、これが研究会のひとつの原動力となった。
また、自分たちと同じ問題意識を持っている研究者
を他の分野にも見い出せるのではないかという期待もあった。

具体的に主題としてとりあげた(または浮かび上がって来た)
テーマとしては、

などがあった。

一連の研究会の結果は、世話人および参加者の(少なくとも)
一部に対して、さまざまな形の研究上のインパクトを与えることができ、
その意味ではかなりの成功であった。また、研究会全体を通じて
良い意味でinformalな、なんでも質問できる空気を維持できた
ことも高く評価できると思う。

一方で、参加者と講師の重なりがもともと少なく、回を重ねるごとに
ますます減少したため、研究会というより勉強会という性格になって
しまったという問題がある。また、特定の主張を打ち出すことが
主目的ではなかったのだから当然ともいえるが、新しい研究集団を
作り出すことはできなかった。

参加者の知識の増大には寄与したと思われるが、
それが、世話人の一部が期待したように、
分野にとらわれない自由な精神を持つ「科学者」
を生み出す契機には必ずしもならなかったことも、
反省点のひとつにあげられるかもしれない。


基礎物理学研究所での活動及び王子セミナー

金子邦彦、池上高志を中心とする有志によって、1992年(複雑系1)、
1993年(複雑系2)の2回の研究会が京都大学基礎物理学研究所で開かれた。

複雑系1に関する詳しい
報告とe-mail討論は「物性研究」vol.59 No.3(1992/12)にある。

複雑系1では、従来の統計力学の応用や拡張では
とらえきれないような複雑な現象を単純化せずにとらえることが
目標として設定された。具体的には、
などのテーマがあげられたが、対象の共通性より、思想や方法論の共通性
が重要であることが強調された。

基礎物理学研究所の研究会として、関連するテーマのもの
としては、「カオスとその周辺」及び「パターン・運動・統計」
があった。これらの研究会はいずれも、この年以前に終了もしく
は休止している。「複雑系1」はこれらの直接の後継として企画
されたものではないが 、「カオスとその周辺」の「周辺」の部分とは
かなりの思想的な関連があると思われる。

複雑系1には、非常に多くの参加者があり、この分野への物理学者
の関心の高さが伺われた。また、これをきっかけに世話人らとの
共同研究を始めた他分野の研究者や博士論文の題目を決めた若手
研究者もおり、萌芽的ではあるが、新しい研究集団の形成に寄与
する可能性も示された。

しかしながら、研究会の趣旨のあいまいさ(思想や方法論の共通性
をうたいながら、具体的な視点が十分に示されていないことや
「ではなく」というような否定的な定義が含まれている点。)に
対する批判もあった。また、逆に、複雑系に対する思想や方法論が
大自由度力学系論やシミュレーション科学に偏っているという
不満も生じた。はっきりした思想を提示することは、
見方を限定してしまうという不利益を生じる一方で、
単なる勉強会におわらずに新しい研究集団の形成に寄与できる
という利点があるが、どちらの側面からも中途半端な点があった
といえる。

翌年(1993)には、複雑系1を継承するかたちで、複雑系2が行なわれた。
ここでは、前年の批判をふまえて、世話人による明示的なコンセプト
の提示(「多対多の動的な論理」、「open-ended evolution」)、
外部の批判者との対話の試み、「数理モデルの作り方」に関する
パネル討論などが行なわれた。

なお、複雑系2と複雑系1のあいだに王子セミナーとして、
国際研究集会「Complex Systems : from complex dynamics to
artificial reality」が行なわれ、ここでも
金子邦彦と池上高志が中核的な役割を演じた


今後の活動と「複雑系夏の学校」(1994春現在)


以上を踏まえて、次のステップに向けての討論が行なわれた。
意見はさまざまにわかれたが、結局次のようになった。


1995夏 追加




1996 春


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