沿革紹介(1950年代)

創立時からの統計数理研究所の沿革を紹介します。

1959年(昭和34年)
3月31日
  • 末綱恕一が専任所長に就任した。
1958年(昭和33年)
4月1日
  • 東京大学教授末綱恕一が兼任として所長に就任した。
3月
  • 統計通信第1号発刊、第18号(1975年3月)まで毎年発行した。
1957年(昭和32年)
5月16日
  • 第一研究部長松下嘉米男が所長事務取扱に就任した。
3月30日
  • 継電器式万能自動計算機が設置された。
1956年(昭和31年)
10月18日
  • 佐々木所長が病のため休職となり、文部省大学学術局長稲田清助が、次いで緒方信一が所長事務取扱(31年11月22日)となった。
3月
  • 英文要覧(Activity Report)を発刊した。
1955年(昭和30年)
10月
  • 統計数理研究所研究リポートNo.1を発刊した。
9月15日
  • 文部省令第21号(文部省設置法施行規則の一部改正)をもって第一研究部(基礎理論)、第二研究部(自然・社会科学理論)及び第三研究部(オペレーション・リサーチ・統計解析理論)に改組されるとともに、研究室制度が位置付けられ9研究室及び研究指導普及室が設置された。
7月12日
  • 文部省令第16号(文部省職員定数規程の一部改正)をもって69人となった。
4月1日
  • かねてから返還要求を受けていた労働科学研究所の施設を返還するため、事務部、第一研究部及び第二研究部が、港区麻布富士見町 庁舎 に移転した。
2月20日
  • 世田谷区三軒茶屋の庁舎から、総理府所管の港区麻布富士見町庁舎に移転することとなり、世田谷区三軒茶屋の施設からとりあえず第三研究部のみが移転した。
1954年(昭和29年)
7月5日
    • 文部省令第17号(文部省職員定数規程の全部改正)をもって70人となった。
1953年(昭和28年)
9月
  • 統計数理研究所彙報第1巻第1号を発刊(講究録、輯報を廃刊とし、合わせて彙報として発刊)した。
8月17日
  • 法律第191号の公布により、世田谷区祖師ケ谷の庁舎等を労働科学研究所に返還することとされた。これにより、当該財産を大蔵省に引き継ぐとともに、以後、労働科学研究所から無償で借用することとなった。
1月1日
  • 本研究所の設置の根拠が、文部省所轄機関組織規程から文部省設置法施行規則に替わり、本研究所の部及び附属統計技術員養成所が明記された。
1952年(昭和27年)
9月1日
  • 窪田所長の辞任に伴い、佐々木達治郎が所長に就任した。
  • 統計数理研究所要覧が発刊、1966年まで毎年刊行した。
8月1日
  • 文部省令第20号(文部省職員定数規程の全部改正)をもって74人となった。
1951年(昭和26年)
4月1日
  • 文部省令第7号(文部省職員定数規程の一部改正)をもって75人となった。
1月12日
  • 文部省令第1号(文部省職員定数規程の一部改正)をもって70人となった。
1950年(昭和25年)
9月
  • 統計数理研究所輯報第1号、発刊第11号(1953年1月)まで刊行した。(不定期)
6月28日
  • 世田谷区三軒茶屋にあった本研究所の組織のうち、事務部のみが祖師ケ谷の庁舎に移転した。
4月1日
  • 労働科学研究所が解散団体に指定されたことに伴い、同団体の施設が法務府の所管となった後、文部省所管となり本研究所の所属となった。

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