埋もれた暗黒物質の地図を掘り起こす ―観測・シミュレーション・人工知能のタッグで描くクリアな宇宙―

ISM2021-06
2021年7月2日

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図1: 本研究のイメージ図.深層学習を使い観測データからノイズを取り除くことで,埋もれていた暗黒物質の情報が得られるようになる.(クレジット:統計数理研究所)

 

概要

 大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 統計数理研究所(所在地:東京都立川市、所長:椿 広計、以下「統数研」) と 自然科学研究機構 国立天文台 (所在地:東京都三鷹市、台長:常田佐久) は、 遠方銀河観測での暗黒物質探査に有効な深層学習ネットワークを構築しました。
 これまでの天文観測により、我々の宇宙を占める物質の80パーセント程度は光を発することのない物質であることが示唆されています。この物質は暗黒物質と呼ばれ、その正体はいまだ謎に包まれています。暗黒物質の正体を解明するには、暗黒物質が宇宙のどこにどれくらいあるかを調べる必要があります。暗黒物質の地図を作成するために、遠方銀河の重力レンズ効果を利用する手法が近年注目されています。今回、白崎正人 助教 (国立天文台・統数研)、森脇可奈 博士課程3年(東京大学)、 大木平 研究員(千葉大学統合情報センター)、吉田直紀 教授(東京大学)、池田思朗 教授(統数研)、西道啓博 特定准教授(京都大学基礎物理学研究所)から成る研究チームは、実際の銀河データから暗黒物質地図を作成する際に生じるノイズを軽減するため、最先端の深層学習技術を応用し、これまでノイズに埋もれていた暗黒物質地図を描くことに成功しました。この深層学習に必要な大量の学習データを、国立天文台の天文学専用スーパーコンピュータ「アテルイⅡ」を用いた大規模なシミュレーションによって構築しました。研究チームの提案する手法は、既存の手法では調べることの難しい暗黒物質密度が小さい領域を明らかにでき、平均密度や粒子質量など暗黒物質の基本情報を厳しく制限することに役立てられます。
 本研究成果は、Shirasaki et al. “Noise reduction for weak lensing mass mapping: an application of generative adversarial networks to Subaru Hyper Suprime-Cam first-year data” として、『英国王立天文学会誌』の 2021年6月版に掲載されました。

           

研究の背景

 宇宙に存在する物質のうち約80パーセントは、「暗黒物質(ダークマター)」と呼ばれる正体不明の物質で占められています。この暗黒物質は、私たちを構成するような普通の物質とほとんど相互作用しませんが、重力は働くため、宇宙の構造形成を駆動する重力源としての役割を担います。宇宙初期に存在した物質のわずかな密度の揺らぎは、暗黒物質が引き起こす重力によって成長し、成長した密度ゆらぎの中で星や銀河などが生まれ、現在の宇宙の姿になったと考えられています。暗黒物質の正体解明は、「我々はどこからきたのか」「我々は何者か」といった人類の根本的な問いにまつわる重要な課題です。

 暗黒物質の正体を明らかにするには、暗黒物質が宇宙のどこにどれくらいあるかを調べる必要があります。暗黒物質の性質によって、その分布の仕方が変わると理論的に予測されているためです。国立天文台のすばる望遠鏡が搭載する超広視野主焦点カメラHyper Suprime Cam(ハイパーシュプリームカム:HSC, ※1) を用いた観測計画では、広い領域を観測し多くの銀河の姿を捉えることで、光を発しない暗黒物質の地図を描く研究が進められています。暗黒物質の地図の作成にあたっては、重力が引き起こす「重力レンズ(※2)」と呼ばれる現象を利用します。私たちと遠方銀河の間にある暗黒物質は、その重力によって時空を歪めます。この歪みは遠方銀河を観測するときにレンズの役割を果たし、銀河の形を大きくしたり歪めたりします。HSCによって得られた1000万以上の銀河の画像を注意深く調べることで、重力レンズによる銀河の歪みを検出することができます。

 銀河の像の歪みが強いほど、その銀河と観測者の間に暗黒物質がたくさん存在しているということになります。さまざまな方向にある銀河の像の歪みを統計的に処理しその方向の暗黒物質の量を見積もることで、暗黒物質の地図が得られます。この地図は、しばしば「レンズマップ」と呼ばれます。HSCで得られるレンズマップには、銀河が重力レンズで歪む前の形状が不明であることや、暗い銀河ほど形状測定が困難であることなどによって、ノイズが混入します。先行研究により、HSCのレンズマップは、銀河が数千個あつまる「銀河団」のような暗黒物質が特に集中した領域周辺でない限り、ノイズの影響を無視できないということが知られていました。ノイズの影響を小さくするには、解析に使う銀河の数を増やすことが最も単純な解決策です。しかし、HSCの観測時間が限られているため、臨機応変に観測領域の追観測をして銀河の数を増やすことが難しいのです。

 

研究内容と成果

 国立天文台/統計数理研究所の白崎正人 助教らは、人工知能(AI)技術のひとつである深層学習技術を利用して、銀河の数は増やすこと無しにノイズを除去し、これまで調べることが難しかった暗黒物質密度の低い領域までノイズの影響を受けないレンズマップの作成に成功しました。研究チームが用いたのは、「敵対的生成ネットワーク」と呼ばれる手法です(図2)。このAIを安定して動作させるためには、ノイズの無いレンズマップと観測データそっくりのノイズを含んだレンズマップのペアを大量に使って、AIを訓練しなければなりません。さらに、宇宙膨張の歴史や観測誤差をさまざまに変えて、訓練データと観測データのわずかな違いが結果に大きな影響を及ぼさないということを確認しなければならないのです。そのため研究チームは、国立天文台が運用する天文学専用スーパーコンピュータ「アテルイⅡ(※3)」を用いたシミュレーションによって、25000組ものノイズ無し・有りの模擬的なレンズマップのペアを作成しました。これらを用いて訓練・検証されたAIに、実際のHSCの観測から得られたレンズマップを入力することで、ノイズを除去したレンズマップを作成することに成功したのです。白崎助教は「シミュレーション研究などでノイズのない美しい暗黒物質の地図を見ていた私は、観測から得られるノイズの影響をうけたレンズマップになんともやりきれない気持ちになりました。ある日、AIが作成した人工物とは思えない人の顔の写真をインターネットで見つけ、AIを使ったノイズ除去の可能性を思いつきました」と、今回の研究に至った経緯を述べています。

 

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図2: 本研究で用いられた敵対的生成ネットワーク(Generative Adversarial Networks; GAN)の概念図。GANは、二つのネットワーク(≒AI)で構成される。一つ目のネットワークは画像変換器Gと呼ばれ、ノイズ入りレンズマップからノイズ無しのレンズマップを推定して出力する。二つ目のネットワークは画像識別器Dと呼ばれ、変換器Gが作成したレンズマップと真のノイズ無しレンズマップとを見比べて、変換器Gが作成した画像を偽物と見破ろうとする。二つのネットワークに多数のノイズ無し・有りレンズマップのペアを入力することで、Gはより本物に近いレンズマップを作るように、Dはより正確にGの作る偽物を見破るように訓練される。本研究では、アテルイⅡを用いた数値シミュレーションで得られる25000組のノイズ無し・有りレンズマップのペアを使うことで、安定に動作するネットワークを作り上げた。最終的に、訓練された画像変換器Gが、実際にすばる望遠鏡HSCで観測されたノイズ入りレンズマップを入力として、ノイズなしレンズマップを推定する。(クレジット:国立天文台)

 

 このようにAIを用いてノイズ除去をしたレンズマップを用いることで、これまで観測だけでは難しかった暗黒物質の低密度領域を調査できるようになり、暗黒物質の平均密度といった基本的な性質をより厳しく制限できる可能性を示しました。こうして得られる基本的性質は、暗黒物質の正体を特定する重要な情報となります。さらに、銀河団の10分の1ほどの質量を持つ「銀河群」と呼ばれる銀河の集団をレンズマップから効率的に見つけられることもわかりました。例えば、今回解析した領域において、ノイズがまったくない場合のレンズマップから検出できる銀河群の70パーセントをノイズ除去後のレンズマップから検出することができます。一方で、AIによるノイズ除去をしない場合、同様の銀河群の10パーセント以下しか同定できません。レンズマップで見つけられる銀河群を詳細に調べることで、暗黒物質の候補と考えられている素粒子の質量や、暗黒物質同士の間に働く力に関する情報を得られる可能性があります(※4)。

 本研究は、AIによるデータ解析によってすばる望遠鏡HSCの観測データからノイズに隠された情報を巧みに引き出し、データがもつ科学的価値を高められることを実証したものです。観測、シミュレーション、深層学習といった複数の研究領域が有機的に結びつき、「天文学×AI」という新たな複合領域へと進展することを予感させます。

 

今後の展開

 本研究の成果は、これまでに世界の様々な望遠鏡を用いて行われてきた銀河サーベイ観測によって作られた銀河ビッグデータに適用可能であるだけでなく、今後さらに大規模に推進される観測計画で得られるデータにも応用できます。また、本研究で用いたHSCデータは、最終的に取得されるデータサイズのおよそ1.5パーセント程度でしかありません。今回開発した技術を最終データに適用することで、1400平方度(およそ満月7000個分相当)にわたる暗黒物質の詳細な地図を描くことが予定されています。この地図によって、暗黒物質の基本的な性質をより詳細に調べられると期待されています。

 本研究をリードした白崎助教は、「観測できる宇宙は一つしかありませんが、数値シミュレーションで仮想的に宇宙を計算機の中で作り出すことはできます。たくさんの計算機の中の"宇宙"と観測した宇宙がどれくらい一致するものなのかを突き詰めることで、我々が宇宙を正しく理解しているかを検証することができます。この検証を進めるには、深層学習は非常に強力なツールになるでしょう。観測、シミュレーションとAIの合わせ技で、今後さらに多くの宇宙の謎が解き明かされることを期待しています」と展望を述べています。

 

掲載論文

題目:Noise reduction for weak lensing mass mapping: An application of generative adversarial networks to Subaru Hyper Suprime-Cam first-year data
著者:Masato Shirasaki, Kana Moriwaki, Taira Oogi, Naoki Yoshida, Shiro Ikeda, Takahiro Nishimichi
雑誌:Monthly Notices of the Royal Astronomical Society 2021年6月版
DOI: https://doi.org/10.1093/mnras/stab982

 

用語説明

※1 国立天文台が国内外の諸機関と共同で開発した、すばる望遠鏡専用のデジタルカメラ。背丈3メートル、重さ3トンに及ぶ巨大なカメラで、約8億7千万画素を有する。広い観測視野と高い感度を生かして、2014年から大規模な銀河撮像観測が進められている。ハワイ島での地震、悪天候、新型コロナウイルス感染流行など紆余曲折ありながらも、2021年内に全ての観測スケジュールを終了できる見込み。合計観測夜数は330夜に到達する予定。

※2 アインシュタインが提唱した一般相対性理論が予言する現象の一つ。一般相対性理論では、重力は時間と空間(時空)の歪みとして表現される。宇宙に存在する物質は重力源となり、時空を歪めている。遠方の銀河から届く光は歪んだ時空を進み、光の軌跡は観測者に届くまでに曲げられる。結局、観測者は本来の大きさや形とは異なる銀河を観測することになる。銀河の形の歪みの程度は、光が観測者に届くまでに通過した重力源の質量密度に比例する。このことから、銀河の形の歪みを精密に測定することで、方向ごとに目に見えない暗黒物質の総量を調査できる。

※3  国立天文台天文シミュレーションプロジェクトが運用する、シミュレーション天文学専用のスーパーコンピュータ。岩手県奥州市の国立天文台水沢キャンパスに設置され、3.087ペタフロップス(1秒間に約3000兆回の浮動小数点演算を行う)の理論演算性能をほこる。https://www.nao.ac.jp/research/telescope/aterui2.html

※4 粒子質量が電子質量の500分の1程度の未発見素粒子(例えばステライルニュートリノ)が暗黒物質であるとすると、素粒子が持つ自由拡散効果に起因して、銀河群内部の暗黒物質分布の中心集中度が抑制される可能性がある。また、現在知られている素粒子と相互作用しないが、暗黒物質同士は自己相互作用する可能性もある。自己相互作用する暗黒物質は、銀河群の形状をより丸くする効果があることが知られている。

  

   

 お問い合わせ先

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