研究室訪問

ゲノムなどの遺伝情報の解析から生命の進化の謎を探る

 子供のころから自然が好きだった。神奈川で育ち、海、山、川の自然の中で遊んだ。中高校時代は父親に連れられ山に登り、大学時代は探検部に入りヒマラヤにも遠征した。理科や数学が好きで、システム的なことに興味を持ち工学部へ進んだ。学部ではすでにコンピューターを当たり前のように使っており、統計数理研究所の研究者から解析プログラムづくりのアルバイトの声がかかった。長谷川政美教授(現名誉教授)の研究でDNAのデータ解析を手伝ったちょうどゲノムなどの遺伝情報が分かり始めたころである。足立はその時、「生物進化の研究は新時代に突入し、劇的に発展する」と確信した。自らの進路を制御理論から遺伝情報の解析へ方向転換し、統数研に併設された総合研究大学院大学統計科学専攻の第2期生となった。こうした足跡が実は早い段階での研究成果につながっていく。

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足立 淳
データ科学研究系
構造探索グループ准教授

アミノ酸配列から系統樹を最尤推定する方法を開発

 かつて生物進化の系統樹を遺伝子レベルで調べる方法はDNAの4つの塩基配列から推定するしかなかった。1980 年代後半、この方法で人間はチンパンジーに近いと証明された。しかし、4つの文字しかないDNAでは限界がある。過去に何回か突然変異を起こし多重置換をしていると、その足跡は消えてしまい、大昔の生命の起源に迫ることは難しい。

 足立はアミノ酸配列に注目した。アミノ酸は20 種ある。DNAの3塩基に対応し、生物の機能を担うタンパク質を構成している。DNAと比べれば種類が多く進化速度も遅いので過去の変異の記録が残りやすい。アミノ酸配列を比較することで生物のルーツに迫ることができると考えた。

 この方法は実は世界中の研究者が着目していたが、まだ実用的なモデルがなかった。足立は、統計数理研究所の大型計算機を使って大量の遺伝子データを分析し、長谷川教授と岸野洋久元研究員(現東大教授)の指導を受けながら遺伝子のアミノ酸配列がどのアミノ酸に変わっていくかを統計的に推定し、アミノ酸置換モデルをつくった。これによってアミノ酸レベルで生物進化の系統樹を推定することが可能となった。

 その結果、真核生物の起源など大昔のことまで調べることができるようになった。これが足立の初仕事であり、博士論文「分子進化のモデリングと分子系統樹の最尤推定」の1章になった。生命の進化の研究に、学部時代のコンピューターと大学院の統計学が結びつき、アミノ酸配列から系統樹を統計的に推定するという世界初の方法を開発し、それまでの限界を超えたのである。

 この博士論文と公開したプログラムには世界中から反響があった。足立はこの研究成果をもって1997年に英国オックスフォード大学動物学科の研究員になった。ダーウィン以来の遺伝学の本家本元で足立の研究は注目された。

人間がこうなったのは必然ではなく、たまたま偶然なのでは・・・

ゲノム構造の進化の解明から生命の進化のメカニズムに迫る

 その後、帰国して理化学研究所ゲノム科学総合研究センターの研究員をしていた時、統計数理研究所の公募に応じ、2003 年2月に助教授に就任した。ここでも初期のころに画期的な研究に携わった。共同研究者たちと哺乳類の進化を調べるうち、まったく違うルーツを持ちながらも大陸別に同じような環境で成長した生物の中に同じような形態をしているものがいることが分かった。形だけを見ると同じ種と思えるが、遺伝情報からは別ものだった。哺乳類の進化と大陸分裂、大陸移動が関係していたのである。その前には自らが開発したアミノ酸配列から系統樹を推定する方法で、大型の歯クジラであるマッコウクジラは同じ大型のヒゲクジラではなく、小型のイルカと遺伝的に近いことを科学的に証明した。

 現在の専門は、生物を遺伝情報などのシステム面から研究する情報生物学と、生物の進化を形態ではなくゲノムなどの分子情報から研究する分子進化学である。いまは分子進化のモデリング、分子系統樹推定プログラムの開発に取り組み、今後に向けてゲノム構造の進化を解明しようとしている。ゲノム構造の進化の解明は、個々の遺伝子ではなく生物が持つ遺伝情報全体のゲノム構造を比較し、生命の違いの原因を調べるものだ。生物の共通祖先のゲノム構造が復元できるようになれば、個々の生物のゲノム構造がどう変化してきたかが分かる。複雑な研究となるので、いまはシンプルなゲノム構造を持つ菌類を使って解析しようとしている。

「まだ未知な部分が多い生命進化の解明は非常な楽しみ」

 統計科学専攻の大学院に入ってから22年。いくつもの実績がある中堅研究者の活動は佳境に入っている。ここへ来て新たに浮かんだ課題がある。「当初はゲノムが読めれば全部分かるのではないかという 楽観論があったが、知らない文明の知らない言葉で書かれた百科事典を発掘したようなもので、その読み方はまだ一部しか分かっていない。それほど生命は複雑で未知の部分が残されているのですが、その解明は非常な楽しみです。ある生物の機能が獲得されたのは、どの突然変異に起因しているのか、それを調べていくのが次の目標です」。

 進化の歴史的な流れは分かってきたが、なぜそうなったかというメカニズムは分からない。今後はゲノムなどの遺伝情報から生物進化のメカニズムを解明したい、と新たな意欲を見せる。まさに生命の神秘への挑戦である。

 「人間は偶然の積み重ねで生き残ったのかもしれない。過去の現象がちょっと変わっただけで、いまとは違った生物群がメジャーになっていたかもしれない。研究をやればやるほど、ちょっとした偶然が左右しているのではないかと実感できるのです。人間がこうなったのは必然ではなく、たまたま偶然こうなったのだと」

 これまでの研究活動を通じ一般の人には「世の中の物事は確率的な事象にあふれており、統計的な視点から解釈できることが予想以上に多い」とアドバイスする。

 「ボクはこの仕事をするまで統計ってそんなに重要なものとは思っていなかった。実際にデータに携わってみて、統計的な考え方の大切さを学び、データの量とか質の重要性が身にしみて分かってきた。物事は、偶然が左右したり、ノイズが入ったりして常に変化します。その変化が何に起因しているかを調べ、それを確率的に表現しないと現象をうまく記述できない。やってみて分かりました、統計の大事さが」

(広報室)

図1.相同な遺伝子のDNA塩基配列の違いなど、分子情報から系統関係を推定する方法を分子系統学という。


図2. たくさんの種のミトコンドリアゲノムにコードされている遺伝子から最尤推定されたアミノ置換速度行列。対象行列であり、各要素は100万倍してある。アミノ酸置換
モデルの基となる。


図3.真獣類の進化は大陸の分裂と移動に密接な関係があった。真獣類とは有袋類と単孔類以外の哺乳類である。


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