コラム

鶴岡市とことばの調査

前田 忠彦(データ科学研究系/調査科学研究センター)

 鶴岡市は人口13.5万人ほど、庄内地方南部に広がる山形県第二の人口を持つ市です。庄内は米どころとしても有名ですが、市のホームページによれば、「鶴岡市は、庄内藩の城下町として栄え、学問や文化、伝統を重んじる気風が脈々と息づいて」いるとの由。城跡である鶴岡公園の近くにも旧藩校の致道館をはじめとする由緒ある建築物が点在し、訪ねてみるとなるほど城下町の風情とともにそのような気風が感じられる街並みです。

 実はこんなことを書きながら、去年のはじめまで鶴岡市のことはほとんど何も知りませんでした。ところがこの一年ほどで何度も訪れ、旧鶴岡市と呼ばれるような中心部だけですが、ずいぶんその様子にも詳しくなりました。国立国語研究所(以下国語研)との共同プロジェクト「鶴岡市における言語調査」の第4回調査に参加して、市内で活動したためです。

 この調査は鶴岡地域の方言が、地域社会の中でそして個人の中で、どのように変化してきたかを調べることを目的としていて、「鶴岡市における共通語化の調査」と呼べる内容をもっています。最初の調査は1950年に行われました。このときから国語研と統数研の研究者が緊密に協力し、共同プロジェクトとして実施しています。1971年に第2回、1991年に第3回というように、ほぼ20年間隔で実施し、2011年が第4回というわけです。第1回、第2回の調査では、故林知己夫先生や西平重喜先生など、統数研の大先輩たちが調査実施法の検討を実に細やかに行った記録が報告書などに残されています。調査は実際の話し言葉を記録するために、対象者と面接して聴き取りを行う「個別面接法」で実施します。第3回目までの調査による成果は、次の国語研のホームペー ジで参照することができます。(図も参照。)
http://www2.ninjal.ac.jp/keinen/

 第4回の鶴岡調査の企画にあたり、国語研側がフィージビリティースタディーを進める中で、統数研との共同実施案が浮かんできたそうです。国語研名誉所員で第3回調査の中心メンバーであった米田正人先生が、調査科学研究センターの吉野諒三センター長のところに共同実施の相談を持ちかけて、実現に向けて動き出しました。私が吉野教授からこの話を紹介されたときに、すぐにこの調査の重要さは理解しましたし、過去の調査の報告書を読んで更に興味を持ち、センターの中村隆教授にも積極的な参画をお願いしました。中村教授のコウホート分析がこの調査のデータ解析に威力を発揮するからです。

 こうして今回も国語研と統数研の共同作業が始まりましたが、第3回調査の時は協力関係が薄れていたために、統数研側にことばの調査のノウハウが残っていたわけではありません。調査の設計から実査まで、国語研からセンターにお迎えした阿部貴人客員准教授に全面的に活躍いただきました。米田先生には、今回も現地調査本部長のような重要な役割を担っていただきました。

 面接調査は2011年の11月中旬から12月上旬と明けて12年の1月下旬から2月中旬の2回にわたって、一部を調査会社に委託し、他の部分は両研究所のメンバーや、大学等の言語研究者が調査員として参加して実施しました。11月の調査では吹き始めた強い季節風とみぞれ混じりの冷たい雨に悩まされながら自転車を漕ぎ、年明けの調査は記録的な大雪と格闘しながらの活動でした。

 何はともあれ調査はひとまず無事に終了し、現在集計や分析を進めています。手前味噌ながら、60年以上にわたる共同プロジェクトというのは、画期的なことだと思います。実施にあたり鶴岡市には多大なご支援をいただきました。対象となった市民の皆様には好意的に協力いただきましたし、個人的にも市民の親切さに助けられる経験をしました。充分な分析成果を上げることが何よりのご恩返しになるかな、と気を引き締めています。

図.過去3回の調査によるいくつかの言語項目での共通語化の様子:側面によって共通語化の進行にも遅速がある。(国語研のホームページより許可を得て掲載。)

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