研究室訪問

文化多様体の解析に基づく計量的文明論構築への試み

 オリンピック放送のテレビ画面の中で、フィギュアスケートの選手たちが華麗な舞いを見せていた。興奮した観衆が旗を振り、メダルの獲得を称賛する歓呼の嵐。この時、吉野さんの目がキラリと光った。

 「自国の選手への声援と称賛にもお国柄というものがある。それを比較することで国民性の深層に迫ることも不可能ではない。心の問題を計量化して解析する試みは、多方面に重要なヒントが隠されている。」

深層心理から考える日本人の特質

 吉野さんの専門は数理心理学。社会調査の成果を国際比較し、「階層構造をもつ多様体」としての地域共同体の真実に迫ろうとする。複雑な「現実」を解析する際に心理現象の重要な側面に着目し、数理モデルによって可能な限り単純化を試みる。得られたモデルを「基準」として比較検討し、科学的に理解する。

顔写真

吉野 諒三
データ科学研究系
調査解析グループ教授

 「私の経歴はとにかく変わっていますよ」と自ら言う。大学入学時は理科系だったが、専門コースを選ぶときに文学部に変更した。その理由は「落ち着いて好きな数学を勉強できそうに思えたから」という。結局、心理学を専攻したが、動物の行動解析に注目する当時の日本の心理学の傾向にあきたらず、渡米。カリフォルニア大学で博士号を取得し、1989年に統数研入りして「国民性の国際比較調査」などを担当するようになった。

 人の心の深い部分から発せられる信号をどのように受け止め、解析すべきかを吉野さんは考え続ける。大正期の作家・芥川龍之介が遺書に「ぼんやりとした不安」と記したように、なにげない日常的な苦痛や悪感の自覚症状にも心の真相があらわれる。吉野さんは1987年から10年ほどかけて頭痛、背中の痛みなどの自覚症状の国別データを比較した。図1が示すように「東アジア」ではシンガポール、杭州、台湾、日本で低く、韓国では高かった。ヨーロッパも入れた「7カ国」比較調査では、やはり日本が低く、フランス、イタリアで高い傾向が認められた。「身体の問い」に、「心の答え」が出ているのではないか?「これらの結果の中に心を読むヒントがあるはずだ」と吉野さんは言う。

国民性をより深く考察するために、比較調査の手法が欠かせない

「国民性」の解釈の違いに国民性が反映している

 統数研は1953年以来、半世紀にわたり、5年毎に成人の男女を対象に「日本人の国民性」調査を続けている。日本人のものの見方や考え方、その変化についての重要な調査として定評がある。1948年に占領軍総司令部(GHQ)の指示で行われた「読み書き能力調査」がルーツであり、ここで開発された実践的な標本抽出法が活用された。「国民性」という言葉は民族間の衝突にも関与するので使用を避ける人々もいるが、吉野さんは「調査に対してつけられたニックネームとして理解してほしい」と話す。

 吉野さんの研究によれば、戦前、戦中、戦後にわたり、米国の社会学会では戦争相手国の「国民性」や「読み書き能力」が戦略や占領政策立案のために大きなテーマとなっていた。「人々の意識構造」について各国民に対する統計科学的な調査を行う発想が見られた。吉野さんは「重要情報をデータとして収集し、解析方法を開発しようとする意図の先進性に注目したい」と指摘する。その一方で、国民性の定義や方法論の相違の中に、吉野さんは国民性の重要な相違を見出し、価値観の国際比較に関する2003年の書籍『国民性論』(A. インケルス著、吉野訳)の附章で次のように書いている。

 ―アメリカ流の研究者は、「個人」の集合としての「国民」の科学的研究として、例えば精神分析学を利用している。しかし、我々、長い歴史を持つ日本人であれば、人は「個人」ではなく「人間(じんかん)」に暮らす存在と見る。そして、その理解のためには、自然に歴史の流れの中で、人々の相互作用から現われる関係を相補的に把えるのが妥当と考える。このような研究視点の違いには、WASP(アングロサクソン系の白人新教徒)中心の米国が短い歴史しかもたず、その繁栄を科学技術が支えていること、一方で日本は長い歴史があり、現在の我々の社会を常に歴史の観点から位置づけるという認識の違いがあることを反映していると思われる。

「オバケ調査」と信頼感の国際比較

 日本人の認識の特徴を国際比較によって明らかにしたい。一貫した姿勢が多岐にわたる研究を特徴づける。吉野さんが改めて注目するのは、統数研の先輩である故林知己夫氏(2002年没)が1970年代に行った「オバケ調査」というニックネームの調査だ。それは人々の意識の深層に「合理的-非合理的な考え」と呼ぶ次元があることを指摘した。

 日本人の深層意識には、人間の力の及ばない何かに対する恐れや尊敬の念といった「素朴な宗教感情」があるといわれる。それは欧米流の近代化の過程では原初的アニミズムと切り捨てられてきたが、日本では決して減少傾向にあるわけではない。

 日本人は、YesとNoを明確にしたり、「たいへん…である」などの極端な回答をしたりすることは避け、「場合による」、「まあまあ…である」というような中間的な回答をする傾向がある。この日本人の中間回答傾向は、合理的に割り切った考えを避ける態度だ。「その根底は、欧米流の近代科学や論理では説明できないものへの関心を持っていることと関連していると思われる」と吉野さんは指摘する。

 「国民性をより深く考察するために、比較調査の手法が欠かせない。」例えば、社会的機関や団体などへの信頼感は、高度情報社会への流れの中でどのように変化して行くのか。「不信の表明」は民主主義の成熟を表すとの解釈もある。その発想の根底には、「異文化の人々の間の相互理解を通した平和の創造が究極の目的」という問題意識があるという。東アジア全域を見渡しながら、日本人の心の今を考えるユニークな研究が続く。

(企画/広報室)

「苦痛」の訴えの国際比較


東アジアの文化多様体を解析する信頼感調査


お化け調査ー合理と非合理の間への問い

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