研究室訪問

確率過程の統計的推測のための「無限次元」研究

 奥多摩の山々を眺めながら、若者たちがラウンジで談笑する姿をよく見かける。統数研は総合研究大学院大学(1988年開学)のキャンパスも兼ねており、複合科学研究科統計科学専攻の学生たちが3年課程で10単位、5年課程で40単位以上の習得を目指して学んでいる。統数研を舞台に若々しい知が通い合い、新しい時代を切り拓こうとする。

在外研究でお世話になった感謝をこめて

 学年末の最終の講義が始まろうとする教室をのぞいてみた。学生が入場する前に、せっせとホワイトボードに複雑な数式を書いている教員がいた。毎週木曜日の午後に「推測数理概論U」を担当する西山陽一准教授だった。

顔写真

西山 陽一
数理・推論研究系
統計基礎数理グループ准教授

 この日のテーマは「ルベーグ(数学者の名)収束定理」と呼ばれる、積分を用いて「無限次元」を解釈するための重要な道具の使用法について。着席した約10人の学生の中には、最新の知見を得ようとして参加する教授クラスの聴講者も交じる。次の世代への「知の差し渡し」という重要な仕事に向って、「さあ、やるぞ」という西山さんの気迫が感じられた。

 西山さんの講義はいつも英語で行われる。数式の解説を何度も中断しては振り返り、学生たちの顔をのぞき込むようにして言う。「ここまでは、あなたにとって明解ですか」、「念のためにもう一度言いましょうか」。何がどこまで確実に伝達されたのか。それを確かめながら慎重に講義を進めるのが、西山さんのスタイルだ。

 「バングラディッシュからの留学生がいるので英語でやっています。私も2年間、オランダに留学した経験があります。日常会話は当然オランダ語であるわけですが、講義やセミナーは全て英語で行われ、私としては大変感謝しています。そのご恩返しの気持ちを込めて、英語でやっています」。

歴史に刻まれるというレベルの、本物の定理を追求しています

スランプ脱出し、「明るく元気な論文」を目指す

 1994年に入所して以来、一貫して掲げる研究テーマは「無限次元のマルチンゲール中心極限定理とその応用」。マルチンゲールという言葉は、元々「いつ終了しても公平なトランプゲーム」に付けられた名だという。1996年から98年までユトレヒト大学で学び、帰国直前に博士号を取得した。1999年に研究所の論文誌「統計数理」第47巻に発表した論文「マルチンゲール確率場に対するエントロピー法とその統計的応用」が、その在外研究の成果にあたる。

 「当時は難解で深い理論の研究をしており、その後、反動でスランプに陥りました。2006年にヨーロッパの研究者との共同研究をきっかけに暗い時代を脱出することができました」。一般の人にはわかりにくい「無限」という数学上の概念に取り組む研究だが、「あるアイデアに至ってしまえば後は全部自明という理論・方法を考えるのが好きで、ドロドロした計算に持ち込むことは少ないです」と話す。

 西山さん自身の言葉によれば「無限次元の極限定理とは実数が収束することではなく、関数が収束することをいいます。マルチンゲールは確率論における最重要項目の一つ。中心極限定理とは、極限がガウス分布という、神様が創造した最も美しい分布への収束を示す定理」という。「応用」の対象としては生存解析や数理ファイナンスなどが意識されるが、「本当の興味は、より基本的部分にあります。次元の高い複雑な統計的モデルの背後に横たわる、シンプルで深い基礎構造の解明に役立つ定理の創造に力を注いでいます」。

 「本当に役立つ定理はシンプルで美しい」という信念を持って、「明るく元気な論文」を目指そうと自らを励ます。「歴史に刻まれるというレベルの、本物の定理を追求しています」と高らかに言う。

新婚旅行は「共同研究者を訪ねる旅」

 2009年9月、「丸め誤差」に関する研究の成果が評価され、第23回日本統計学会小川研究奨励賞を受けた。統計学では通常、データは理論的には連続的に(整数や有限小数ではなく、小数点以下の桁が果てしなく続くような、所謂、実数として)発生すると仮定されるが、実際には小数点以下、2桁とか3桁ぐらいで四捨五入して観測されてしまう。その際に発生する誤差を「丸め誤差」と言うが、受賞論文では、それを詳しく調べ、新たな統計手法を提案した。

 受賞式のスピーチで繰り返されたのは、共同研究者や支援者への謝辞だった。そして、誰しもが経験するだろう学問的スランプを、いかにして脱出するかについて語った。ここでも研究者の国際的な連帯への信頼が強調された。この気持ちと学究生活の充実感を、次の世代に伝達していきたい、といつも思っている。

 「若手の有望な研究者が私の論文を見て、『ああ、こんな感じのものを書いてみたいな』と思ってくれたら嬉しいですね。そういう形で統計学のsocietyに貢献したいと考えています」。

 統数研が立川に移転した1 年後に結婚した。研究上の交流でお世話になったオランダやイタリアの研究者の職場や家庭を訪ねることが、新婚旅行となった。自分の研究の足跡を検証しながら、次のステップを踏み出す旅でもあった。

 このコラム執筆のためのインタビューの際、西山さんはしばしば考え込む仕草を見せた。そして、「ん〜む、僕の頭もだいぶ整理されてきたぞ」と言った。何が確実な表現であるのかを自問自答しながら次に進む。慎重に、そして大胆に。数学的「無限次元」の真相を追求する西山さんの学究人生はいま佳境に入っている。

(企画/広報室)

図1.丸め誤差の影響のシミュレーション。通常の理論を適用すると、データの量的規模を示すnが大きくなればなるほど、理論的なグラフからの剥離が激しくなる。


図2.小川賞論文で提案された新方法。nが大きくなっても理論的なグラフから外れることなく、まずまずの結果が得られる。


イタリアのIlia Negri さんの家族、友人とのスナップ。「共同研究者やお世話になった先生を訪ねる新婚旅行」の際に撮影した。

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